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2016年7月 7日 (木)

篤志面接委員 黒田久子さん、現在102歳

 季刊誌「かつしかまちナビ」に面白い記事を書けといわれても、何を書くか、これは案外頭を悩ます。
 特に、補助金を区からもらっていると、行政の意向を気にしがちだ。しかし、大本営発表を垂れ流す記事になっては、読者には、興味が湧かない。
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 その中で、裁判員経験者が「裁判員のあたまの中―14人のはじめて物語」を書いた田口 真義がNHK土曜日のふかぼりで語っていた。カレは不動産屋で、裁判員を経験したのち、「篤志面接委員」を始めているという。

葛飾区には、小菅刑務所があるのだから、きっと篤志面接委員が近くにいるはずだ。こういう人を探し出して、取材をしたらいい記事が書けそうだ。その取材源を探すのが難しい。

 葛飾区でないが、話題になっている篤志面接委員がいる。01 明治36年、姫路生まれの黒田久子さん、現在102歳。姫路少年刑務所の篤志面接委員を始めたのは、昭和32年の54歳から。それ以前にも、49歳で民生委員、51歳で保護司、そして面接委員と平行して、69歳からは姫路市人権擁護委員、80歳で姫路城を守る会の婦人部を結成、86歳にして姫路市連合婦人会会長。

 夫(大学教授)の関係で、水戸、甲府、岡山、大分と共に転勤。終戦で神戸大学に戻り、昭和20年に姫路に。ところが、我が家は空襲で焼け、甲府で生まれた4人の子どもがいましたんで、がらくたを片付けながら、大豆を蒔いたり、野菜を作ったりと、生まれて初めての農作業にも精を出した。

 人のお世話などできないが、あっちこっちから断っても断っても人が来られて、「婦人会の会長になってくれ」と頼まれ、初めは、夫に遠慮したが夫に相談して、お受けしました。
 篤志面接委員も皆さんに勧められて始めました。他の民生委員や保護司などは定年がありますけど、面接委員は定年がございませんで、いまだにやっております。私が57歳の時、夫が定年を前にに亡くなり、それからは夫の分も社会の役に立つ仕事をしたいと続けてきました。

 篤志面接制度は、日本では、再犯防止も含め、受刑者が社会復帰できるようにと昭和28年に導入。法務省の委嘱ボランティアで、受刑者の悩みの相談や、法律相談、職業相談、書道や短歌などの趣味・教養の指導などが行われる。
 委員は民間の学識経験者や宗教家などから選ばれ、現在、全国の刑務所や少年院などの矯正施設で約1800人、姫路少年刑務所では9人。黒田さんの勤務は隔週の月曜日。刑務所内の6畳ほどの面接室が仕事場になる。

 面接委員を50年近くしてますと、今は犯罪が複雑になり、もうついていくだけで大変。昔はね、暴力団に入って小指の先を落とした子が多かったです。「親からもらった大事な指をなくすとはどうゆことや」とよう叱っていましたが、今はもうありません。
 1対1で向かい合いまして、1日で3人ほど面接します。
 親の温もりや家族とのきずなを知らん子が多いです。この間、面接した受刑者は、物心がついた頃には施設にいたと話していました。義務教育を終えて、ある家庭に引き取られたが、その家で欲しかったのはその子の労働力だけやったという。会社勤めを始めたら、給料日には必ず親がお金を受け取りに来る。ずっと我慢はしていたけど、我慢がしきれずに家を飛び出した。次にパチンコ屋に住み込みで入ったら、そのうちにまた親に見つかって、同じように給料日には金を取りに来る。終いには食費が払えなくなって罪を犯してしまった。
 刑務所を出たら、どこへ帰るのかと聞くと、「親というたら、その人たちの所しかない」と言います。でも、「今回は保護司が中に入ってるから、小遣いだけでももらうように話をつけなさい」と言うと、承知して帰りました。

 去年の暮れに会ったのは、両親が寿司屋やという男の子。初めは仮釈放やからといって部屋にニコニコして入ってきた。
 でも、「家業の寿司屋は継がん」という。私は「子どものうちから走り使いの手伝いぐらいはしてきて、本当に親の苦労を見て育ったんなら、そんなことは言うたらあかん」と意見しました。
 「それなら他に何をしたいんか」と聞くと、「分からん」という答え。「そんな役に立たん子でも親は引き取ると言う。親は他にこの子の行く先がないと思うから、不憫やから引き取るんや。それが分からんのか」と諭したら、しゅんとなってしまいました。「何をするんでも親と相談しいや」と言うておきました。

 刑務所職員の話では、年齢が近い人には反発があっても、黒田さんのように年齢がかなり離れていると素直になれるのだという。
 昨年、黒田さんが篤志面接委員として法相感謝状を受けることになり、所内で贈呈式が行われた。この日、受刑者の弁論大会もあり、贈呈式で黒田さんが紹介されると、100歳を超えた活動に感銘を受けた受刑者のどよめきが起きたそうだ。

 きょう面接をした子は、生まれは熊本やけど、縁もゆかりもない広島へ行くと言う。3歳で母親が亡くなり、その時、父親と姉はどこかへ行ってしまったと言ったきり、後は何も話しませんでした。
 「もし広島に行くなら、今まで働いたお金はプールされてるから、それでまず家を借りなさい。それから、どんな仕事やったら長続きがするかを考えなさい」。そして「仕事はより好みするより生活ができたら十分やから、そこで落ち着く気になって、家庭をもちなさい」と言うておきました。「あんたも大きくなったんやから、自分の人生は自分で切り開きや。親を恨んでもしょうがないで」とも。

 この間、面接した男性は年齢が上に見えたので、「家族があるんか」と聞いてみると、中学生をはじめ3人の男の子がいる。「窃盗で捕まって、子どもに迷惑をかけたら悪いと離婚したんや」と打ち明けた。私は「あんた、そんなコソコソ離婚して、それで事が済んだと思うんか。子どもは正確に見とるよ。そやから自分の悪かっとことは悪い、これからどうすると話さなあかん」と諭しました。
 そうしたら20分ぐらいずっと考え込んで、「分かりました」と一言。「避けて通る問題と違う、罪に向き合いよ」との語りかけに、「はい、分かりました」と言うので、「男に二言はないやろうな」と念を押しておきました。

 どの子も一生懸命聞いてくれます。顔色を見てましたら、応えたかどうか分かる。面接が終わって、しゅんとして帰る姿をみると、ちょっとは分かってくれたかなと感じます。まあ態度で察するしかなくて、その後、どうなったか最後までは見届けるわけにはいきません。
 それが私たちの仕事。そう思うと、虚しいなと思う。50年近くもこの仕事をしていて痛感するのは、「家庭が大事や」ということ。

 黒田さんは、県立姫路女学校を卒業後、東京の共立女子職業学校(現共立女子大学)に進学。卒業後も教員として母校共立女子大に残っていた時に関東大震災に遭い、九死に一生を得た。そして、その70余年後には、阪神大震災も体験した数少ない一人でもある。
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