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2016年4月24日 (日)

恩師千村昌幸(英語)最初の出会いConscious thatが第一声

Photo 高2の夏休み講習に出た最初の授業の、文章の最初の文章が“Conscious that”(=That以下を意識して)という分詞構文。Be(conscious that)のBeが省略された文章を先生は「コンシャス・ザット」と、発音が漢文調であった。
 先生の発音を聞いて、漢文の先生じゃないか、と思うほど英語的でなかった。名古屋(国立)大学=六高を出た学力のある先生だが、気取らない先生だったから、
生徒の間では「千村さん」と呼ばれていた。
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 旭陵会だより(同窓会新聞)に千村昌幸先生の訃報が載っていたが、まだ90歳には間があると思っていたが。9回生の吉田豊美君が追悼文をかいていた。906 彼は、大学では学生運動で60年の三井三池炭鉱争議にも参加していると書いているから、真剣な活動家だ。就職後も組合運動に関わったのだろう。

Photo_2 彼が、学生運動で三井三池炭鉱争議に関わり、恵那の教育に影響されていたとは、意外な印象を受ける。
 遠目から、ハンサムな彼なら女性にもてるだろうと思っていたが、一度もクラスが一緒にならず親しく話しをしたことがなかった。出身小中校も出身の町、大学はどこへ行ったかも、
彼の詳細は知らなかった

 Nenkinn06_2中津(岐阜県)の市内出身の高校生は、東小、南小も、『恵那の子の作文教育』でかなり免疫がある。高校で千村先生の左翼的な言葉にも、一歩引いて冷静にみていた。そんな記憶がある。彼のように即、左翼的言辞に影響受けなかったような気がする。
 T先生以下何人かの先生は、左翼思想の先生であることはわかっていたが、一方では、思想とは一歩離れた姿勢の「無思想・保守的な」先生もいた。社会改革を夢想する先生のほうが面白いから、そういう先生は人気があった。
 無着セイキョウ先生の『作文教育』の影響はかなり中津市でも強かった。その影響を受けたのは小学生だった。その洗礼を受けて何人かは、改革思想を持って高校に入っていた。彼のように、高校へ入ってから思想に影響受けるのは純粋だ。

 思い出すと、当時、モラロージという“最高道徳”という思想を盛んに言う友人が数人いた。直接影響は受けなかったが、“最高道徳”の団体があった。
 盛んに素晴らしい思想だと語っていた。仏教と儒教、キリスト教のいいところを取っているから・・・、高校のPTA会長のHさんの父親が責任者だとかも言っていた。モラロージの良さを盛んに吹聴していた仲間がいた。
 モラロージについては、欄外で説明

 高校三年生のとき、
千村先生は生徒会顧問として新聞の部室に出入りしていたから、親しくなった。心理学同好会を結成して、これもT先生に顧問やってもらったが、一回開いただけで、その後どうやって進めていいか分からずポシャッたが、先生に甘えていた。

 新聞部の顧問は千村先生は、生徒会の顧問をやっていて、生徒会長になったHが中学からの友で、我が家へ出入りして、会長やりながらタバコを吸うアレで、先生も呆れて返っていたが・・・まあ、それはソレとして。

 千村先生が、本町、横町、下町から左に曲がって(間酒造の裏)大正町に住んでいた。私の家、本町から行くと5分程度でいけた。途中、Nさんの家の前を通って、夕飯の済んだあと、7時頃かな、「こんばんわ、先生」といって、本を借りに行った。
 結構、先生宅へ平気で行ったものだった。先生、そのころ月給いくらだったか分からないが、昭和32年か322年ころ、「毎月書籍代は2000円は使う」と言っていた。
 先生宅に女の子の赤ちゃんが生まれた直後だった。
 奥さんが苗木小で桜木君の担任した、と自慢していた。アレは、彼が東大へ入った直後の会話だった。それを、「東大生に育て上げた」ようなニュアンスに聞こえたのか、千村先生は「バスか、電車に乗り合わせた」のと同じだと、混ぜ返していた。気さくな先生であったのは、確かだ。

 ホワイト・ピッグのあだなの英語の先生、
太利先生の親戚の間一族だが、一生懸命に自分の思想を伝えようとしていたのは、わかっていた。こうして、戦後の平和思想を伝えることが、先生の立場から言ってはいけないと今ならそうなっているが、その当時は、先生の使命だと思っていたようだ。

 今回の同窓会だよりには、他の糸魚川忠平、市岡玉枝先生が亡くなったことが書いてあった。残念だが、人生はそういうものだ。

 中津の町では、英語が使える人は、商業学校の菅井先生、教会の水垣牧師、あと旧本陣の市岡玉枝先生(女性)の三人だった。戦時中、田舎の中津川市で、英字新聞を取っているのは、三人だと新聞配達の人から伝わって、皆知っていた。

 市岡先生が一番若くて、このGHQのジープに付き添って、教育委員会などに行って通訳をしていた、と後に聞いた。昭和22年~25年ころだろうと思う。

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■「モラロジー」とは
(
http://moralogy.jp/?page_id=1293)
「道徳」モラル(moral)と「学」ロジー(logy)からなる学問名。日本語では「道徳科学」と言います。
 前身である道徳科学研究所の創立者廣池千九郎(法学博士)が、著書『新科学モラロジーを確立試みとしての道徳科学の論文』(昭和3年)の中で使った学術語(合成語)です。
■モラロジーの創建
 人間は長い歴史で、人間尊重の考えと豊かな文明を築いてきました。一方で、環境破壊、民族や宗教の対立、心の荒廃など、まさに地球規模の危機に直面しています。
 廣池千九郎は、これらを解決するためには私たち一人ひとりが自分中心の考え方を止めて、道徳心を高めていくしか方法はないと考えました。

 そこで、東西の諸聖人に共通する質の高い道徳に注目し、それを最高道徳と名づけました。質の高い道徳の実行とその効果を明らかにするために研究と実証を積み重ね、大正15年(1926)、新しい学問として「モラロジー」を提唱しました。

■育てたい3つの心
1.感謝の心

 大自然の恵み、また家庭や国の恩恵などに対する感謝の心は、自分の命はもちろん人や周囲のあらゆる命を大切にする尊厳性をはぐくみます。そして恩返しをしたり、社会や世界に貢献していく勇気を育てます。
2.思いやりの心
 相手の立場に立って考えることのできる思いやりの心は、人の喜びや悲しみ・痛みへの共感性をはぐくみます。そして自分を反省したり、相手を許す謙虚さや周囲に奉仕する深いやさしさを育てます。
3.自立の心
 夢や志に向かって、主体性を持って生きようとする自立の心は、家庭人、社会人、また国民としての責任感や使命感をはぐくみます。そして地域や国際社会に目を向けていくたくましさを育てます。
 
以上、「モラロジー」の説明。
 いいこと尽くめだけど、さあそれに従いなさいといわれて、どうする?思い切って、食いつけないのは、何が不足しているのだろう。自発の動機がないから?

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