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2017年9月

2017年9月28日 (木)

田舎の店で緑色のシュワーとする飲み物を飲んだ。

 昭和21年、小学一年生の私は、夏休みの宿題の習字を書いていた。夏休みの終わりで宿題に追い詰められていた。もう、やっつけ仕事でもいい終わらせたらいいという気分である。私の字があまりにも、いい加減で下手なのを見て、兄が手伝おうとして、私の背中から手を掴んだ。
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 研修医として郷里に帰ってきていた兄が、母が亡くなって兄が親代わりになっていた。みんな兄の威令に従う風になっていた。その式で、私にも兄は習字を書かせようとしていた。
 
Naku1  私の筆を持つ手を握り、兄の動かすように文字を書いているが、それでは自主的に書くとまるで兄の字とは違う下手な文字になる。再度、手を持たれて書かされて、今度は私が書くと、兄の満足できる文字にならない。それを何度繰り返しても、きれいな文字がかけないから、だんだん、兄はイライラして大きな声で叱りつけた。
 そうすれば、立場の弱い私が泣くしかない。泣かれては、もう兄は始末に負えないから、放り出して、外へ出て行った。
 
 めそめそしている私に姉が外へ誘ってくれた。
 夏の夕方は、少し黄昏ていた。姉の友人がきていたので、いっしょに中津川の駅前通りに出て、喫茶ルームような店~キリン亭に入った。NHK朝ドラ「ひよっこ」の“鈴ふり亭”のような店だった。
 駅前なのに店の前に川が流れていた。夕暮れて、ガラス窓は青やオレンジに内側の光が美しく見えた。戦後間もない時には、明るいというだけで、時代の変化を感じたのである。ドアを開けて中へ入ると、部屋は金魚鉢の中にいるような雰囲気。天井からなにか、きらきら光る紙がつるしてあった。
 部屋の中を不思議なものを見るようにキョロキョロしていると、盆に乗ったガラスのコップに緑色の飲み物が運ばれて来た。
 ストローで飲み物を飲むのも初めてだった。姉と姉の友達は、それぞれ慣れた調子でしゃべっていた。私は一人、この緑色の飲み物を眺めて、底から泡が立ち上って、表面にでて弾ける音を見ていた。シュワシュワと聞こえるこの音が、夏休みの一日が闇の中に消えていくように思えた。惜しみつつ全部飲んだころには、すっかり気分が良くなっていた。
 その後、このキリン亭へ一度も行かなかったし、このようなスッキリした味わいは体験しなかった。このキリン亭もすでに廃業してなくなっている。 夏、終戦直後の田舎町中津川の思い出である。
 その兄は,栃木県矢板で外科医院を開き、60数年後の今年1月に亡くなった。
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2017年9月19日 (火)

僧侶で医師の末期すい臓がん死を記録 NHK

000009 栃木県益子町の西明寺の住職の子に生まれた田中 雅博(たなか まさひろ)さんが、余命会数か月と知ったNHKの撮影クルーが、彼の死を最後まで記録した。
NHKの現場の人がひるみそうになるところを、当事者の田中さんは、葬式まで撮影しなさいと勧めてくれた。死を達観している僧侶でも、死を悟ると達観の正体がはがれて取り乱す人もいるという。
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 1000人を超える患者の死を看取ってきた医師が、がんで余命わずかと宣告された。看取(みと)りのプロが体現する「理想の死」とは?亡くなるまでの450日間に密着。
始まりは2年前の12月。末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された医師田中雅博さん(当時69)。医師として、僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせた「看取りのスペシャリスト」。
 しかし、次々と想定外の出来事が…。看取りのスペシャリストが見せてくれたありのままの450日の記録。
  主治医は、同じく医師であり僧侶である妻の貞雅(ていが)さん。夫の最期をどう看取るか、ふたりの葛藤の日々が続いた。000023
 田中 雅博(たなか まさひろ、1946年 - 2017年3月21日)栃木県芳賀郡益子町の西明寺で生まれる。父親の勧めで医師を目指し、東京慈恵会医科大学を卒業。国立がんセンターで研究所室長、病院内科医として勤務。大正大学に進学し、仏教を7年間学び、西明寺を継いだ。
 住職を務め、「病院にもスピリチュアル・ケアワーカーが必要」と1990年、境内に入院病床を備えた普門院診療所兼介護施設を建てた。2014年10月、末期の膵臓癌が発見、その後肝臓に転移。017年3月21日、死去。70歳没。
 栃木県益子町の普門院診療所で、妻貞雅と夫婦で緩和ケアを実践してきた。
患者の最期の意思を確認し尊重すること。また、がん患者の死の恐怖を取り除くために僧侶として耳を傾けた。
000026  3年前、田中にもすい臓がん(ステージ4b)が見つかり、肝臓やリンパにも転移。田中は患者から”死に方”を学んだから死ぬのは怖くない。田中夫婦はお酒が好きで、末期がんが見つかってからも変わらない生活を続けていた。
2017年1月18日、今年に入り田中の病状は急速に悪化。1月27日、田中は自分の葬儀のために用意した曲を聴いていた。
 田中は、父の急死を機に実家の寺を継ぎ、43歳で境内に診療所を開設。医師として患者の苦痛を和らげ、僧侶として患者の話に耳を傾けてきた。そして自分ががんになってからは自分の話も聞いてもらいたいと思ってきた。
000013 田中はDNR(=蘇生措置を拒否する意思)を示していた。DNR以外にも苦痛を抑えるための持続的鎮静という措置を望んでいた。彼は妻貞雅に苦痛に耐えられなくなったら眠らせてくれ、と伝えていた。
 2月3日、田中は言葉が出なくなった。田中は、親友の僧侶に葬儀の依頼を話していたが、言葉がうまく出てこず混乱していた。翌日も、混乱した状態はひどくなった。
「お願いします」と繰り返す田中に、取材者は「眠らせてくれ」と言っているように感じた。2月5日、「がん患者語らいの集い」に来た田中は「眠らせてください」と言い続けた。診療所に戻った田中は涙を流した。
 2月19日、田中に持続的鎮静を開始した。
 2月23日、貞雅は麻酔薬を止め、1日2回、田中を目覚めさせていた。貞雅は彼が少しでも長く生きられるように、無理でも体を動かさせた。また、点滴だけでなく、田中に好きなアイスを食べさせた。貞雅はなぜ自分は医師なのにガンの早期発見ができなかったのか、などと悔しがった。
 3月21日、取材陣に貞雅から「今朝7時20分 逝きました」というメールが来た。貞雅は心臓が止まったとき、つい心臓マッサージをして蘇生措置をしてしまったという。
葬式まで全部撮影しなさい、と言っていた田中の言葉通り、取材者は葬式まで取材を続けた。
 田中が取材者に教えてくれたことは「死はきれいごとではない、思い通りにいかない。人は一人では生きていけない、だから一人では死ねない」こと。
 妻の貞雅は、出棺の時に「火葬場には行けない」という。NHKの取材クルーは、望遠レンズで妻の貞雅を狙っていた。玄関で一人泣き崩れる貞雅。それまで、夫の前では強い妻を演じていたのが、崩壊した一瞬であった。
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2017年9月17日 (日)

