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2016年7月25日 (月)

「おやじ」と呼べる幸せ 父の顔を知らない出征兵士の子

 再軍備を目指す政権に憲法改正を許したくない気持ちは、戦争の残滓を少しでも知っている世代としては、戦争の無残さは、こんなところにもあるのだよ、と話して聞かせたい。04 74歳になっても、父を知らない空虚感は伝えたくても、誰にも理解されないと思う。ニューギニア島(インドネシア)に赴いて、父の戦死の場所で思う存分「おやじ!」と声を上げて叫んだその気持ち、他人ごとながら、涙ぐんだ。たった一回の「おやじ!」という叫びに万感の思いが伝わってきた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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「おやじ!」といえる場は、無いほうがいいのかもしれないが、内なる叫びはいつも持っていたい。このような関係を育てるのが「道徳教育」なのではないか、そんなことに点数つけて、管理する教育って何だろうとも思う。

 ニューギニア島(英語: New Guinea、インドネシア語: Nugini):太平洋南部に位置する島、インドネシアとパプアニューギニアの2カ国。3d8 島の西半分=インドネシアで、島はオセアニアに含まれる。また、メラネシアの島々の一つ。オーストラリアとはトレス海峡を隔てその北側にある。パプア島 、イリアン島とも呼ぶ。

 面積は約78.6万km²で日本の国土の約2倍の大きさ。グリーンランドに次ぐ世界で第2位の島で、大陸を含めても8番目に広い陸塊である。

 このニューギニアの首都マノクワリで、_island 加東大介が演じる「南の島に雪が降る」が、希望のない戦争末期の兵士に涙を流させたストーリがある。『南の島に雪が降る』(みなみのしまにゆきがふる)は、俳優加東大介の従軍経験手記である。初版は1961(昭和41)年9月に、文藝春秋新社から刊行された。戦争を知っている人の多かったころだから、反響は大きかった。
 昨年、ニューギニアのマノクワリで戦死した叔父を持つ人と、8月15日、千鳥が淵の戦没者霊園で話しをしたが、この「南の島に雪が降る」を知らなかった。

 Wikipediaからの引用であるが、紹介しておく。
 太平洋戦争(大東亜戦争)末期、兵士の慰安と士気高揚のため作られた劇団の物語。飢えとマラリアに苦しむニューギニアの首都マノクワリで、加東大介(本名・加藤徳之助)軍曹が座長を務め、漫画家小林よしのりの祖父(母方で博多出身)も座員で、「快僧曹長 篠原龍照」として登場する。

 当時加東(劇団前進座)が、昭和18年(1943年)10月に召集を受けニューギニアに向かった。そこは主力部隊から脱落し、救援物資も届かない最果ての地。戦友たちは飢えとマラリアでバタバタと死んでゆく。いつ戦争が終わるかわからない希望がなかった。
 そんな過酷な状況で、上官命令で、加東は演芸分隊を立ち上げ、熱帯のジャングルの真ん中に舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人などが集まり、個性的なメンバーと共に、公演を始めた。

 ありあわせの布に絵を描いて衣装を作り、ロープを解きカツラにし、亜鉛華軟膏を白粉にする。今その舞台を見たら、なんと粗末な舞台だと思うだろう。生きて帰る希望のない日本兵にとって、日本を思わせる夢があった。希望そのものだった。女形の内股の白さに女房を思い、小道具の長火鉢に日本を思う。
 日本より広いニューギニア内地から、続々と兵士がやって来た。加東らの舞台を見るまでは死ねない。時には重病人を回復させるまでもの希望が、その舞台にはあった。

 長谷川伸『関の弥太っぺ』の舞台では、紙の雪を降らせ、客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。加東らは、日本の雪景色を充分堪能させてから登場するようにしていた。
 ある日の公演で、紙の雪を降らせても、いくら待っても客席がしんとしている。不審に思って舞台の袖からのぞくと、数百名いた兵隊が皆、涙を流していた。聞いてみると彼らは東北の部隊だった。
 かくして日本への帰還に至るまで、兵たちを慰安するため、ほぼ休演日無しで公演を行っていった。

 こんな戦争にまつわる胸迫る話は、戦後70年たつと、伝わらなくなるのだろう。そして、日本国土を守るためには、70年間憲法を改正しない国は、世界に無いのだと得意げに語る改正論者がいる。とくにドイツは20数回改正したという。
 そのドイツは、戦争を引き起こしたナチス・ヒットラーに対する国民の意識は日本では考えられないくらい厳しい。引き換えて、東條内閣の岸通商大臣は、戦争時の責任を巣鴨プリズンで済んだのでしょうか。戦時中の思想を一掃しないまま、新しい社会に参加して、戦前教育の残滓を一掃するキャンペーンを新聞もしていない気がしている。朝日新聞だって、戦争が終わって、記者も戦争に対して責任があると社を辞めたが、多くの人は生活があるにしても、その責任をどうしたのか、さっぱりわからない。

 政治の世界では、そういう戦時中の思想からの脱却を、総括というかもしれないが、日本は一過性の国民だから、八月になると、急に「戦争反省月間」になって、コレが終わると、ヤレヤレと秋風が吹くように忘れるというか、水に流す。

 こんな国民が「憲法改正」改憲勢力が3/2になって、どうなるか、心配で仕方ない。武士階級に政治を任す日本の百姓、町人の意識がいまだに綿々と続いているのが現状だから、選挙を自分の権利だとは思っていないのかもしれない。
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 バングラディッシュのレストランで、27歳の女性の祝い事をしていたときに、ISの兵士・・・賛同者というべき連中に襲われて、皆殺しにあった。これも戦争。
 こういう攻撃するのは、弱い側の特攻隊。戦争は、戦争したくなくても、弱い側が幸せな人に向って攻撃をする。これも戦争だ。
 

 日本でテレビを見ていると、「人身事故でダイヤが乱れています」とテロップが流れるが、自殺者が社会に対する攻撃のような気がしてならない。自分を殺すという攻撃であり、同時に社会へのメッセージ。アメリカのような銃社会だと、銃乱射になるところだ。 

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