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2016年5月21日 (土)

モーリー・ロバートソンの出自 日本育ちの米国籍

 アメリカ国内では、大統領の広島訪問については、反対する声も少なくなかった。Nobamasmilelarge570  しかし、オバマ氏らが「アメリカで大きな政治的反発を招くことはなく、戦争の犠牲者に哀悼の意を捧げることはできる」などと意欲を見せ、国家安全保障会議(NSC)もアメリカの世論が大統領の広島訪問を「前向き」に受け止めていると判断。
 
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 NHK土曜日の朝番組「ふか読み」で、出席者は、アメリカ大統領オバマの広島訪問をまるで「腫れ物」を触るような扱いである。
 日本人の基本姿勢は、よくも原爆を日本に落としてくれたな!という意見を持ちながら、まあ、よく来てくれた。徐々にアメリカ国民を納得させてほしい。次に、人類は核兵器を廃絶しようぜ。という共通認識をもつことだ。

 オバマ大統領が広島訪問について、討論していた。そこで、モーリー・ロバートソンが参加していて、アメリカの代表的な意見をいうのかとおもったら、彼は広島で育っているその日本のルーツを語った。
 
モーリー・ロバートソン(Morley Robertson、1963年1月12日 - ):日本を中心に活動している米国籍のDJ、ラジオパーソナリティー、ミュージシャン、ジャーナリスト。妻は日本人。
 モーリー・ロバートソンって、時々見かける顔だったが、どういう人だか知らなかった。まるで日本人、日本で小学生中学の途中までいたから、そうなるのだろうが、日本びいきだ。

000005 モーリー・ロバートソンは、途中まで発言していなかったが、
3949l_2「まず、私の出自をちょっとお話したい。
 僕は、アメリカ人医師の父と日本人の母の間に生まれました。1968年5歳の時、広島に移住しました。研究員だった父は当時ABCCと呼ばれた「原爆調査委員会」という研究所へ赴任したからです。後に放射線研究所の名前は変わります。

 僕の家族の認識は、父が被爆者の方をなんとか健康に戻るゆように助けているのだ、と意識があった。大人になって調べると、もう少しドロドロした占領国側の思惑もいっぱいあったようで、当時の僕はそれは意識せず、5歳から13歳まで広島に住んでいました。

 小学校5年生のころには、完全に広島っ子になってしまって、外国人の学校はやめて日本の小学校へ編入し、地元の男子校の修道中学へ行き、だから、完全に広島っ子になってアメリカへ帰った。「はだしのゲン」はリアルタイムで連載を読んでいた。完全に広島側の見方を原爆について持っていた。
000006 原爆資料館には、何度となく子供時代に訪れています。それ以外にも、原子爆弾の爆心地の模型みたいなものが、研究所のABCCの中にあって、下校時にそこで父との待ち合わせをしていたから、頭に入っていた。原子爆弾はリアルで痛ましい凄惨なものだった。

 アメリカに戻った途端に、誰も知りませんでした。誰も知識を持っていなかった。もし、戦争の話をしようものなら、日本は真珠湾攻撃をするよう卑怯な民族だろか、というような人種差別を受けた。それは'70年代、13歳、14歳だった。

 大学になって、80年代になって、論理的に「原子爆弾はこんなにひどい、アメリカもソ連も、日本の憲法9条を輸入して、直ちに「核開発をやめろ!」と、あらゆる回りの学生に言うと、“オマエは、バカか”と言われてしまった。

 ユダヤ系の
同級生の家に泊まったときに、
“そもそも日本にアメリカの基地がある”から始まって、
 要は「一人ひとりの被爆者に顔がある」と言うと、
“じゃあ、ユダヤ人のガス室で死んだ名前を言えるか?”みたいなふうになり、“広島の原爆は正しい”と急に言い出して、
 「何を言うのですか?」というと、
“ユダヤ人が何人死んだか知っているか?ナチスと日本は組んでいたのだぞ!その罪を日本は購えるのか?”みたいになっちゃって、絶句した。 80年代には、(アメリカと日本は)意識が乖離していた。」

司会:オバマ訪問で、何か変わるでしょうか。
 広島っ子の私は、オバマ大統領としては、謝罪をしてほしいし、被爆者にも会ってほしい。本当だったら、(アメリカは)憲法9条を採用してほしい。
 その後、ジャーナリストの仕事をすると、いかにこれが難しいか、そして、2009年オバマさんが就任して以来、いかにして共和党とすべてを政治的に妨害して彼のやったことを「弱腰」と決めつけ、プロパガンダしてきたか、それも今大統領選ですからもっと激しくなっています。
 今の段階で、オバマさんが謝罪をすると、国内の政治にもヒビが入ってしまうので、ジャーナリストとしては難しい。
 というのが、
今のモーリー・ロバートソンの立場と意見だ。

121207
000009モーリー・ロバートソン(Morley Robertson、1963年1月12日 - ):日本を中心に活動している米国籍のDJ、ラジオパーソナリティー、ミュージシャン、ジャーナリスト。ニューヨーク生まれの広島市育ち。妻は女優の池田有希子。(Wikipedia)

  アメリカ合衆国ニューヨークで、スコットランド系アメリカ人の父親(医師)と、毎日新聞社記者の母親のロバートソン黎子の間で出生。生後2か月から、幼稚園に通う頃まではサンフランシスコに在住。1968年に、父の仕事の転勤で広島県広島市の比治山近くに移住。父は比治山上の原爆傷害調査委員会、通称:ABCC(現・放射線影響研究所)に勤務し原爆患者の研究にあたった。広島市では小学校5年生まで広島市のインターナショナルスクールで過ごす。1973年、小5の2学期から同市五日市町の公立小学校に。1975年、修道中学校に入学、父の転勤で2年1学期末に中退し、米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居。 
 同年9月、チャペルヒルの公立校に入学した。
1ヶ月足らずでデューラム市の私立校に転校。ここで1年飛び級したが、1977年夏、父の転勤でサンフランシスコへ転居。同年9月、現地の公立高校に入学。
 のち留学生として高校から修道に戻るも、
修道高等学校を退学し、母の実家、富山県高岡市に母や弟と移住。当初、高岡高校に聴講生の扱いでしばらく通学。その後に編入を認められた。

  1981年3月、富山県立高岡高校卒業、東京大学理科一類に入学。同時にハーバード、マサチューセッツ工科、スタンフォード、イェール、バークレー、プリンストンの各大学にも合格。東大を同年7月に中退。1988年ハーバード大学を卒業。
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