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2017年9月

2017年9月28日 (木)

検証:前原誠司の否定的な評価

 待てよ、「永田寿康メール問題」「八ッ場ダムの迷走」を見直せ
Ws000020  前原誠司の性格の基本は、かつての「永田寿康メール問題」「八ッ場ダム事業の迷走」が表わしている。彼の行動が、大学の文化祭レベルの行動と評された。その後の影響は、民主党の政治手法と理解された。自民党の老獪さに手もなくひねられる原因だ。
 だから、共産党を排除する論理で野党統一しようとしたり、野党調整を進める論理をすっ飛ばして、根回し不足で「希望の党に乗り換え」行動をした。これではスキだらけだ。
  夜襲の戦いで、勝てばいいと思っているかもしれないが、前原誠司には、「普通の企業なら当然そなわっている危機管理と統治能力がなかった」と、以前の失敗に言われているが、今回も、足元を小池百合子に読まれているから、民進党員の審査を相手方に任せている。これは考えられないことだ。
 副代表だった弁護士の枝野幸男だったら、こんな落ち度をするだろうか。
 その結果、真山真一さんが寂しそうな顔をしていたのが気になる。
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 さて、今日の前原 誠司が進めている話である。
 人気のある小池新党「希望の党」への乗り換えは、新しいだけで、これが、間違っていないか?地味な野党間協調は手間がかり、効率がわるけれど、凡人の知恵だと思う。まだるこしい手間はやっていられないのかもしれない。焦って、特急列車に乗ったら、方向を間違えた?000044_2 頑固なリベラル派==辻元 清美(大阪10区)、逢坂誠二氏(北海道8区)、野田佳彦氏(千葉4区)、阿部知子氏(比例南関東)、赤松 広隆、有田芳生、枝野幸男、菅直人元総理・・・は、希望の党へ入れてもらえるか?(野田佳彦氏と菅直人は、細野さんが扱えないから排除。かつて、菅直人さんも新党を結成したときに、さきがけの武村正義代表を排除した)
無理かもしれない。あるいは、員数合わせに使われて、ポイかも。論客であればあるほど、それは無理。あるは、希望の党が自民党との合併でという舞台になったら、邪魔だ。
 
 話をはじめに戻して、
 民進党が希望の党の救援を得て生き残るために、頑固なリベラル派の首をはね、保守派「憲法改正、安全保障」の同意する仲間だけを入れましょう。と百合子さんに囁かれ、誠司さん、迷いに迷った挙句、選挙に落ちるのも、仲間を見限るのも、似たようなモノ、エイ!と決断したけど民進党内のリベラル派の首を切る結果になったが、その決断は正しかったのだろうか? 日本にできる二大政党は、リベラル派はなしか?
  
20091216203929eb8s  彼の歯切れのいい言論と風貌で、党内リーダーになって支持を得ているが、どうもそっそかしい点が気になる。
 小池百合子と会談した際にも、うまく乗せられた気がしてならない。誰か、もう一人横にいて会談の証人を置いて話しをするべきではなかったか?
 
 今までの彼の行動は、いつも、民主党の低落に大きくかかわっている。
 彼の選挙に強いといわれているが、「永田寿康メール問題」「八ッ場ダム事業の迷走」をきちんと検証したのだろうか。政治家にとっては、一局面かもしれないが、関係者にとっては、致命傷になる一大事だから、そう簡単に結論をくだせない。
 彼は、似たような行動をあちこちでしている。いつも彼の決断には瑕疵がある。だから、自民党のスパイではないか、と思われるのだ。日本新党を離党し、民主の風(院内会派)を結成した際、その離反について、週刊現代によると、細川夫人が前原を「恩を仇で返す薄情な男」と怒っていた。
 
 かれの子供時代の行動に、その原型(原点)がある。
 小学校の五・六年のとき、「失踪事件」がある。
 「両親が山陰出身ということで、幼少時から夏には墓参り等で列車に乗って出かけていた。SLも走っていたため、自然に鉄道が好きになった。一人で京都から祖父母の家へ行くことになった。米子から乗り換え境港に行く予定だった。境港駅に祖父母が迎えに来てくれていたが、いつまでたっても誠司が降りてこないで大騒ぎになった。
 誠司は、せっかくなので、米子で乗り換えず、その先のだ。それで、えらく怒られた。」
 彼の頭の中では、理屈が通っているが、周りに納得がない。迷惑をかけていることに頭が回っていない。この思考パターンが、今回の民進党の解体にも、その思考が残っている。
 
20091216203929eb8s 前原 誠司(まえはら せいじ、1962年(昭和37年)4月30日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(8期)、民進党代表(第3代)、凌雲会会長(第2代)。
 京都市左京区生まれ。両親は鳥取県出身(父親は境港市、母親は日野郡日南町)である。
 
 永田寿康メール問題
Photo 永田元議員は東大卒で大蔵省に入省。平成12年の衆院選で千葉2区から出馬して初当選し、当選3回だった。18年2月の衆院予算委員会で、当時のライブドア社長が自民党幹事長の次男への送金を指示したとするメールを取り上げたが、メールは偽物と判明。民主党から半年間の党員資格停止処分を受け、同党の前原誠司代表(当時)らが引責辞任。自身も18年4月に議員辞職した。
 昨年7月には、17年8月の国政報告会で創価学会が不正な選挙活動をしたとの偽った発言をしたとし、千葉簡裁から名誉棄損罪で罰金30万円の略式命令を受けていた。県警によると、永田元議員は昨年11月中旬にも、療養中の福岡県宗像市の保養施設を抜け出し、手首を切って自殺を図っていたという』
 記事に寄れば昨年11月中旬にも自殺を図ったという永田元議員。
 彼の姿を盆踊り会場で見かけたが、来賓とはいえ、若い国会議員は、他の人と会話もなく、手持無沙汰のようすで浮いていた。バッチがなければ、ただの若造。
 当時の前原党首が危機管理において未熟だった故に、ムザムザと「偽メール」を掴まされ、国会の場で失態を冒した民主党。その御陰で、自民党が耐震偽装やライブドアのホリエモンを候補者として担ぐという失態を冒したのを捕らえられず、自民党はまんまと危機を脱し、息を吹き返した。つまり、永田元議員(民主党)が掴んだ「偽メール」は日本の国益を損じ、自民党の賞味期限を引き延ばす結果をもたらした。

 そして3年後、「偽メール」は、永田寿康という元議員の命をも奪う結果をもたらした。私は永田寿康元議員の死は、実質的には「殺人」だったと考える。
 では誰が殺したのか!?
 永田元議員に偽メールを掴ませ、国会の場で大失態を生じさせた本当の卑劣者を糾弾しなくてよいのだろうか?新人議員の永田寿康をかばってやるべきところ、前原党首は彼を切り捨てた。これは、細川夫人が前原を「恩を仇で返す薄情な男」と怒っていたことと共通していないか?
 
