死の招き

2019年4月14日 (日)

末期がんの僧侶で医師(田中雅博)の悟り方、もがき方、死の迎え方

 朝日新聞 2015年12月4日 (金)に「末期がんの僧侶で医師」田中雅博さんのインタビューが掲載されていた。一般に新聞記事をコピペはできないようにされているが、あるブログを見たら、記事全体が載っていた。
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02_3 人は病と闘い、生き抜こうとする。それでもいずれは、どうしても死が避けられなくなる。そのとき何を感じるのだろう。希望を見いだすことはできるのか。栃木県益子町の内科医で僧侶でもある田中雅博さんは、がんに侵され、余命わずかの身。自分の死を見据え、日本の医療からこぼれ落ちているものを問いかける。03  《陶器で知られる栃木県益子町。田中さんは、1300年近い歴史のある西明寺(さいみょうじ)の住職だ。
 昨年10月、極めて深刻な段階の膵臓(すいぞう)がんが見つかった。手術したが、今度は肝臓に転移した。今秋、寺で行われた法要の際、別の僧侶に「どうか長生きしてください」と声をかけられると、素っ気なく「それは無理です」と答えた。》

 プロフィール 田中雅博(たなか・まさひろ)
 1946年栃木県益子西明寺生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。国立がんセンター研究所内分泌治療研究室長および病院内科医師を併任。1983年大正大学仏教学部編入。1983年、実父が急逝し、実家の西明寺を継ぐため同センターを退職。大正大学大学院で仏教を学び住職に就く。その後、僧職を務めるとともに、同大学院博士課程単位取得退学、西明寺境内に普門院診療所建設。西明寺境内やその近隣に、医療施設や老人介護施設を建設し、僧侶としてまた医師として地域医療や地域福祉に力を入れてきた

 

 

 

 ――余命わずかであることを公言されていますね。011  「抗がん剤の副作用がひどくなっています。特に手足のしびれ。茶わんを落としたり、つまずいたりします。もう副作用の限界ですから、抗がん剤は効果を期待できる量が使えずにいます。検査結果やデータから、来年3月の誕生日を迎えられる確率は非常に小さい。もう少しで死ぬという事実を直視しています」
 「つい先日、孫が生まれたんですよ。女の子です。どこまで成長を見ることができるか。あと3カ月くらいかな、あるいはもっと短いかもしれない、と考えてしまいます。複雑な思いですね。人の死は思い通りになりません。私も順番が来たわけです」
 ――僧として、医師として、ずっと「死」の問題を考えてこられました。自身の死は怖くない、とおっしゃるのかと。
01  「そんなことはありません。生きていられるのなら、生きていたいと思いますよ。私には、あの世があるかどうかは分かりません。自分のいのちがなくなるというのは……。やはり苦しみを感じますね。いわば『いのちの苦』です。自分というこだわりを捨てる仏教の生き方を理想とし、努力をしてきました。生存への渇望もなくなれば死は怖くないはずです。ただ、こだわらないというのは簡単ではありません」
 「かといって死んでしまいたいとも思わない。生きられるいのちは粗末にしたくありません。一方で、自分のいのちにこだわらないようにする。そのふたつの間で、『いのちの苦』をコントロールしているわけです。死の恐怖や不安と闘うというよりは、仲良くしようとしている感じでしょうか」
 《寺に生まれたが、前住職である父親の勧めで医学の道へ。25歳で東京・築地の国立がんセンター(現・国立がん研究センター)で研修医となった。》
01_2  「最初に受け持った患者さんは若い女性でした。がんが体中に転移し、どんどん悪くなっていく。『私は死ぬんでしょうか』と聞かれました。どう答えますか? 科学ではどうしようもないんです。それ以来、たくさんの患者さんから同じように問われ続けました。でも、何もできなかったんですよね……。そうした苦に応える人が病院にいない、と若いときから感じていました。患者は誰に話していいか分からず、看護師や病室を掃除してくれる人に、不安を打ち明けることがあるんです」
 「私は進行がんが専門で、がんセンターでは内分泌部治療研究室長も務めました。医学はいのちを延ばすことを扱うわけですが、そのいのちをどう生きるかという問題にはまったく役に立たない。体の痛みを止める医師が必要であるのと同じように、『いのちの苦』の専門家が必要です。それがほとんどいないのは日本の医療の欠陥だと思います」
 《田中さんが言う「いのちの苦」は医療分野で「スピリチュアルペイン」(spiritual pain)と呼ばれる。世界保健機関(WHO)でも議論され、生きる意味の喪失や死後への不安などが含まれるとされる。
 キリスト教文化を背景とした欧米の多くの病院には、これに対応する専門職がいる。田中さんは1980年代から、日本でも「スピリチュアルケア」(spiritual care=いのちのケア)が必要だと提言。ローマ法王庁が呼びかけた国際会議にも4度招かれ、海外の実情を学んだ。》
02  ――いのちのケアとは?
021  「欧米では、病院に配置された聖職者がスピリチュアルケアに携わっていることが多いですね。自分の宗教や考えは押し付けません。患者の話を聞くことに徹し、いのちがなくなる苦しみを分かち合おうと努めます。どんな人生であったとしても肯定し、価値を見いだしてもらえるよう促す。人間の尊厳にかかわる仕事です」
 ――死が迫ると、後悔などの感情も起こりそうです。

