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2017年10月 7日 (土)

さわやか 早川芳男くん 8月14日昇天し、付知で眠る

 「早川芳男くん」の三人の息子から連名で死亡通知をもらった。
 高校の文化祭・運動会の帰り、クラスメイト男女でコーヒーショップに入って騒いでいた。目の前に座っておんなじように興奮していたのが、彼「早川芳男くん」である。今から、ひゃー50年も前だ。そんな昔からの友人である。
 彼は、ちゃっかり、一番かわいいMさんと仲を温めていた。それは、卒業後、結婚前の思い出として・・・電車の中で落ち合って、海水浴デートをしたという。真っ白な水着が今でも目に浮かぶといってかなり高揚していた。
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 余計な知識だが、
 中津川市内には「早川」姓が多かったが、大体ルーツは付知だった。付知は、木曽義仲が京都へ上京した際の駐屯宿泊した場所、源氏の流れかもしれない。
 
 彼は猛然と勉強をして、悠々と神戸大へ入った。そして、どっちかといえば、文系の男だったが、ワンダーフォーゲル部に所属した。多趣味で、カメラと三脚を持ち歩き、バードウオッチングを趣味にしていた。「鳥にもプライバシーがあるだろう」との私のヤジにも負けず、多趣味であった。
 彼は卒業後は、日本最大の会社へ入り、昇進より趣味の充実をめざしていた。
 そして、自分の考えや見聞を書いて個人新聞を作った。その個人新聞が「さわやか」という名前である。毎月友だち100人以上に発送していた。時には、B4サイズが数枚入っていると、一通分が150円にもなる。紙代+郵送費だけで、ウン万円は必要だった。笠置山麓出身の(元国語の先生)奥方は黙って許していた。
 会社の方針で、整備士を育てる学校を作ると決まると、彼は率先して、立候補した。学校設置から生徒募集の業務に熱中した。会社の本流から外れることを望んだ気配があった。そのころ、中津川市の“七夕トーク”イベントに出ようと誘われて、一緒に宿泊して翌日の意見発表会に出席して、市民大勢の前で「七夕トーク」をした。
 
 そして、三人の息子たちは、立派に育ち、ますます趣味に没頭できるようになった。
 ワンダーフォーゲルの仲間と、世界中の山岳トレッキングを始めた。南米のマチュピチュの報告は「さわやか」新聞に満載であった。
 彼が遭難したのは、ヨーロッパ、オーストリアとスイスの間にある山岳地帯である。これはすでに、報告しているので、そっちを参照してほしい。
01
 最初は、車いすを駆使してあちこち歩きまわっていた。頸椎骨折だから、首から下がマヒはしていたが、頭は正常でいろんなことをトライしようとしていた。彼の細君は数年前の亡くなっていたが、彼が障碍者になってから、妻の趣味でもある短歌を習い始め、皇居の歌会始に投稿していた。それが生きがいものなっていた。
 
 震災後、神戸で単身赴任していた頃、同窓の誼で宿泊しさせてもらった。その夜は、港の船の中で船上パーティを企画してくれた。それには男子4人、女子4人だったとおもうが、それを全部彼のおごりであったと思う。
 そのころの写真でもあると、もっとよくわかるだろうが、今手元にあったら、元気な様子が見えるだろう。ま、そのうちに。
 愛知用水の恵みでできた湖、ボートレース場にもなっている場所を案内してくれた。広々した景色を見ながら、なんでも許してくれた妻を失って失意のどん底であった。 
10017  朝起きると、「おかあさん!」と、妻の写真に手を合わせて「むにゃむにゃ…今日も一日見守ってください」と祈っていた。オープンに自分の行動は見せていた。これがみんなに好かれる理由だったと思う。
 
 中学・高校生時から友人、僧侶になったA、高校トップ成績で入ったK、大学寮の隣室で肉腫で苦しんだT、松下電機のマレーシア工場長を務めたH、岐高卒の才能あふれるS、そして、いい思い出をくれて、付知出身の
彼も彼岸へ行ってしまった。
本州製紙の工場長の息子Kも事故で車椅子生活を経て亡くなった。
 この世の此岸がだんだん寂しくなる。
 誰も死なないなら、地上は人間であふれてしまう…と、誰か冗談を言っていたが、死んでいくのも生き方の一つだ。
 生きていると、生きている辛さがある。人間はそういう間で苦しみながら、ついでに重荷を背負っている。
 
 万博見学、万博ボランティア、ゴルフ、ハイキング、英会話、短歌教室、海外の高原歩き等の多趣味を満喫していた最期の年であった。
  ロッキーに堅香子(かたかご=かたくり)の花うつむきて恥じらふが如我らを迎ふ
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