  八ッ場ダム事業計画の迷走
 前原は国土交通大臣に就任直後2009年(平成21年)9月17日、国事業八ッ場ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)の建設事業について「(民主党の)マニフェストに沿って(事業を)中止します」と明言。
Kuroyonn_damu_2  これに対し、地元の意向を直接確認しないまま大型事業休止の方針発表した。
 とくに八ッ場ダムについては共同事業者である関東各都県の知事を始めとする地元関係者の反発を招いた。
 また前原は、ダム建設事業については10月9日に国土交通省直轄ダム建設事業の56事業のうち、改修事業を除く48事業について「2009年度は
(ダム事業を“調査・設計”→“用地買収”→“生活再建工事”→“転流工工事”→“本体工事”という段に区切った場合における)新たな段階に入らない」ことを表明、ダム建設事業を全面的に見直す立場を示した。
 完成寸前のダム(長井ダム、胆沢ダムなど)も存在しており、各地で反対の声が上がっている。 八ッ場ダム事業計画は、一時停。し、政権が自民党に戻ると、再び始まった。
 八ッ場ダム事業計画は、完成予定が次々延びて、一向に完成のめどもわからず、水需要の変化もあって、必要性があるか、その目的が不明になっていたのは、民主党の主張も理解できるが、その計画の中に組み込まれて複雑な利害関係、つまり人間関係を無視して、切り込んだ結果、民主党政権の思惑通りには行かず、前原国交相の力不足を露呈した。
 
参考資料
巨大な「八ツ場ダム」 完成しない公共工事: nozawa22
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2011/12/nozawa22-8e26.html
治水とダムについての見識 宮本博司: nozawa22
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2009/10/post-13a4.html
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ようやく革命の波が日本にやってきた。

  2010年大規模反政府デモが起こり、チュニジャアではスミン革命と言われ、アラブ世界に波及した。
 チュニジア、エジプト、リビア、イエメン、アルジェリア、モロッコ、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、イラク、クウェート、バーレーン、オマーン、1163pxarab_spring_map大規模なデモに発展のシリア、モーリタニア、西サハラ、スーダン、ジブチ、ソマリア 香港では雨傘革命とか、・・・の春という市民革命の波が押し寄せていた。
 が、日本やアジアは遅い。来ないのかと思ったが、小池百合子が中心になって始めた一種の革命だとみると、この騒動が理解できるのではないか?
 貴族(議員)による革命の形で、小沢一郎がやろうとして、(見方はいろいろだが)裁判という体制につぶされた。それを引き継いでいるのが、郵政反対した人たちがかもしれない。小泉の郵政反対というのは、アメリカの支配に抵抗しているとみるとわかりやすい。
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 さて、話は今日の進行中の話である。
 民進党の前原誠司代表が、来月10月22日の次期衆院選に、
000031 「どんな手段を使ってでも安倍政権を終わらせる。野党がバラバラでは選挙に勝てない」と述べ、民進党は公認候補を擁立しない方向で調整している。
 
 000059 前原氏「安倍政権終わらせる バラバラでは選挙に勝てない」と言っていたから、何をするかと思ったら、民進党を解党して、新しい小池党「希望の党」へ合流する意向だ。衆議院議員80数名の民進党が、10数名の小池新党「希望の党」の軍門に下るようなものだが、なりふり構わず、合流しないと当選がおぼつかない。そこまで民進党人気が落ちていることを自覚している。
 たしか、都議会選挙で都民ファーストが勝ち続けて、議会の半数を占めたのに、民進党はたった5名だ。現議員が辛うじて残った程度。この都議選の状況がその後、衆議院議員選挙に反映すると、事情通には言われている。
 
 今「小池人気」が盛り上がっていると、このまま人気という「怪物」が驀進していったら、都議会の自民党が壊滅したように、衆議院議員も壊滅・・・という恐怖が・・・なにしろ、議員は落選したら「(無職の)ただの人」になるから、こわい。
 
000057  安倍総理の今なら勝てると見込んだ、民進党の混乱・不人気、小池新党の準備不足が、意外な小池側の準備が進んでいたのだ。総理側の慢心がリサーチ不足だった。今解散を打てば、加計問題、森友問題をすっ飛ばせると踏んだにも関わらず、大失策だ。きっと、選挙になったら、国会冒頭解散をしつこく突かれるだろう。
 消費税を幼児。学生のために費やすというが、消費税問題は、民進党の政策の抱き着きだ。抱き着いた政策にしたら、民進党は論争ができないだろう。そういうズルイやり方を自民党は、得意。相手の政策を取り上げて抱き着く。そうしたら、政権側が有利。
 
 000042 新しい党の小池さんには、人気があるけど、金と組織、人材がない。それを補完できるのが民進党ということで、前原さんは「日本新党」の同期デビューで親しい関係だから、話がしやすい。それに、自由党の小沢一郎は師匠にあたる。知恵が借りられる。そこで、話が発展したのは民進党の「助成金」と組織、人材だ。
 
 
 000063 民進党は政党助成金を貯めているから、「みんなの党」は10億近く残っていたのを国庫へ返したが、小池百合子と前原さんの会談で「党」を残して、政党助成金を「希望の党」で使えるようにしようと決めた。小沢一郎の知恵だろう。
https://youtu.be/B4c2KZ-f-P8
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追加資料

356 小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年〈昭和27年〉715

 日本の政治家。東京都知事(第20代)。「希望の党」代表、地域政党「都民ファーストの会」特別顧問。アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身。

テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター(初代)、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、総務政務次官(細川内閣)、経済企画総括政務次官(小渕第2次・第1次森内閣・第2次)、環境大臣(第567代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、防衛大臣(第2代)、自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)、自由民主党国際人材議員連盟会長、都民ファーストの会代表などを歴任した。

 

 兵庫県芦屋市生まれ。芦屋市立岩園小学校、甲南女子中学校を経て、甲南女子高等学校卒業。神戸市で貿易商を営んでいた。父は「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、衆議院議員総選挙(196912)に立候補したが落選。実母は塩田地主(赤穂市)の小川家の出身。父親の会社の都合で家族が東京・六本木に

 カイロ市のアメリカン大学でアラビア語を修め、カイロ大学に移って卒業。アラビア語の通訳として活動。PLO議長アラファトやリビアのカダフィの会見

 「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」との理由で、前熊本県知事の細川護熙が結党した日本新党に入党。