022_2  「それらも受け入れ、最後の最後まで人生の『ものがたり』を形づくる手伝いをする人が必要です。それを含めての医療であるべきだと思います。科学では何もできなくなったときこそ、非常に多くのことができるはずです」
 「人というのは、元気なうちは自己の欲望にとらわれたり、怒ったり、他人を差別したりするものです。
 しかし死が避けられないとなったときは、そうしたことから
023離れて、自分のいのちを超えた価値を獲得するチャンスでもあります。いのちより大事にしたいもの。それは信仰を持たない人にとっても、自身の『宗教』だと思うんですよ。それに気づくことができれば、その大事なもののために残りの時間を生きることができるのではないでしょうか」

 「欧米でスピリチュアルケアにあたる人は宗教だけでなく、哲学や医療などもしっかり勉強しています。ただ、ある人は『知識があるだけではだめだ』と話していました。むしろ、死にゆく患者さんに大事なことを教えてもらうという態度で臨むのです。非常に高度なことですね。人格的にも優れていなければならないでしょう」
 《国内でも専門家を育てる動きがある。全国青少年教化協議会が資格認定する「臨床仏教師」もその一つ。95人の受講者から絞られていき、今春、6人が初めて認定された。約1年半の養成課程では田中さんが内科を担当する診療所も協力し、実習を受け入れた。しかし、医療現場はまだ本格的な導入には慎重だ。》


 ――医療の現場には宗教に対する違和感もあるようです。スピリチュアルケアをする人は宗教者でなければいけませんか。
 「必ずしも宗教者でなくてもいいと思いますよ。欧州では哲学畑の人もいるそうです。ただ、仏教は私たちの死生観に何らかの影響を与えていますから、日本では少なくとも仏教の知識は欠かせません。もし病院で僧衣に違和感があるなら、制服を作ってもいい。ローマの病院でスピリチュアルケアに携わる人に会ったら、白衣を着ていましたね」
 「臨床仏教師の候補者を実習で受け入れた際、ある患者さんは症状が進んで話ができず、筆談でした。候補者に『あなたの考えは浅い』と厳しいこともお伝えになりました。それでも何時間も筆談して、最後は『また来てください』とお書きになった」

021_2 「WHOは緩和ケアについて身体の痛みだけでなく、心理的な側面と(より根源的な)スピリチュアルな側面を総合的に扱う、としています。イタリアのスピリチュアルケア従事者は、死期が迫ってからではなく入院時にすぐ会いに行くと話していました。病棟責任者らの許可もいらず、自由に病室に出入りできるそうです。そういうシステムはいいですね。患者には面談を受ける権利と断る権利を保証しなければなりません」
 ――それにしても、ご自身は穏やかな表情ですね。
022_4 「ぐったりして休んでいることも多くなっていますが、まだ黄疸(おうだん)は出ていません。黄疸が出ると、頼まれている原稿の執筆や講演は難しいので、できる限りのことをやっておきたいと思っています。いま、何でもないことが非常にありがたい。晴れた日はいいなぁと思うし、雨の降る日もいいなぁと感じます。やはり生きているというのはいいことですね03_2    
 ■取材を終えて
 死が避けられなくなったとき、家族には心配をかけまいと「死ぬのが怖い」といったことを口にしない人がいるのではないだろうか。家族もまた、あまりに重い問いは受け止めきれないかもしれない。そうした気持ちを丸ごと受け止めてくれる第三者がいたら、患者と家族にとって貴重な選択肢となりそうだ。
 日本でも、一部の緩和ケア病棟などには宗教的な問いにも対応できる専門家がいるが、全体ではまだまだ少ない。病院にとっては実習を受け入れてみるだけでも、「患者の本当の幸せとは」「そもそも医療とは」と立ち止まって考える契機になるに違いない。(聞き手・磯村健太郎)

 別の“僧医”もいる。
「医として生きる」対本宗訓さん
医師免許を取得。現在“僧医”として研鑽中。
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/41/jyoho41_tokushu1.htm


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2019年3月30日 (土)

