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2016年3月23日 (水)

「少年H」妹尾河童 二番目のカミサンの迎え方

Senokappa
『少年H』は、妹尾河童の自伝的小説。
 当時の名前は「肇」だったので、セーターに書いてあったイニシャルからの愛称。
 
看板屋から上京して劇場の舞台装置を担当して、名を成した成功者だが、1997年(平成9年)、講談社より刊行された。1997年(平成9年)度、毎日出版文化賞特別賞受賞作品。現在「肇」はやめて、妹尾河童が本名である。
「少年H」から見える 現代日本の将来図 動画あり  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 20代半ば、スタッフグループという事務所に所属していた。作家、指揮者、舞台演出家、照明家など雑多な人が所属していた。指揮者の岩城宏之、作曲家の林光がいた。貧乏事務所の事務員の給料はべらぼうに安かった。そのせいか、事務員がすぐ止めた。狙われたのが、林光の従妹である。

林 光(はやし ひかる、1931年10月22日 - 2012年1月5日):日本の作曲家。東京府出身。フルート奏者林リリ子は従姉。リリ子の夫、阿部冨士雄はヴァイオリニスト。光の父である林義雄は慶大医学部卒の医師で、ベルリン留学ののち、日本大学医学部教授。「音声学の権威で臨床医、声楽家や演劇人のノドを診た名医であった」。

 妹尾河童は、少年時代を戦争の中で、「少年H」は、物語の中では、戦争に反対する平和主義者と描いているのを児童文学作家山中恒は手厳しく批判しているが、一体どちらが正しいか・・・。

 公演直前、藤原義江はある舞台美術家は「今までの分を支払わなければ、今度の舞台美術の設計書は渡せません」と抗議された。藤原は「ああ、じゃあいいよ」と答え、上演予定日が迫る中で舞台美術が確保できなくなってしまった。
藤原は、グラフィックデザイナー妹尾の存在を思い出し、必死で口説いた。
 結果として上演は成功し、当時辛口批評家も絶賛し、妹尾自身も、その後も藤原から舞台美術を半ば無理やりやらされ、気がついたら生業となっていたという
(『河童の手のうち幕の内』より)。


 大人になって、仕事をしながら、この事務所「スタッフグループ」で楽しそうにやっている。次から次と辞めてしまう事務員、三人目に作曲家林光の従妹(風間茂子)に頼み込んでいる。関係者の縁者なら、辞めると言えないということ狙っていたのだ。「すぐ辞められては困るなぁ」といいながら、月給は一万円だった。

 指揮者の岩城とボク(妹尾河童)は、仕事以外にも彼女に面倒をかけていた。というのは、当時携帯などという便利なものがないから、惚れっぽい二人は、恋人との連絡をトルのに、電話で事務員の彼女(風間茂子)に連絡を取ってもらって、本人が出てから受話器を受け取っていた。だから、日ごろの行動を全て知られていた。
 そのころ、ボクにはカミサンがいたので、世に言う不倫出を重ねていた。そのくせ、ボクはカミサンにも惚れていたのだから、我ながら身勝手なヤツであることは認める。他の女性にすぐ惚れてしまうのは、自分でもどうしょうもないビョーキだったのである。

 一年して、彼女は事務所を辞めた。
「河童のアホらしい電話の取次ぎに嫌気をさしたんだ」と、仲間がボクに怒った。

 それから一年半後、カミサンは二歳半の娘を残して、一ヶ月の患いで呆気なく死んでしまった。死因は、急性脳膜炎である。
 ボクは急に子育てと家事と仕事を一度に背負いこんだ。娘は頼りないパパに不安を感じながら、殊勝にも「ママは?」とは決して言わなかった。聞いてはいけないという雰囲気を感じとっていたのだろう。事実を知るとパニックを起こしとでも本能的に予知して自制していたのだろう。泣き虫で甘えん坊が、いつにもなら泣き出すのをじっとガマンしているのが、いじらしかった。

 葬式を終えた三日目に、カミサンのお袋が「喪に服すなんてことは、どうでもいいから、早くお嫁さんを探しなさい。あんたのためにも、子どものためにも、その方が大事なことよ」
 そのとき、ボクには恋人がいたのだが、その人と一緒になるつもりはなかった。向うも実にはっきり「あなたの奥さんはゴメンよ。大変だモノ」と言った。

 お嫁さんになってほしい人として、頭に浮かんだのは事務所にいた風間さんだった。しかし、その後の消息は知らないぐらい付き合いはなかった。申しこんだとしても、返事はまずノーであろう。仲間は「断れてもモトモト。あきらめずにに当たってみろ」と言った。とてもボクの口からは、照れ臭くていえたものではない。見かねた友人がボクに代わってプロポーズしてくれた。

 彼女は仰天したらしい。友人たちは、「もう河童のビョーキは治まるはずだから、これからは大ジョブ。キミに苦労をかけることはない」と自分の口からは言えない言葉で説得したという。
 彼女は「まず子どもに会ってみたい。それから考えさせて」と、いってきた。

 彼女が家にやってきた日、娘は久しぶりに母親に近い年齢の女性にあったせいか、彼女の後ろにくっついて歩き、彼女がトイレに入ってもそのドアの前にじっと立って出てくるのを待っていた。別れるとき、「また来てくれる?」と、ベソをかいた。

 彼女は二ヵ月半考えた末、OKの返事を呉れた。「アノ子が可愛かったから」と言った。カミサンだけでなく、、同時に母親になるのだから、子供との相性モ真剣に考えていたようだ。

 新婚旅行は、箱根に一泊という簡単なものだった。帰ってきたとき、前の奥さんのお袋が「よろしくお願いします」と、二代目奥さんに頭を下げた。横でソレを見ていた娘が、同じように「ヨロシクオネガイシマチュ」と畳に手を付いて頭を下げた。二代目のカミサンになった彼女は、娘を抱きしめて涙を流した。
「オバちゃんかな、ママかな」と、一度だけ頭をかしげていたふうだったが、あとはそのままママとなった。

 その後、初代のカミサンが亡くなって、三十年。
 二代目カミサンは、「二人にだまされたァ」と言っている。反抗期の娘は憎たらしいかったし、ボクは性懲りもなくビョウキが続いていたからだ。今は、二人(娘とボク)は彼女に信頼を得ていると思っている。でも、自信がないので、彼女に確かめてはいない。

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