 

 2005年の第44回衆議院議員総選挙で、郵政民営化法案に反対の小林興起(東京10区)に刺客として立候補。小泉純一郎の意向で比例区上位に優遇される措置が取られたが、優遇の措置を辞退して選挙に臨んだ。結果、民主党の鮫島宗明や小林を大差で破り、5選。

20089月、自由民主党総裁選挙に立候補。女性の自民党総裁選出馬は史上初。結果は、麻生太郎、与謝野馨に次ぐ3位。地方党員票は麻生に次ぐ2位、1位総取り方式のため、0票であった。

   

2009年の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区では民主党新人の江端貴子に敗れ、比例東京ブロックで復活当選。20109月、自由民主党総務会長に就任。2012年東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。自由民主党広報本部長に就任。2014年の第47回衆議院議員総選挙で8選。

 

2016年、東京都知事選挙に立候補、当選(2912628票、女性知事は初めて)。

『政党がコロコロ替わる』ご指摘もいただいているが、私の主張、思想、そして信念は一度も変えたことがない。

 病歴 1997年末には盲腸の手術、翌19985月には子宮筋腫の手術。子宮全摘出で3週間入院。2006329日、肺炎により40度近い熱を出し脱水症状で入院。

 

 2012年、作家の大下英治によるインタビューで、「自由党の時に広報戦略を担当していた時の面白い資料が出てきたんです。

 『(小沢一郎は)先見性があるリーダーである。

 決断力がある、正論を言う、実行する、先送りしない、本音を言う、役人に使われない。政策を重視する……』と続くんですが、政策はあるけれども、それ以上に政局が第一。今回の新党(国民の生活が第一)で、小沢さんは政局を目的化しすぎ、 政権を取った時、言っていた政策と行動があまりにも違う」

2大政党制による政権交代可能な政治制度を作ると小選挙区制を導入した。小選挙区制度では新党を作るのは不利だと一番分かっているのが小沢さんなのに、民主党を離党して4回目の新党を作った」

 

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田舎の店で緑色のシュワーとする飲み物を飲んだ。

 昭和21年、小学一年生の私は、夏休みの宿題の習字を書いていた。夏休みの終わりで宿題に追い詰められていた。もう、やっつけ仕事でもいい終わらせたらいいという気分である。私の字があまりにも、いい加減で下手なのを見て、兄が手伝おうとして、私の背中から手を掴んだ。
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 研修医として郷里に帰ってきていた兄が、母が亡くなって兄が親代わりになっていた。みんな兄の威令に従う風になっていた。その式で、私にも兄は習字を書かせようとしていた。
 
Naku1  私の筆を持つ手を握り、兄の動かすように文字を書いているが、それでは自主的に書くとまるで兄の字とは違う下手な文字になる。再度、手を持たれて書かされて、今度は私が書くと、兄の満足できる文字にならない。それを何度繰り返しても、きれいな文字がかけないから、だんだん、兄はイライラして大きな声で叱りつけた。
 そうすれば、立場の弱い私が泣くしかない。泣かれては、もう兄は始末に負えないから、放り出して、外へ出て行った。
 
 めそめそしている私に姉が外へ誘ってくれた。
 夏の夕方は、少し黄昏ていた。姉の友人がきていたので、いっしょに中津川の駅前通りに出て、喫茶ルームような店~キリン亭に入った。NHK朝ドラ「ひよっこ」の“鈴ふり亭”のような店だった。
 駅前なのに店の前に川が流れていた。夕暮れて、ガラス窓は青やオレンジに内側の光が美しく見えた。戦後間もない時には、明るいというだけで、時代の変化を感じたのである。ドアを開けて中へ入ると、部屋は金魚鉢の中にいるような雰囲気。天井からなにか、きらきら光る紙がつるしてあった。
 部屋の中を不思議なものを見るようにキョロキョロしていると、盆に乗ったガラスのコップに緑色の飲み物が運ばれて来た。
 ストローで飲み物を飲むのも初めてだった。姉と姉の友達は、それぞれ慣れた調子でしゃべっていた。私は一人、この緑色の飲み物を眺めて、底から泡が立ち上って、表面にでて弾ける音を見ていた。シュワシュワと聞こえるこの音が、夏休みの一日が闇の中に消えていくように思えた。惜しみつつ全部飲んだころには、すっかり気分が良くなっていた。
 その後、このキリン亭へ一度も行かなかったし、このようなスッキリした味わいは体験しなかった。このキリン亭もすでに廃業してなくなっている。 夏、終戦直後の田舎町中津川の思い出である。
 その兄は,栃木県矢板で外科医院を開き、60数年後の今年1月に亡くなった。
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2017年9月24日 (日)

隣りの家のフクの肉は、うまかった。

25 恵那山は、中津川駅から見ると 目の前の山である。だから、中学の校歌にも歌われ、恵那山はもう我々のしみついている存在である。中津川市と恵那山は切っても切れない関係で、生まれたときから、続いている。
 昭和20年3月過ぎ、米軍に硫黄島を奪われてから、B29が毎日定期便のように、恵那山の上に現れた。中津川市から見ると、B29 は恵那山の真上を飛んでいて、飛んだ航跡が雲のような筋をたくさん残した。その航跡が多すぎて、青空が曇りのようになることもあった。
 地元の人は、空襲警報が鳴っても、慣れっこになって、米軍機を眺めていた。うちの家族も、二階の窓を開けて恵那山の上を眺めていた。日本軍の飛行機が迎撃して戦いになることはめった無かったが、時には日本軍の戦闘機が戦いを挑み、米軍の後尾につけて追い掛けると、地上から拍手したりした。後尾につかれる米軍機はと逃げ出した。足が速かった。
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 恵那山の上で戦っていると、子供心に思っていたが、角度からすると、駿河湾に空母に乗せられた艦載機が日本の都市を空襲にきて、相模湾の上空に舞い上がった姿が見えるのだと、大人が説明していた。
 新聞は、夕刊がなくなり三紙合同になり、夫が出征した家のIさんのお母さんが配達していた。新聞がななり溜まっていて、新聞紙をノートと交換してもらえると喜んで交換して、たぶん10冊もノートをもらったように記憶している。
 
 そのころ、空襲で動物が脱出を恐れて、軍の指令で上野動物園では、猛獣は射殺とか、象は餓死をさせた。食料は乏しくて、名古屋の東山動物園も大型動物は処分されていた。民間の家で、愛玩用に犬を飼うのは、近所の手前、憚れれることだった。隣りのF岡さんでは、柴犬のフクを飼っていた。時々、我が家に顔を出すこともあったので、フクは顔見知りの仲であった、国道沿いの我が家も、隣りのF岡さんも、農家ではないから、配給以外の食べ物を獲得するのは必死であった。
 