おおきな木 シェル・シルヴァスタイン 世界一受けたい授業より

 賛否両論がある絵本として「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン)を 世界一受けたい授業で紹介していた。アジのある絵本だ。どこかで見た記憶のある内容だったが、母の愛を教えていた。
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000065_2
 昔、あるところにりんごの木がありました。
その木は少年のことがだいすきでした。少年は毎日木の下へやってきました。
木はだれよりも何より木はしあわせでした。000001

 

 時は流れ、ちびっこだったぼうやは成長していき、少年は木に会いに来なくなります。
木はひとりぼっちになることが多くなりました。

ある日、大きくなったぼうやが木のところへやってきます。

「いらっしゃい。昔のように木にお登って遊びなさい」と勧めても、ぼうやは言います。
「もう木登りする歳ではないよ。かいものが してみたい。だから おかねが ほしいんだ。 おこづかいを くれるかい」木は困りましたが、
「お金はないけれど、りんごの実をもって行きお売りなさい」と言いました。
少年は、リンゴを運んでいきました。000011 それで、
木はしわあせでした。

 暫く姿をみせなかった少年は、木のところへやってきました。
「おくさんももほしいし、それには家がいるんだ」
000015
 木は「私の枝を切って、家をつくればいいわ」と答えると、少年は、バッサバッサと枝を切ってもって行き、家を作りました。
000016
 木はしわあせでした。
 そのあと、ながーい間、少年は姿を見せませんでした。

 そのあと、年老いて少年は戻ってきました。

 『船をつくりたいんだ」というと、000021
 「私の幹を切って船をつくりなさい」木はついにその幹を与え、少年は船を作ると旅立ってしまいます。木は切り株になってしまいました・・・
000023

 
原作では「but not really」とあるが、
 それで、木はしあわせに・・・
 本田錦一郎の訳では作中の一箇所に「だけど それは ほんとかな。」と入る。村上春樹の訳では、000025_2“それで、木はしあわせに・・・なんて、なれませんよね”となっている。

 ずいぶん時がたって少年がまた戻って来ました。
 木は言いました。
「ごめんなさい。私には何もないの」

「ぼくには何も必要としないの。しずかな場所があればそれでいいんだ」

 

000030「古い切り株なら、休むにぴったりよ。いらっしゃい」

 年老いた少年はそこに腰を下ろしました。
 それで木はしあわせでした。

 

 リンゴの木と少年は友達であった。ともに遊び、心を通わせていた。しかし少年は大人になってゆきお金が必要になる。木は「私の果実を売りなさい」と言う。少年は果実をすべて持っていった。
 しばらくして、大人になったその子は家が必要になる。木は「私の枝で家を建てなさい」と言う。その子は枝をすべて持っていった。
 また時が経ち、男は「悲しいので遠くへ行きたい」と言う。木は「私の幹で舟を作りなさい」と言う。男は幹を持っていった。
 時が経ち、男は年老いて帰ってきた。そして「疲れたので休む場所がほしい」と言う。木は「切り株の私に腰をかけなさい」と言う。男は腰をかけた。木は幸せであった。

 
1本のリンゴの木が1人の人間に限りない愛を捧げる“究極の無償の愛”の美しくも悲しい物語。リンゴの木が大好きで、毎日やって来ては遊ぶ子ども、やがて大人になるにつれ、木を訪れる回数が減っていくが・・・
 突然、思い出したようにやって来ては、「~をくれるかい。」と
木に要求ばかり。子どものために身を犠牲にして尽くすリンゴの木。

最初、この子どもは「なんてやつだろう」と思ったが、決してリンゴの木は不幸な気持ちだったわけではないと、ハッとさせられた。
「それで 木はしわあせでした。」
というフレーズが、子どもの願いに応えるたびに出てきます。

愛を与えてばかりのリンゴの木。まるで、親離れしていく子を遠くから見守る親のような気持ちだったのでは。なかなか会えないのは、元気に暮らしている証拠。
時々思い出して会いに来てくれるだけで、嬉しい。 困った時は、力になってあげるよ。

 そう考えたら、なんだかリンゴの木が嬉しかったという気持ちが理解できるような気がする。子どもの心のどこかに、リンゴの木が存在している。 見えないけれど、心は繋がっている。 考えれば考えるほど奥が深いストーリー。大人向けの絵本のような気がする。
(30代・ママ 男の子9歳)

 母親である私はどうしてもリンゴの木に感情移入してしまいます。
  私の子供はやがて大きくなり、もう私と遊んでほしいとは思わなくなり、もっと違うものが欲しくなる。それでいい、それで普通だ。そういったことを考えるだけで胸が締め付けられ、切なくなる。
 少年に無償の愛を変わらず与え続けるリンゴの木は、私の理想であり、現実でもある。そして疑いもする。このリンゴの木のように無償の愛を与えられるのかしら?と。
そんな私に色々な事を想像させ、切なくさせる絵本でもある。
(47さんママ )

