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2016年4月19日 (火)

明治維新のスローガンは「尊王攘夷」、明治政府は「開国洋学」の国

000002 近代史を学んでいると「尊王攘夷」というスローガンを唱えて、長州なんか、ドンドン進んで、薩摩と同盟組んで討幕する・・・ここまでは、順調にわかるというか、そういう学習をする。
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000016 その後、ゴチャゴチャになって、アッという間に開国するじゃないか。井伊直弼を暗殺する水戸学派の思想っていえば「尊王攘夷」の総本山だよね。
それが、明治政府がきてみれば、「開国・洋学」の国家でしょ?このプロセスが近代を学ぶ高校生に、歴史の先生たち、うまく説明できているか、心配だ。
 000028 歴史好き、社会には関心が高い私も、相当長く、志士のいう攘夷尊王を信じていた。そんなに魅力あるスローガンではないのに、あのあ幕末の志士たちを酔わせて、突ッ走ったのはなにか。明治以後の日本を観ている身にはわかりにくい。

 理性的にみれば、開国、文明を取り入れるのが妥当、とわかる人にはわかっている。磯田道史が司馬遼太郎の「明治という国家」「この国のかたち」から説明していた。
 

 「開国して貿易をして戦争にならないように外国と対処しないといけない」と主張していては、討幕はできないのである。その当時、外国という夷えびすを追い払うか、植民地にされて食われるか、の二者択一だった。それで、外国と同じ立場に立とうとした・・・。 

「前の国家を壊して新しい国をつくる」というのは、並みのエネルギーではできない。人を酔わせて酒の力を借りてソレに乗っていく。人は酒に踊らされやすい。

   幕末の討幕エネルギーは攘夷から起こったことはいうまでもない。「開国」なんてのは、イデオロギーとしては弱い。
 開国は理の当然で正しく、かつ常識的なありかたで、それは液体で言えば水。水はいきるのになくてはならないもの。しかし、革命というのはみんなが酔っ払わなくてはならないから、水ではどうにもならない。強い酒を必要とするものだ。

 「尊王攘夷」という標語は利用価値があった。
 天皇こそが日本を支配していた。武士は天皇に委託されて政治を日本を支配しているだけだ。という思想である。天皇から委託されて天皇を支える身分と言う意味では、草莽の一般人も同じ、ボクも天皇の家来だ。ということで、一気に身分制度を破壊する力を持った。
 

 一般人にも、幕府に不満をもっていた人には、「尊王攘夷」とセットになって、テンションが上がる。幕府の失態をみつけて噛み付くキッカケを探していた。これが革命のエネルギーだった。 

 それまでは、人は藩に所属し、村、町に所属していた。勝海舟は政府の要人で、日本全体を考える立場に立っていた。イギリスやドイツ、アメリカの植民地にならないようにするには、海軍を持たないと考えた。まず、日本に海軍を作ろうと、以前から親しいオランダに相談した。 

000006 軍事顧問として、海軍を作るために来たカッテンディーケが来日した。勝は彼から海軍と船の操縦を学んだ。

「オランダの場合はどうなんですか」
 カッテンディーケに勝が質問したでしょう。

000005「オランダには憲法があります。いかなる人といえど、オランダに生まれたら、ごく自然にオランダ人です。自分の身と国を一体のものと考え、オランダ国の代表として振る舞い、また、敵が攻めてきた場合には、自ら進んで防ごうとします。それが国民というものです。
 日本がなぜそうでないかが不思議ですね」

 このとき、勝は「国民国家」ということに目覚めた、と司馬遼太郎は書いている。この後、咸臨丸でアメリカは行っている。そのときも、なお一層「封建国家」ではもうダメだと確信する。「国民国家」をつくらないとダメだと気付いた人物の一人だ。国民国家であれば、日本が攻撃されたら、国民が一体になってみんなで守るという意識が根付く。ソレが国民であり、国民国家である。
 

 明治維新は、国民国家を成立させて、日本を植民地化の危険から救いだすという、唯一つの目的のために一挙に封建社会を否定した革命である。青写真が描けていなかった。ドイツへ行って、イギリスへ行って学んできた。法体系もヨーロッパから入れた。 

 導入しても、日本には江戸時代の基礎があったから、うまく定着したのである。280もの藩に別れて、各国が夫々の教育をしていたから、それぞれの藩独特の成果があった。000041 加賀藩では、理系、科学知識の教育をした。会津は、学問好きな人が多かった。この多様さは明治政府が徳川幕府から引き継いだ遺産であった。若くて優秀な人材を東京に集められた。東京大学が、明治政府の配電盤になった。000043 一個の配電盤として、機能したので、明治政府は、一気に走り出した。アレヨアレヨという間に、ヨーロッパの先進国と肩を並べた。ロシアと戦争して勝つまでの一炊の夢を見た。

 明治の青年は、圧縮されたガソリンのように、火をつけると、内燃機関のように、一定の順序に爆発を起こした。金を稼ぐという観念ではなく、世の為、人のタメに、身を投じた。鉄道が必要だとしたら鉄道技師になり、不景気だというなら、政府に不満をぶつけるより、今より20%多く働くという考えで、がんばったという。
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