122008_9_dog_49_2  フクの肉をボールにいれて、奥さんが持ってきたのは、夕方だった。
隣りの家のフクは、時々塀の隙間をくぐってウチにもきたから、知っている。ごく普通の茶色の短髪の柴犬である。戦前には毛の長いスピッツが来るまでは、短い毛の犬ばかりだった。(画像はイメージです)
 しかし、その犬を処分しなければならないのは、社会の空気があったのは、確かだ。犬を飼っている家はなかった。飼っているとすれば、鶏だ。
 そうだ、うちにはヤギを飼っていて、ヤギの乳を飲まされて、育ったといわれた。
 国道のうちには、鶏小屋が庭にあり、ひよこから飼っていた。卵をよく産む白色レグホンの卵を抱かせて・・・。鶏も一年に一回巣篭って一か月は抱卵時期には、餌は食っても卵を産まないから、はやく抱卵時期を終わらせる工夫をした。瀬戸物の卵を抱かせるとか。地面に腹をつけて腹を冷やさせるとか。素人の養鶏にも工夫が必要な知識であった。
 10羽くらいを群れで一緒に飼っていて、雄が鶏冠が伸びだして、こいつが雄、後多くが雌となって卵を産む。メスだと思っていたのが雄だという場合もある。
 夕方、F岡さんが、フクを殺したからと、ボールに入れて「いちばんいいところを持ってきた」と、フクの肝臓をどんぶりに一杯くらいをくれた。姉は、玄関に正座して隣りの奥さんの話を聞いていた。19歳の姉は、母が入院中は我が家の主婦をしていたので、近所向こう三軒両隣の主婦の仲間に入って、戦時中の配給や金属供出の仕事を懸命にこなしていた。
 主婦は、十人近くいたが、主人が出征している家や出征はしないもう45歳以上の家など、または、鉄道機関区で必要とされる人はいた。多種多様な家の主婦に囲まれて、19歳主婦代行は、鍛えられたと思う。大人の会話を4歳位の私は、黙って聞いていた。
 姉は、この数日前には、たぶん近所の人から蚕のむつをたくさんもらって、グツグツ煮て佃煮にしようとしていた。ムツは池の鯉の餌にするものだから、嗅いでみれば、今も昔も匂いは同じだからわかるが、生臭いし、とても食べれたものではない。まずい。
 たぶん、酒を入れて生臭さを消して、味付けに砂糖がいるのではないか。折角労苦を重ねて出来上がったムツの佃煮は、誰も食べたがらないから、どうしたのだろう。姉も自分の作った料理は、私には何も説明しないで、消えていた。鶏のエサにしたのかも。
 F岡さんから頂いた肉は、夕飯のとき、すき焼きになって出された。
 しばらく食べていない肉の味に飢えていた我が家の人たちは、夢中になって食べた。ごはんも麦飯だったと思うけど、実においしかった。
  なんで、あんなに大量の肉をくれたのか。考えてみるに、愛していたフクを食うということが、出来なかったのだと、だいぶ経って、ようやく思い至った。
 
 腹一杯になった夜は、卓袱台をかこみ、結構騒いだり歌ったしていた。母はいないし、父は出征しなかったが、仕事が遅くなり父も帰って来なかった。けれど、姉、兄二人、すぐ上の姉など5人と赤ん坊いたから、にぎやかで、ちっとも寂しくはなかった。
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2017年9月19日 (火)

僧侶で医師の末期すい臓がん死を記録 NHK

000009 栃木県益子町の西明寺の住職の子に生まれた田中 雅博(たなか まさひろ)さんが、余命会数か月と知ったNHKの撮影クルーが、彼の死を最後まで記録した。
NHKの現場の人がひるみそうになるところを、当事者の田中さんは、葬式まで撮影しなさいと勧めてくれた。死を達観している僧侶でも、死を悟ると達観の正体がはがれて取り乱す人もいるという。
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 1000人を超える患者の死を看取ってきた医師が、がんで余命わずかと宣告された。看取(みと)りのプロが体現する「理想の死」とは?亡くなるまでの450日間に密着。
始まりは2年前の12月。末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された医師田中雅博さん(当時69)。医師として、僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせた「看取りのスペシャリスト」。
 しかし、次々と想定外の出来事が…。看取りのスペシャリストが見せてくれたありのままの450日の記録。
  主治医は、同じく医師であり僧侶である妻の貞雅(ていが)さん。夫の最期をどう看取るか、ふたりの葛藤の日々が続いた。000023
 田中 雅博(たなか まさひろ、1946年 - 2017年3月21日)栃木県芳賀郡益子町の西明寺で生まれる。父親の勧めで医師を目指し、東京慈恵会医科大学を卒業。国立がんセンターで研究所室長、病院内科医として勤務。大正大学に進学し、仏教を7年間学び、西明寺を継いだ。
 住職を務め、「病院にもスピリチュアル・ケアワーカーが必要」と1990年、境内に入院病床を備えた普門院診療所兼介護施設を建てた。2014年10月、末期の膵臓癌が発見、その後肝臓に転移。017年3月21日、死去。70歳没。
 栃木県益子町の普門院診療所で、妻貞雅と夫婦で緩和ケアを実践してきた。
患者の最期の意思を確認し尊重すること。また、がん患者の死の恐怖を取り除くために僧侶として耳を傾けた。
000026  3年前、田中にもすい臓がん(ステージ4b)が見つかり、肝臓やリンパにも転移。田中は患者から”死に方”を学んだから死ぬのは怖くない。田中夫婦はお酒が好きで、末期がんが見つかってからも変わらない生活を続けていた。
2017年1月18日、今年に入り田中の病状は急速に悪化。1月27日、田中は自分の葬儀のために用意した曲を聴いていた。
 田中は、父の急死を機に実家の寺を継ぎ、43歳で境内に診療所を開設。医師として患者の苦痛を和らげ、僧侶として患者の話に耳を傾けてきた。そして自分ががんになってからは自分の話も聞いてもらいたいと思ってきた。
000013 田中はDNR(=蘇生措置を拒否する意思)を示していた。DNR以外にも苦痛を抑えるための持続的鎮静という措置を望んでいた。彼は妻貞雅に苦痛に耐えられなくなったら眠らせてくれ、と伝えていた。
 2月3日、田中は言葉が出なくなった。田中は、親友の僧侶に葬儀の依頼を話していたが、言葉がうまく出てこず混乱していた。翌日も、混乱した状態はひどくなった。
「お願いします」と繰り返す田中に、取材者は「眠らせてくれ」と言っているように感じた。2月5日、「がん患者語らいの集い」に来た田中は「眠らせてください」と言い続けた。診療所に戻った田中は涙を流した。
 2月19日、田中に持続的鎮静を開始した。
 2月23日、貞雅は麻酔薬を止め、1日2回、田中を目覚めさせていた。貞雅は彼が少しでも長く生きられるように、無理でも体を動かさせた。また、点滴だけでなく、田中に好きなアイスを食べさせた。貞雅はなぜ自分は医師なのにガンの早期発見ができなかったのか、などと悔しがった。
 3月21日、取材陣に貞雅から「今朝7時20分 逝きました」というメールが来た。貞雅は心臓が止まったとき、つい心臓マッサージをして蘇生措置をしてしまったという。
葬式まで全部撮影しなさい、と言っていた田中の言葉通り、取材者は葬式まで取材を続けた。
 田中が取材者に教えてくれたことは「死はきれいごとではない、思い通りにいかない。人は一人では生きていけない、だから一人では死ねない」こと。
 妻の貞雅は、出棺の時に「火葬場には行けない」という。NHKの取材クルーは、望遠レンズで妻の貞雅を狙っていた。玄関で一人泣き崩れる貞雅。それまで、夫の前では強い妻を演じていたのが、崩壊した一瞬であった。
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2017年9月18日 (月)