明朗おしゃべり 聞く 話す 日本語クラブ

 「おしゃべり」の人の話す内容が、お互いの親密さにつながらないことが多いのに、私は一石を投じてみたいとおもって、「明朗おしゃべり日本語クラブ」を作りたいと思ったのです。
人との交流、考えていることの発信を主体に集まりを作れたら、人は頭の中に溜まっていることを外へ出せる。そういうサークルを作りたい。
 お互いに本当に言いたいことを伝える人の集まりが必要だと思うのです。
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  かつて、3分間スピーチを数年学んでいたので、それを基礎に考えていたが、立ち上がって話すのは、慣れない人には抵抗があるとの意見で、おしゃべりという形にした。しかし、雑談でもあるが、人に聞かせる内容のある考えを話す。人に伝える内容のある会にしていけたらと思っていますが、最初は愚痴でも、自慢でも、体験記でもいい。そういう話をしてもらえたらと思う。

 最近回想教室という12回シリーズの勉強会に参加している。それは、10歳から15歳の体験を思い出すことで脳の活性化することで、日常生活動作=ADL(Activities of Daily Living)を活性化できるという理論に従って、葛飾区は高齢者の健康に寄与している。
 インターネットで調べてみると、
 回想をアンチエイジングに活用している団体は、全国で葛飾区がトップを切っている。その点で、葛飾区が最先端であるようだ。まだ、その理論の説明が詳しくされていない。それができたら、もっと信ぴょう性が増すと思う。

 日常生活動作=ADL(Activities of Daily Living)
 これは、食事やトイレ、排便、排尿、入浴、洗顔、着替え、歩行、階段の上り下り、記憶、コミュニケーションなど、日常生活を送る様々な身の回りの動作。をさす。
 回想法(かいそうほう、life review)とは、アメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法の一つである
 私の進めたい「明朗おしゃべり聞く話す日本語クラブ」は、ここで学んだことも加味して展開できたらいいと思っている。例会では、、少年時代のことを思い出して、自分の人生を整理して、なおかつ日常生活動作(ADL)が活性化するなら、一つの成果と言えるでしょう。それで、自分の溜まっている頭の中身が発信できて、友達が増えたらいい。その実績を重ねながら、会の普及を進めたいと思っています。多くの方にお勧めしています。
 9月15日号(葛飾広報)ひろば欄に紹介されましたので、見られる人はご覧ください。
  回想法教室は、高齢期特有の抑うつ状態の緩和の心理療法と言われ、私たちのおしゃべり日本語クラブには、各人の気晴らしのレベルを基本に、普段思っていることを自己紹介のように話すことから始めます。
 
 楽しいおしゃべりを基本としているため、回想法は、お互いに話すことと聞くことですので、高額な費用を必要としません。
 認知症予防として回想法教室を開催して実践されている。その回想教室のOBによって、公民館や敬老館などで、その回想法が広げられている。

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 回想法(かいそうほう、life review)とは、
 アメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法である。

  回想法教室は、高齢期特有の抑うつ状態の緩和の心理療法と言われのが、正常だと思う人には、抵抗を感じられるかもしれないが、私たちのおしゃべり日本語クラブには、各人の気晴らしを基本にしたいと思うところから始めたいと思う。

 

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