●現代を知るブログベスト5
 NHK経営委員長谷川三千子さんについて:
キューバ医療費タダ、医学部タダ、日本3400万円

信長が義弟浅井長政を討ち果たす理由
十三億人「中華圏」の世界征服戦略:
老人婚活 色とカネの最前線(女性記者ルポ):

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2017年9月19日 (火)

僧侶で医師の末期すい臓がん死を記録 NHK

000009 栃木県益子町の西明寺の住職の子に生まれた田中 雅博(たなか まさひろ)さんが、余命会数か月と知ったNHKの撮影クルーが、彼の死を最後まで記録した。
NHKの現場の人がひるみそうになるところを、当事者の田中さんは、葬式まで撮影しなさいと勧めてくれた。死を達観している僧侶でも、死を悟ると達観の正体がはがれて取り乱す人もいるという。
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 1000人を超える患者の死を看取ってきた医師が、がんで余命わずかと宣告された。看取(みと)りのプロが体現する「理想の死」とは?亡くなるまでの450日間に密着。
始まりは2年前の12月。末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された医師田中雅博さん(当時69)。医師として、僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせた「看取りのスペシャリスト」。
 しかし、次々と想定外の出来事が…。看取りのスペシャリストが見せてくれたありのままの450日の記録。
  主治医は、同じく医師であり僧侶である妻の貞雅(ていが)さん。夫の最期をどう看取るか、ふたりの葛藤の日々が続いた。000023
 田中 雅博(たなか まさひろ、1946年 - 2017年3月21日)栃木県芳賀郡益子町の西明寺で生まれる。父親の勧めで医師を目指し、東京慈恵会医科大学を卒業。国立がんセンターで研究所室長、病院内科医として勤務。大正大学に進学し、仏教を7年間学び、西明寺を継いだ。
 住職を務め、「病院にもスピリチュアル・ケアワーカーが必要」と1990年、境内に入院病床を備えた普門院診療所兼介護施設を建てた。2014年10月、末期の膵臓癌が発見、その後肝臓に転移。017年3月21日、死去。70歳没。
 栃木県益子町の普門院診療所で、妻貞雅と夫婦で緩和ケアを実践してきた。
患者の最期の意思を確認し尊重すること。また、がん患者の死の恐怖を取り除くために僧侶として耳を傾けた。
000026  3年前、田中にもすい臓がん(ステージ4b)が見つかり、肝臓やリンパにも転移。田中は患者から”死に方”を学んだから死ぬのは怖くない。田中夫婦はお酒が好きで、末期がんが見つかってからも変わらない生活を続けていた。
2017年1月18日、今年に入り田中の病状は急速に悪化。1月27日、田中は自分の葬儀のために用意した曲を聴いていた。
 田中は、父の急死を機に実家の寺を継ぎ、43歳で境内に診療所を開設。医師として患者の苦痛を和らげ、僧侶として患者の話に耳を傾けてきた。そして自分ががんになってからは自分の話も聞いてもらいたいと思ってきた。
000013 田中はDNR(=蘇生措置を拒否する意思)を示していた。DNR以外にも苦痛を抑えるための持続的鎮静という措置を望んでいた。彼は妻貞雅に苦痛に耐えられなくなったら眠らせてくれ、と伝えていた。
 2月3日、田中は言葉が出なくなった。田中は、親友の僧侶に葬儀の依頼を話していたが、言葉がうまく出てこず混乱していた。翌日も、混乱した状態はひどくなった。
「お願いします」と繰り返す田中に、取材者は「眠らせてくれ」と言っているように感じた。2月5日、「がん患者語らいの集い」に来た田中は「眠らせてください」と言い続けた。診療所に戻った田中は涙を流した。
 2月19日、田中に持続的鎮静を開始した。
 2月23日、貞雅は麻酔薬を止め、1日2回、田中を目覚めさせていた。貞雅は彼が少しでも長く生きられるように、無理でも体を動かさせた。また、点滴だけでなく、田中に好きなアイスを食べさせた。貞雅はなぜ自分は医師なのにガンの早期発見ができなかったのか、などと悔しがった。
 3月21日、取材陣に貞雅から「今朝7時20分 逝きました」というメールが来た。貞雅は心臓が止まったとき、つい心臓マッサージをして蘇生措置をしてしまったという。
葬式まで全部撮影しなさい、と言っていた田中の言葉通り、取材者は葬式まで取材を続けた。
 田中が取材者に教えてくれたことは「死はきれいごとではない、思い通りにいかない。人は一人では生きていけない、だから一人では死ねない」こと。
 妻の貞雅は、出棺の時に「火葬場には行けない」という。NHKの取材クルーは、望遠レンズで妻の貞雅を狙っていた。玄関で一人泣き崩れる貞雅。それまで、夫の前では強い妻を演じていたのが、崩壊した一瞬であった。
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