満州第七三一部隊(関東軍防疫給水部本部)の真実 NHKスペシャル準拠

国家の意思による戦争について、過去の事実を伝える人が減ってしまい、私には肩書も権威もないのですが、「大東亜戦争」「太平洋戦争」を語らなければと、痛感しています。まあ、古い人間の愚痴だと思って聞いてくれたら、ありがたい。Ws000002

伝聞として、資料を読んで知ったことを語るとすると、他人の文章や体験をわがことのごとく語ると、著作権とか、個人の権利を侵すことになるだろう。それをあえて、国民の遺産、財産としてだれでも引用できる(デジタル、バーチャルの)歴史博物館にしていきたい。と、改めて伝えたい。

虫さえ「キャー!」と騒ぐ都会の女性に、七三一部隊の真実を見ろと言って、直視できるだろうか。

以上、書き始めるにあたり、平和憲法、戦後教育を受けて育った人間として、日本の来し方行く末を「書いてみたい」と、ブログ再開にあたり・・・ちょっと言っておきたいと・・・。

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000005 秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊は、日本帝国陸軍の研究機関のひとつ。満州に拠点をおき、防疫給水=兵士の感染症予防や衛生的な給水体制の研究を主任務とする。同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあったそのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行った。 

 

 1932年(昭和7年)8月に陸軍軍医学校防疫部の下に石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室が開設された。同時に、満州への研究施設の設置も着手、出先機関として関東軍防疫班が組織され、翌1933年(昭和8年)ハルビン東南70kmの背陰河において研究が開始された。

 1936年(昭和11年)423日、関東軍参謀長 板垣征四郎によって「在満兵備充実に対する意見」における「第二十三、関東軍防疫部の新設増強」で関東軍防疫部の新設が提案され、同時に関東軍軍馬防疫廠も編成されている。

 

000017  人体実験の被験者は、捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には、一般市民、女性や子供が含まれていたという[34]。ジャーナリストの西野瑠美子によれば、731部隊が性別、年齢層、人種を超えた、幅広い実験データを必要としたためであり、女性マルタは主に性病治療実験の材料になったという[35]。
731部隊の人体実験に関わった上田弥太郎は、自らの研究プロジェクトに関する手記の中で、マルタの様子について次のように言及している。
 すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる。同胞を囲んで8つの眼がかたずをのんで見守っているが、誰も口を開く者はいない。(中略)ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。彼らがこの中に入れば、その名前は胸につけられたアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。私たちは、マルタ何本と呼んでいる。
 000004 高い外壁で囲まれ、コンクリート造りの特設監獄(「マルタ小屋」と呼ばれた)に一度収容されると、脱出は極めて困難であったといわれる。石井四郎付き運転手であった越定男は、野外の安達細菌爆弾実験場で脱出を試みたマルタたち40人をトラックで轢き殺したとして、次のように証言している。「一度、縛られていたマルタおよそ40人が、お互いに縄をほどき合って、散り散りになって逃げたことがあります。しかし、遠隔地の空港ですから、逃げおおせる場所はありません。トラックで次々に彼らを轢き殺しました。前輪でひっかけたり(中略)、轢いた時は衝撃を感じました」。(元隊員の郡司陽子の証言

 

 マルタの人数は、3,000人以上とされる。731部隊の「ロ号棟」で衛生伍長をしていた大川福松は、2007年に「毎日2〜3体、生きた人を解剖し(中略)多い時は1日5体を解剖した」と証言(ハバロフスク裁判、川島清軍医少将731部隊第4部長の証言)

 

000005_2  元731部隊員で中国の撫順戦犯管理所に1956年まで拘留され、帰国後は中国帰還者連絡会(中帰連)会員として活動してきた篠塚良雄は、当時14歳の少年隊員として「防疫給水部」に配属され、ペスト患者の生体解剖に関わった。篠塚は帰国後、高柳美知子との共著の中で、中国人の生体解剖の様子を語っている。

 

「ワクチンなしでペスト菌を注射されたその男性は、2、3日後には、高い熱が出て顔色が悪くなり、その翌日くらいには瀕死の状態で顔が黒っぽく変わっていき、この男性はまだ息のある状態で裸のまま担架に乗せられ、私たちが待機している解剖室に運ばれてきました。

 大山軍医少佐から「はじめよう」の命令がでました。

 細田中尉が、目でメスをわたすように私に合図します。足かせ手かせで固定された男は、カッと目を見開き、この凶行を確かめるように首を回しましたが、体の自由はききません。男は無念の涙を目にたたえ、天井の一点を見つめています。何か叫びを発しようとしているようですが、乾ききった口からは声は出ず、わずかに口を動かすだけです。男の首をなで回していた細田中尉が、右手のメスでズバリと頸動脈に沿って切り下げました。血がジューッと流れ出しました。

 男は、ペスト病の苦しみと、切りさいなまれた痛さで首を左右に振り回します。そのたびに顎にかかっている首かせが食い込み、ついにガクリと首をたれ失神しました。私はあわてて血を抜き取りました。

