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2016年4月21日 (木)

 亡くなった昭和4年の早生まれのT兄の思い出を

 手紙検閲 昭和25年頃 昭和4年の早生まれのT兄は、終戦後の風潮を一番謳歌していた。 人のいい兄貴だった。
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 10数歳も年下の弟や妹に、仕事をさせ紙で書いた約束手形で払って、最後に相当の金額をチャラにする兄だった。

 小5の夏休み、当地出身の十両の関取が来て、子ども相撲大会が横町で行われ、同級生のY君と取って、最初は先手を取られて負けたが、二度目は用心して実力を発揮して勝った。その賞品として、サイダーを商品に貰った。それを机の上に置て楽しみにして取って置いた。数日後、飲むと味がない。おかしい。水になっていた。サイダーの王冠はきちんと閉まっていた。うまく細工してあった。兄弟の中でこういうことをするのは、T兄しか頭に浮かばなかった。

  リーダーズダイジェストは、アメリカの雑誌の翻訳版だったが、兄貴は雑誌の折込ハガキを送って契約して毎月取っていた。この内容は、アメリカの雑誌の直訳であまり、興味引く内容ではなかった。
 東京へ来たとき、毎日新聞社と隣併せに「リーダーズダイジェスト」の日本支社を見つけたと奇妙な懐かしさを感じた。 兄はそれほど熱心には読んでいなかった。

 うちの兄弟で一番流行に敏感であったT兄は、ベレー帽を被っていた。近所とか、知り合いの女の子を集めて、手回しの蓄音機でレコードを掛けてダンスをしていた。 すぐ下の中学生の兄も、そういう音楽とかダンスには興味深々だった。

 時々、女の子がT兄を訪ねてきて、コソコソと外に出て行き、路地の陰の暗闇で立ち話をしていた。単に立ち話だったのか、何か知らないが、我々小学生がそれをつけて行って、のぞくのが当時の子供の楽しみというか、風習だった。

  田端義夫の「ハワイアン航路」の歌が流行っていたから、あれに影響されたのだろう。T兄は白いズボンにビニールの透明なベルトをしていた。透明のベルトも半年もしない間にくすんだ色に変色した。

 当時の芸能雑誌「平凡」には、田端義夫がハワイロケで現地の背の高い女性と親しくなって、結婚したという記事が載っていた頃だと思う。後に離婚したが。

 この投書の方の検閲された手紙の話で思い出した。
T兄のところに来ていた手紙も検閲してあった。ラブレターかどうかは、小学生の私にはよくわからなかったが、封筒の下がハサミで開けた後にビニールテープで「OPEN  HERE」だろうと思うが、「開けました」という意味が英語で書いてあった。

 開けた封筒の底が「接着ビニール」で閉じてあるを見て、ヘーエすごいものがアメリカにはあるもんだ、と感心した記憶がある。その頃は、日本にはセロテープもないし、張り合わせるには、うどん粉を煮て糊にしたものだ。市販の糊は「不易糊」が第一号だった。

  進駐軍は全国どの町にも来ていたのだろう。中津の町にも、軍人ではないが、教会に2名の若いGHQが二名滞在していた。彼らは、GHQを代表して教育委員会へ行って指導をしていた。

 車は、茶色の濃い色したジープではなくセダンとオフロードカーの中間の車種だった。それで町中を駆け回っていたから、目だった。

  中津の町では、英語が使える人は、商業学校の菅井先生、教会の水垣牧師、あと旧本陣の市岡先生(女性)の三人だった。

 市岡先生が一番若くて、このGHQに付き添って通訳をしていたと後に聞いた。昭和22年~25年ころだろうと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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