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2016年2月28日 (日)

疾風のように駆け抜けた彼 4

   小学校時から彼を知っているSさんが「中津高校創立百年記念誌」に彼の生き様を紹介してくれた。
   特に、彼の最後の事業「パコダ」建立、その前後に事情がわかる手紙を紹介している。
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  彼が上京して職を転々とした時期、彼に声をかけ、同じアパートで暮らしたこともあり、彼と私は接点がいくつかあった。彼の存在は私には人生の一部でもある。
 最後の仕事になった「パゴダ」建設には、私はよく理解していなかったので、慰霊イレイよりもっと違うこと、建設をやるべきだ。と、いっても聞くことはなかったが、私は勧めていた。

 しかし、今私は、彼は生きる目標が必要であったのだ、と感じている。たしか、家の中で、家庭の建設とは別の目標を夫が持つとなると、妻の立場とはズレが生じる。それは、いささか問題だっただろう。彼は病気を抱えたがゆえに、これを目標として行くことになったのかもしれない。

(’96年2月25日朝日新聞)ビルマ、タイの鉄道建設で数多くの人間を犠牲にしていった日本軍の罪滅ぼしが、パゴダ建設であった。その建設が彼の気持ちにフィットした。それをタイで見つけたのだろう。
命のともし火、それと引換えに彼はやり遂げてしまった。命の限りを知って家族の協力、マスコミにも協力も得た。
建設費は250万円であるが、彼のタイやミャンマーに行く費用は含まれていない。浄財集めに、全国を回っていたが、大変だったはずだ。
この地で倒れた戦友を知る人々には、彼のパゴタ建設に涙を流して喜んでくれていた。彼の文章が正確であるか、ちょっとわかりにくいが、日本軍の旗色が悪くなってきたとき、物資輸送は緊急の課題であった。そのため、捕虜や東南アジアの労働者を酷使した事実はあった。通常の工期では5年以上かかる鉄道敷設を一年半もかからないで仕上げてしまった。
そこには、犠牲者を多く生まれた。その事実は、今となっては、なかなか正確には知ることは、困難であるが、日本が東南アジアで八紘一宇ハッコウイチウを標榜ヒョウボウし、欧米諸国に対峙タイジする中に、このような犠牲が多く生まれた。これらの事実を検証し謝罪をしないと、日本はいつまでも敵視され続ける。
情に厚く、ほれ込んでしまうと、敵が幾千万あろうと、一気に走り出す彼の性格は一生そのままであった。彼の気性は、群を抜くものがあった。しかし、惜しいことに、彼には欠けるものがあった。大人としての目が育つ時に、人生詰め将棋の大事なポイントが少し目が粗い気がする。

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