 ビタカン(ビタミン剤とカンフル剤を混合したもの)を4本打っても、男の鮮血を絞ることはできません。「鬼子ッ!」男は憎しみの火と燃える一言を絞り出すとスーッと顔色が代わり、呼吸が止まりました。

「解剖刀をよこせ」細田中尉は、解剖刀を逆手に握ると、上腹部から下腹部へ得意然として切りさいなみ、骨を切るノコギリを引いて肋骨を引き切り、内臓の全部を露出させました。」
 

 生体実験では、日本人が犠牲になることもあったという。

 篠塚はペストに感染した友人の少年隊員であった平川三雄の生体解剖に立会った時の様子を、次のように語っている 。
「平川三雄は、すでに特別班の隊員によって真っ裸にされ、解剖台にかつぎ上げられているところでした。

 うつろに開かれた眼には涙が溢れ、口をダラリと開けてハーハー苦しそうに息をはき、そのたびごとにビクビク腹を波うっていました。

「少佐殿、少佐殿」平川の必死な叫びが、部屋にむなしく響きます。私の頭の中には、石井部隊に入隊するとき、「三雄と仲良くしてやってネ」と私の手に小さなくだもの籠をわたしてくれた平川の母親の顔が浮かびました。また、それ以来、共に過ごした生活が渦を巻いて脳裏に押し寄せてきました。

「助けてやりたい」そう思った私の手が、止血剤を取ろうと薬物箱に伸びようとした瞬間、平川の全身をつつきまわして検査していた大山少佐の命令がかかりました。「はじめろッ」

 江川技手は、解剖刀を逆手に握ると上腹部を刺しました。「助けてくれーッ」平川の口からうめきがもれると、江川技手の手が震えました。「その態はなんだ」後ろから一喝を食った江川技手は、サーッと解剖刀を下にひくと、かえす刀で胸部の皮膚をさきはじめました。血は解剖台の血流しを通じて、下にボタボタ流れ出しました。「畜生!」平川の口から、血をしぼる叫びが出ました。それと同時に、解剖台上に内臓がズッズーッとはみ出て、彼は絶命しました。」
(篠塚は、2007年には中国のハルピンへ行き、遺族や被害者に謝罪をしている。田辺敏雄は、こういった中帰連関係者などの証言について、撫順戦犯管理所での「教育」によって「大日本帝国による侵略行為と自己の罪悪行為」を自己批判させられた者の証言として、信憑性を疑問視している)。
 

 

 731部隊では、ガス壊疽えそ実験、凍傷実験、銃弾実験など、人体を極限まで破壊すると、人体はどのくらいの期間持ちこたえることができるのか。どのように治療すれば回復させることができるのか。生理学的な研究も頻繁に行われた。

 

 731部隊の女性隊員郡司陽子は、安達実験場での細菌爆弾の効果測定にマルタが使用されたことを示す証言を聞き出している。

「やがて特別出入口から、「丸太」たちが、1回に2、30人、看守に護衛されて出てきた。一列に数珠つなぎにされている。中国人、ロシア人、ときおり女性の「丸太」も混じっていた。服装は私服のままだった。

 覆面トラックから「丸太」たちは降ろされ、一人ひとりベニヤ板を背に立たせられ後ろ手に縛られ、ベニヤ板にさらに縛りつけられる。足は鎖で繋がれていたように思う。胸にはられた番号と位置とが確認されていく。

「丸太」たちの表情はまったく動かず、抵抗もなかった。なかには、目隠しを拒否する「丸太」もいた。毅然と胸を張ってベニヤ板を背に立っている「丸太」の水色の中国服の色が、いまだに瞼にやきついている。

 

 まもなく低空で近づいてくる双発の九九式軽爆撃機が、鈍い爆音とともに「標的」の中心の棒をめがけて、20キロ爆弾、30キロ爆弾を投下した。「ドカーン」という爆発音が、自分たちの耳にひびいてきた。

 爆撃機が飛び去り、黒煙が収まると、すぐに現場にかけつける。防毒衣、防毒マスクで完全に防護された自分たちが見た現場は、むごたらしいものだった。そこは、「丸太」の地獄だった。「丸太」は、例外なく吹きとばされていた。爆撃で即死した者、片腕をとばされた者、顔といわず身体のあちこちからおびただしい血を流している者‐あたりは、苦痛のうめき声と生臭い血の匂いとで、気分が悪くなるほどだった。

 

 そんななかで、記録班は冷静に写真や映画を撮り続けていた。

 爆弾の破片の分布や爆風の強度、土壌の情態を調べている隊員もいた。自分たちもまた、てきぱきと「丸太」を収容した。あとかたづけは、実験内容の痕跡を残さないように、ていねいに行われた。「丸太」は死んだ者もまだ生きている者も一緒にトラックに積みこまれた」


 マルタを強制して性行為を行わせ梅毒を感染させ、梅毒にかかった男女を小部屋に入れて、再び性行為を強制した。

 性行為に立ち会ったという元隊員は、「目の所だけが開いている白い袋のような帽子を、頭からすっぽりかぶり、白衣を着て、まわりに立っておった。4、5人が見ている前で、セックスをさせたんですよ。モーゼル拳銃を構えているから拒否することはできないわけですね。」と語っている。(西野瑠美子とのインタビュー)

 

 マルタが性病に感染すると、その経過を丹念に観察して、1週間後、3週間後、1ヶ月後における病気の進行状態を確認した。研究者は性器の状態など外部的兆候を観察するだけでなく、生体実験を行って様々な内部器官の病気がどの段階に達しているかを検査した。

000010  乳児を氷水の中に漬けた際の温度変化が記録されていることから、実験中のレイプにより生まれた乳幼児、あるいは731部隊に捕えられる前から妊娠中だった女性マルタが出産した多くの乳幼児が凍傷実に使用されたものと西野は考えている。(731部隊の研究員吉村寿人(京都府立医科大学の学長)が戦後に発表した論文)

 1945年8月9日のソ連軍の満州への侵攻直後、731部隊の施設建物が大量の爆薬によって破壊された。常石敬一は、この破壊は証拠隠滅であったとする。秦郁彦は、終戦時には、生存していた40~50人のマルタが証拠隠滅のために殺害されたと推測している。

000012主要なメンバーは帰国してしまって、ソ連軍侵攻まで残務整理をしていた隊員が捕虜として裁判にかけられた。

 

 元隊員の越定男によれば、マルタは青酸ガスを噴出させて殺害するか、銃で脅しながらマルタ2人を互いに向かい合わせ、首にロープを巻き、その中央に棒を差し込んで、2人にねじらせることで殺害した。

