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2016年3月 7日 (月)

奥底の悲しみ(山口放送)~戦後70年、引揚げ者の記憶~02

 昨年2015年、山口放送では、引揚げに関する特集を放送し、視聴者から寄せられた体験記を紹介するなどした。日本海に面しているから、終戦時には、引揚者に多く接した。
奥底の悲しみ(山口放送)~引揚げ者の記憶01
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 ●深澤幸代 89歳
 19歳の時に北朝鮮から門司に引き揚げた、山口県周南市の深澤さんを訪ねる。
000008 敗戦後、北朝鮮にソ連軍が押し寄せてきた。深澤さんの両親はソ連兵の暴力から逃れるため年頃の娘を2ヶ月間天井裏に隠した。深澤さんは男のように頭を剃り食料は天井の隙間からいれてもらった。用を足すのはツボの中だった。000001 怖いというのは通り越していた。タダどうしたら生き残れるか、両親がいるから、生き抜かなくてはと思った。ソ連兵は、ゲルマン(ドイツ兵)と戦ってきた囚人兵というから、一番荒い連中だ。000003
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何が目的かというと、女性だった。19歳の深澤幸代たちが一番合っているから、女学校の同期でやられた人は多かった。一番悲惨なのは、1歳2歳の子持ちの女性は、子どもが静かにできないから、すぐ見つかっていたずら(強姦)されている。死んだ人もたくさんいる。000006 どうしようもない。それが戦争に負けたということだった。日本人がソ連兵の強姦から日本女性を助けることはできなかった。日本兵が助けに来ることはありえない。女学校の同期の三分の1は帰国していないから、どういう死に方をしたか分からない。000002などという。深澤さんは怖いのを通り越してどうしたら生きられるだろうかなどと思ったという。当時の国会議事録の中に現地で日本人女性に被害を及ぼすソ連兵に関して「ソ連兵は一面野獣的性格を所有している」などの記述があった。 

 新奉天市(現:瀋陽市)に暮らしていた新田浩治さん一家は、満州から佐世保に引揚げの道中で弟を3人亡くしている。

 新田さんは当時を振り返り、敗戦間際にソ連軍によって街が占領され、金品を奪われ、女性達が強姦され、辱めを受けた女性が手榴弾で子どもと一家心中をしたなどと語った。
 佐世保友の会の問診日誌にも、集団自決の記録が残っている。

●山口市に住む小林茂さんは、北朝鮮を父の転勤でいろんな場所を回ってが、終戦のときは球場という町にいた。
000021 敗戦当時、小林さん一家は、父は終戦間際の根こそぎ招集で出征していたので、家の中は母と子ども3人だった。 

敗戦後すぐに街(球場)はソ連軍に占領され、000061その後1年間ソ連軍は毎日、日本人の住む長屋にやって来ては
Th_2「マダムダワイ、マダムダワイ」(女を出せ)
 と大声でわめき叫んで銃で脅した。抵抗すると、実際にマンドリン銃で撃ち殺した。
  ソ連兵は(女を)裸にして、数人並べて壁に手をつけ背中を向けさせ、銃を口の中に押し込んで脅し、犬の交尾スタイルで男女のセックスをした。その両端に数人のソ連兵が警護し、強姦する番を待つ次の兵士がいた。足を開かない女性がいると撃ち殺し、その人を引きずり出して、別の女性を裸にして並べた。

 ソ連兵は、日中でも、雪の日も、道路でも、平気でセックスをした。それを小林少年は、恐怖と興味半々でのぞいていた。始めは遠くで見ていたが、幾度もそういう場面を見るうちに、自分のできることをしようと、ソ連兵が去ってから、放心状態の女性のため、服を拾い、湯を沸かし体を拭かせてやった。
000016 小林さんは、今まで誰にも伝えていなかった当時の様子を次世代に伝えるため手記にし、書き終えて肩の荷が下りたという。000023

  日本が降伏した直後に南下したソ連兵は、主に囚人兵だったというのが通説になっている。
 その後、昭和20年9月初め頃になると、ソ連兵の軍服は色々と異なり、規律も異なってきた。規律を守らせる憲兵の役目の兵もして、強姦しているソ連兵が射殺される場面もあったという。
  
 略奪、強奪、強姦は、ロシア人ソ連兵以外、蒙古人等黄色人種の朝鮮人、中国人もいた。
 日本の敗戦と同時に、日本人に対して、何をしてもいいという考えが広まったとも思える。彼らは日本人と見れば、略奪、強奪、強姦はソ連兵と同様であった。ただソ連兵には、満人と日本人の区別がつかなく、単独で歩いている満人女性も多く強姦された。

 領土と勢力圏を広げ、35年間植民地として朝鮮半島を支配し、多くの日本人が渡った。引揚者小林茂さんもそこに暮らしていた。
 当時、北朝鮮では皇民化教育も進められ、朝鮮人には多くの差別があった。敗戦後、逆に、日本人は現地民から棒で叩かれるなど度重なる暴力を受けた。
 小林さんは、そこで初めて日本の支配について考えた。

皇民化教育(こうみんかきょういく):大日本帝国の支配地域において、天皇(主権者)への忠誠要求した教育、内地・外地を問わず(日本人へ)同化教育。それは、民族の伝統や文化を無視し、徴兵や植民地支配強化を目的とした。
①言語統制、日本語標準語の公用語化。
②教育勅語の「奉読」、奉安殿の設置
③台湾神社、朝鮮神宮等の参拝、国家神道の強制
 

 小林茂さんも、敗戦翌年に占領された街から集団で脱出し、その道中にも、現地の人達から度々暴行を受けたと話した。 

 毎年5月、福岡県二日市では水子供養祭が行われ、堕胎手術で消えていった小さな命に今年も人々が手を合わせた。悲劇を語り継ぐ努力は静かに続いてきた。
 しかし、関係者の高齢化は進んで、その悲しみの記憶を伝え繋げることが出来るのは今を生きる私達だけなのだ。そんな思いで今こそ、その記憶を伝える努力をしている。

満州から引き揚げ 1: nozawa22
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