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2016年3月 7日 (月)

奥底の悲しみ(山口放送)~戦後70年、引揚げ者の記憶~01

 第11回日本放送文化大賞 テレビ・グランプリの作品、71年前日本の敗戦によって引き上げてきた婦人たちの身の上に起こったソ連軍による婦女暴行の事実を追いかけている。圧倒される。
 今回の山口放送は丁寧に事実の掘り起こしている。
奥底の悲しみ(山口放送)~戦後70年、引揚げ者の記憶~02へ続く。

 戦後満州引き揚げ 故郷への道: nozawa22
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 山口県長門市仙崎は日本海を望む小さな港町。41万人の引揚者を受け入れた。
 

 。港のすぐ側に母と妹と暮らしていた中谷さんは、終戦は22歳の時、引き上げてくる人々にお茶を振る舞ったこと、行き場のない人々を一晩家に泊めたことを覚えている。
 港に、船が入るたびに周辺はごったがえした。引揚者の多かった当時、全国19ヶ所に“引き上げ援護局”を置き、身元の確認や疫病の検査などにあたり、地元の人々も手伝った。
 仙崎の記録に医療関係の項目に「特殊婦人」という言葉がある。
 それは、北朝鮮や満州の引き上げ婦女子で現地に暴行を受け、心身に異常をきたしている女性だという。その人達のために相談所が設けられていた。五か月の間に相談を受けた女性の5%が妊娠、または性病を患っていた。
 

 極楽寺先代の住職の手記に大勢の引き揚げ者を寺に引き受け病気の治療にあたった当時の様子が綴られている。しかし特殊婦人については全く触れられていない。
 引き揚げ者の手当をした看護婦の1人の菊本さんが、今も仙崎で暮らしていた。
 医療室に出入りしていた菊本さんでさえ、婦人特殊相談所の存在を知らない。
 

 かつて満州では、国策として農村の土地不足などを解消するため20万を越す人々が移り住んだ。敗戦後、海外に取り残された日本人はそれぞれ本土を目指した。
 海外にいた660万の内、引きあげることができたのは630万人。しかし、ソ連軍の占領下にあった“満州と北朝鮮”からの引きあげは大幅に遅れ、戦後数カ月から1年以上その地に留め置かれた。“満州と北朝鮮”では、およそ21万人が引きあげを終える前に命を落とした。
 

 日本の敗戦後、外地に残された660万人の日本人は本土への引き揚げを余儀なくされた。身の危険が迫る中全てを捨てて、祖国を目指逃げ帰った。 時がたつにつれ、ボロを未にまとい、履物はない無残な姿になった。
 山口県仙崎港では、当時引き上げてくる女性たちの中には、特殊婦人と呼ばれる人たちがいた。戦争の終わりは女性たちにとって新たな戦いの始まりだった。
 

 引き揚げ者の1人、19歳の時に北朝鮮から門司に引き揚げた山口県周南市の深澤幸代さんに尋ねる。
 敗戦後、北朝鮮にソ連軍が押し寄せてきた。ソ連兵の暴力から逃れるため、両親は年頃の娘(幸代さん)を二ヶ月間天井裏に隠した。男のように頭を剃り、食料は天井の隙間からいれてもらったという。深澤さんは、怖いのを通り越して、どうしたら生き伸びられるかと思ったという。

 山口県長門市に住む金谷美沙子さんは北朝鮮から博多に引き揚げた。金谷さんの住んでいた街もソ連兵に町を占領された。
 金谷さんの母も頭を坊主にし男の服を着て、「ソ連兵が来た」と言うと押し入れに隠れた。見つかったら言いなりになるしかなかった。
 金谷さんと母が博多にたどり着いたのは敗戦から10ヶ月後。
 引き揚げる船の中でも、望まない妊娠をした若い女性が海に飛び込んで死んだという。
 実際に、その一件以外にも、女性が身投げは続いた。博多港では、引き揚げ船の中で「不幸なるご婦人方へ至急ご注意」で始まるビラが配られた。「望まぬ妊娠と性病を申し出て欲しい」と呼びかける内容だった。
 

 国内最大の引き上げ港、博多港には、闇船を含めると150万人を超す人々が上陸した。その当時の博多で引き上げ者のお世話をした森下昭子さんは、活動を続けてきた。
 望まぬ子を宿し引揚げた女性たちは、当時法的に許されなかった堕胎中絶が極秘に行われていた。森下さんが作った証言集には、記録されている。
 

 終戦翌年の3月、特殊婦人の堕胎や性病に対応する二日市保養所が、引揚げ援護をする医師や関係者によって作られた。人道的立場から女性たちを救うためだった。国もこれを黙認し協力していた。
 その実態は残酷な実態であった。
 堕胎手術は、生まれる寸前の妊娠後8か月にも行われた。1年で400~500人にのぼった。医師の報告書では、この春亡くなった看護婦の村石正子さんは堕胎の様子を「麻酔なしの手術に皆声も出さず耐えていた」などと証言している。 Z7405
 赤ん坊の泣き声を聞くと、母性本能が目覚めるので、声を出さないように幼い命を始末した。バケツの中で再び息を吹き返し、泣き声を上げ、生き返ることもあった。 

 看護婦青坂寿子さんは、二日市保養所へ異動は本当は断りたかったという。当時は、道具もなく大変だったなどと語った。望まぬ子を宿した女性たちを思い、人道的な立場から手術する医師や看護婦たち。一方で、厚生省は、国外から入ってくる性病をコレラやチフスと同様に、混血児の生まれるのを水際で徹底的に食い止めようとしていた。堕胎は女性たちのためなのか、それとも国のためなのか。二日市には、水子地蔵があり、今も毎年供養祭が行われている。 

 長崎県佐世保市は、博多に次いで二番目に多い139万人が引き揚げた。佐世保引揚援護局でも特殊相談は行われ、15歳~50歳までの女性全員に話を聞いた。記録が残っている。話しを聞く相談員は、佐世保友の会の婦人達。 

 70年前の引揚げの事は語り継がれており、当時の会員の娘で現会員として活動している中山興子さんは、母が毎晩遅くに消毒の匂いをさせて帰ってきたことを覚えていると話す。
 母親達は相談内容を“問診日誌”に記録し、その中には性的暴行を受けるなどした引揚げ女性達の悲しみが綴られている。昭和22年、天皇への上奏の中にも、特殊婦人に関する記録があり、堕胎は全国の国立病院で無料で行ったなどと書かれている。

第11回日本放送文化大賞 テレビ・グランプリ
山口放送/奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~
■中央審査・審査講評:
 生存者の語りと丹念で忠実な取材をベースに、封印された事実に鋭く迫り、戦争という体験が一人の人間にどれほど重くのしかかるのかを映像の力で示した力作。
 母親が被害に遭った男性が、戦後70年を経てタブー視され密かに処理されてきた事実を語る際に見せる“笑いながら泣く、泣きながら笑う”という複雑な感情をカメラは捉えた。笑っていなければ生きていけないほどの奥底の深い悲しみ、負の世界を発掘し、描き出した貴重なドキュメンタリーである。


満州引上げはどう行われたか: nozawa22

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