 作家の森村誠一は、マルタの毒ガスによる集団殺戮を目撃したとする以下の元隊員の証言を聞き出している。
「マルタの中の数人は毒ガスで死にきれず、鋼鉄製のドアをたたき、苦悶のうなり声をあげのどをかきむしって苦しんでいた。特別班員がゆっくりと近づき苦悶するマルタを胸に向けてモーゼル拳銃の引き金を引いた。殺したマルタの足を引っ張って、7棟横にあった大きな穴の中に、次々と死体を放り込み、ガソリンと重油をかけ、火をつけた11日の午後だったと記憶している。

 731の焼却炉は、生首の標本や細菌培養の寒天、膨大な書類や器具を焼却するためふさがっていて、マルタの死体はなかなか燃えなかった。しかし撤収は一刻を争う。浮き足立った特別班員らは死体焼却作業の半ばで土を掛け、逃亡したため、土の中から手足が突き出ており、とても証拠隠滅の役を果たしていない。

 部隊幹部がこの状況を見て『もう一度死体を掘り出し、完全に焼いてしまえ』と命令した。目をむいて硬直しているマルタの死体を掘り出す役目に当たった隊員らは、吐き気をこらえながら作業を続けた。」

 また、元隊員の篠原鶴男は、マルタの処理のことを次のように証言している。

 「明けて10日、ロ号棟の監獄の部屋に私たちは、12号まである監獄の爆破作業にとりかかりました。12号室の壁に爆薬をしかけるために入ると、白っぽい壁に血書を見ました。

 

 12階の「陳列室」をはじめ第一部各課研究班には、ホルマリン容器に入った生首、腕、胴体、脚部、各種内臓の標本が、伝染病の種類や病状ごとに計1000個ほど保存されており、これらは夜陰に乗じて松花江に投げ捨てられたという。さらに、増産を重ねてきた各種細菌のストック、夥しい数のネズミ、数億匹のノミ、解剖記録、病理記録、細菌培養記録などは掘った穴に集められ、重油で焼却されている。その後、施設建物が大量の爆薬によって破壊された。

 

 厚生労働省の集計によれば、1945年(昭和20年)の終戦直前における所属人員は3560人(軍人1344人、軍属2208人、不明8人)だ。この間、19428月から19453月には関東軍防疫給水部長が石井四郎から北野政次軍医少将に代わっていたが、引き続き731部隊などは石井の影響下にあったと見られる。
 1945年(昭和20年)8月、ソ連対日参戦により、731部隊など関東軍防疫給水部諸部隊は速やかに日本本土方面への撤退が図られた。大本営参謀だった朝枝繁春によると、朝枝は810日に満州に派遣され、石井四郎らに速やかな生物兵器研究の証拠隠滅を指示したと言う。この指示により施設は破壊され、部隊関係者の多くは815日までに撤収したが、一部は侵攻してきたソ連軍の捕虜となり、ハバロフスク裁判000006 で戦争犯罪人として訴追された

 

 石井四郎は日本への帰路において731部隊員と家族に対し、

「戦争は負けた。俺は、君たちみなを故郷に送り返す。帰郷したお前たちが731部隊の秘密を漏らすようなことがあったら、この石井はどこまでも、草の根をわけても捜すぞ。」と悪魔のような形相で叫んだ。(731部隊付き看護婦赤間まさ子証言)

 

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2017年9月17日 (日)

明朗おしゃべり 聞く 話す 日本語クラブ

 「おしゃべり」の人の話す内容が、お互いの親密さにつながらないことが多いのに、私は一石を投じてみたいとおもって、「明朗おしゃべり日本語クラブ」を作りたいと思ったのです。
人との交流、考えていることの発信を主体に集まりを作れたら、人は頭の中に溜まっていることを外へ出せる。そういうサークルを作りたい。
 お互いに本当に言いたいことを伝える人の集まりが必要だと思うのです。
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  かつて、3分間スピーチを数年学んでいたので、それを基礎に考えていたが、立ち上がって話すのは、慣れない人には抵抗があるとの意見で、おしゃべりという形にした。しかし、雑談でもあるが、人に聞かせる内容のある考えを話す。人に伝える内容のある会にしていけたらと思っていますが、最初は愚痴でも、自慢でも、体験記でもいい。そういう話をしてもらえたらと思う。

 最近回想教室という12回シリーズの勉強会に参加している。それは、10歳から15歳の体験を思い出すことで脳の活性化することで、日常生活動作=ADL(Activities of Daily Living)を活性化できるという理論に従って、葛飾区は高齢者の健康に寄与している。
 インターネットで調べてみると、
 回想をアンチエイジングに活用している団体は、全国で葛飾区がトップを切っている。その点で、葛飾区が最先端であるようだ。まだ、その理論の説明が詳しくされていない。それができたら、もっと信ぴょう性が増すと思う。

 日常生活動作=ADL(Activities of Daily Living)
 これは、食事やトイレ、排便、排尿、入浴、洗顔、着替え、歩行、階段の上り下り、記憶、コミュニケーションなど、日常生活を送る様々な身の回りの動作。をさす。
 回想法(かいそうほう、life review)とは、アメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法の一つである
 私の進めたい「明朗おしゃべり聞く話す日本語クラブ」は、ここで学んだことも加味して展開できたらいいと思っている。例会では、、少年時代のことを思い出して、自分の人生を整理して、なおかつ日常生活動作(ADL)が活性化するなら、一つの成果と言えるでしょう。それで、自分の溜まっている頭の中身が発信できて、友達が増えたらいい。その実績を重ねながら、会の普及を進めたいと思っています。多くの方にお勧めしています。
 9月15日号(葛飾広報)ひろば欄に紹介されましたので、見られる人はご覧ください。
  回想法教室は、高齢期特有の抑うつ状態の緩和の心理療法と言われ、私たちのおしゃべり日本語クラブには、各人の気晴らしのレベルを基本に、普段思っていることを自己紹介のように話すことから始めます。
 
 楽しいおしゃべりを基本としているため、回想法は、お互いに話すことと聞くことですので、高額な費用を必要としません。
 認知症予防として回想法教室を開催して実践されている。その回想教室のOBによって、公民館や敬老館などで、その回想法が広げられている。

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 回想法(かいそうほう、life review)とは、
 アメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法である。

  回想法教室は、高齢期特有の抑うつ状態の緩和の心理療法と言われのが、正常だと思う人には、抵抗を感じられるかもしれないが、私たちのおしゃべり日本語クラブには、各人の気晴らしを基本にしたいと思うところから始めたいと思う。

 

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金敬姫党書記は存命か。(金正恩の叔母、金正日の実妹、張成沢の妻)

201372510_3 平壌内部情報筋によると、金敬姫は存命であるが張成沢の処刑によるショックでアルコール使用障害が悪化、衰弱して治療でモルヒネを大量に使い、精神的に不安定だという。

 

金正恩第1書記の叔母で、故金正日総書記の実妹である金敬姫党書記は、姿を消し、その存在はさまざまな憶測が飛び交っている。 

 脳腫瘍の手術を受けて植物状態になってスイスにいる。あるいは、死亡したとの見方もあった。政治的な地位を保っているなど、さまざまな説がある。

  金敬姫氏は昨年12月に処刑された張成沢氏の妻で、最後に公の場に姿を見せたのは昨年9月。それ以降、彼女の消息は北朝鮮の大きなミステリーの一つとされてきた。

 

 著名な脱北者、金恒光氏によって明らかにされた。

金敬姫氏は、昨年夫の処刑から5日後、兄である金正日総書記の死去から2年後の1217日のことだ。

 金恒光氏は2004年に脱北し、09年には北朝鮮の通貨切り上げを最初に明らかにした人物として有名。

 情報筋から得た話として、金敬姫氏は憤りを感じて「生きる気力がなかった」と自殺した。17日朝方、金敬姫党書記は自宅で発見された。服毒自殺とわかり、すぐに病院に運ばれたが死亡した。

 金敬姫党書記は遺書の中で、夫張成沢を処刑した甥の金正恩第1書記を罵倒する言葉を並べていた。これが一因で葬儀は行われず、国営メディアも全く報じなかったそうだ。

 

 並ぶ雛壇に登場しなかった。その後、2016117日の朝鮮中央テレビで、金敬姫と同名の別人の姿が代議員として映し出され、金敬姫が2014年の選挙で再選されていなかったことが確定した。

また20142月以降に放送された朝鮮中央テレビの記録映像からも編集により金敬姫が映っていた映像が削除されていた。金敬姫の引退若しくは失脚がより確実視された。同年429日の朝鮮中央テレビで再び金敬姫の姿が映った記録映像が放映されたことで、金敬姫に関する分析は分かれた。

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2017年9月15日 (金)

北朝鮮ミサイル 飛来 北海道の東2200キロに落下着水

 北朝鮮ミサイル 飛来と、7時からラジオもテレビも一斉に国民に焼き付けるように繰り返 し、繰り返し聞かされると、一気に太平洋戦争の世界へ連れて行かれる。17mm0001pb14

000009 日本人の平和志向は、戦後、憲法によって育ったものだ。日本人の根っこにあるもっと原始の本能は倭寇の血だ。(個人の感想す)その血が騒ぐ。敵地反撃の武器をそろえて戦え!というほうが、通りがいい。これはヒットラーが政権を握るころのドイツの国民の心情に近い。それ煽ったら、日本国民は踊るよ。(個人の感想です)

 争いを好まない人は、北の核を認めてまーるく納めようと言い出しているけど、これを認めると、一気に核拡散が広がり、世界はどこの国も核武装という世界地図ができてしまう。それでいいの?20代、10代の人が60代になったら、どうなる?今は(世界は)戦国時代だ。

 今一番気掛かりなことは、核保有の北朝鮮が韓国を配下に収めて統一する可能性があることだ。韓国の経済力が北を助けて朝鮮半島を統一するのだと、多くの日本人は考える人が多いが、そうはいかないだろう。4:6で、北の方が韓国を併合するとみるほうが多い。

 韓国の文在寅(ムン·ジェイン)大統領の善良な考えが北には通じないだろう。朝鮮の分裂から統一の歴史でも、武力と権謀術数優れたほうが力を発揮して統一併合へ行く。残念ながら、善良良識の国が悲哀を被るのが現実だ。

 核を手放さない限り、北が優位だろう。アメリカは交渉の場に引きずり出されて、交渉はうまく北ペースで進んでしまう。拉致問題の交渉の場で、北朝鮮の担当者の前で、日本が何もできないで、成果ゼロで帰ってきたシーンを思い出す。一般人がヤクザ相手に話し合いに行くような場面だった。

拉致問題で、北朝鮮に手玉に取られている元日本政府代
(下のアドレスで確認してください)
new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-0b5d.html000012 政府代表の人たちの性格、線の弱さがあまりにも明瞭で、秀才がヤクザと交渉しているようなものだ。
 As20141028001333_comm_2 北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)(朝日国交正常化交渉担当大使)は、割と人当りはいいが、「拉致被害者らの調査に関する1回目の報告が当初の予定より遅れていることについて“9月初旬でも、日本側の要求さえあれば、それまでの調査内容を報告しよう”というのが 実力者ではないから、決定権はない。裏にいる黒幕が握っている。

黄長燁ファン・ジャンヨプ  脱北高官の言葉をよく読むと、北の腹の底が見える。

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「横田みぐみ」さん拉致を新潟の海岸で実証 
拉致被害者、何人帰ってくるか。日経新聞30人? 
横田夫妻、めぐみさん娘ウンギョンさん赤ちゃんに会った 
北朝鮮強制収容所 人権無視、アウシュビッツ以上だ 
海上拉致60名~70名 海難事故に見せかけ 
横田めぐみさんは生きている、拉致の実態。

黄長燁ファン・ジャンヨプ 脱北高官 来日  
北朝鮮 テロ支援国家指定解除されず 
南北交通遮断した北朝鮮 末期症状 
北朝鮮の窮状 ここまで来た 
北朝鮮ミサイルを撃ち落せないか? 
日朝平壌宣言 平成14年9月17日 
日朝平壌宣言 捨てるより生かせ 
北朝鮮核実験でお手上げ アメリカ 国連 
田原総一郎の北朝鮮観 
コメント あなたは在日朝鮮人ですか?  

北朝鮮は、デノミで大混乱  
脱北女性 人身売買の犠牲 
経済破綻の北朝鮮 
拉致問題がよくわかる YouTube
 
北朝鮮はなぜ潰れないのか 
福田さんの拉致と北朝鮮問題 
脱北亡命者が日本に殺到する時 
北朝鮮工作船を見に行く
帰国事業 北朝鮮帰国船 真相 
拉致被害者再調査 米朝交渉のツマ
 
北と日本、どっちが大切なの?米国は 

北朝鮮問題 関連の紹介
№3人民武力相、高射砲射程距離内、処刑:
強制収容所 人権無視の実態、アウシュビッツ以上
銀河水(ウナス)管弦楽団とモランボン楽団:
北の「109常務」、猥褻取締まり80人公開処刑:
ピョンヤン「特別調査委員会」は だましの舞台装置
 
 まだまだあるよ→北朝鮮問題

 

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