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2016年1月20日 (水)

ファミリーヒストリー竹中直人 笑いながら寂しさを漂わす母の内側

000045竹中 直人(たけなか なおと、1956年3月20日 - ):タレント、コメディアン、映画監督、歌手。神奈川県横浜市金沢区富岡出身。レディバード所属。左利き。妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。

  関東学院六浦高校を卒業後、多摩美術000041大学美術学部卒業。大学在学中は映像演出研究会に所属。8ミリ映画の制作に没頭し、在学中の1977年、『ぎんざNOW!』(TBS)の「素人コメディアン道場」で第18代チャンピオンに輝き、芸能界入り。1978年に劇団青年座に入団。
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000137 「本当の故郷は長崎」という母は、彼が高校卒業と同時に、肺結核がもとで亡くなった。
 母は死直前、隔離病院から家に帰り、息子の顔を見てその将来を心配していた。体調がいいときは、小椋けいのレコードをかけていた。その話になると、
竹中 直人の目には・・・。「キツイよ」と、その場から逃げたそうだ。000058高祖父の代に、福井からスカウトされて福江藩のお抱え絵師なった。
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 高祖父東鶴(長谷川平三郎)の描いた絵は、福江の中にもほとんど残っていない。絵師の絵は、殿のものとして全部買い上げられる形で、その絵は藩士の功労に賞与として渡される。120坪の敷地が与えられ、高級藩士として遇されていた。
次の代、曽祖父清治は、現代でいう司法書士、行政書士=代書人として島で一生を過ごした。
 その息子、祖父正直まさなおは、島の暮らしを嫌って、長崎に出た。
 主に生糸を買い付けて、外国へ輸出する仕事をした。第一次世界大戦の最中は、日本中が好景気に沸いて、大いに儲かった。長崎天主堂の前の丘陵地に住まいをもって、裕福な暮らしをしていた。ちょうど、大戦景気で成金が出た時代。

 大戦景気(大正バブル):ヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦の影響により、その圏外にあった日本の商品輸出が急増したため発生した空前の好景気となった。
000085 このブームは1915年(大正4年)下半期に始まって、工業生産が急激に増大し、重化学工業化の進展がみられ、日本の都市社会にも大きな変貌をもたらした。1920年(大正9年)3月の戦後恐慌の発生まで続き、1929年のアメリカ大恐慌を引き起こす。

 この好景気で、日本では成功して成金になったエピソードがいくつかある。
Narikin_eiga_jidai この成金男が、靴を探す諷刺画の“100円札”に火つけて燃すエピソードが有名だ。今平成28年なら、100円札”は一体いくらになるか、興味が湧いた。貨幣価値を換算するのは、物の値段の上昇違うから、簡単そうでわかりにくいが、 

当時(大正末~昭和始め)値段との比較
●地下鉄初乗り運賃 10銭 【交通】140円 1400倍
●新聞料金 月極1円(大正15~昭和2) 4000倍~3000倍
朝夕刊:4,037円(月極)~3,093円(月極)
●自転車(宮田75円 昭和2) 18000円 240倍
●米一俵の価格
昭和3年(1928年)  約35円
平成25年(2013年) 14,341円 =410倍

 100円札”の価値は、
新聞で考えると、30万円~40万円。
地下鉄換算14万円、
自転車換算2万4000円、
米なら4万1000円。
 平均すると、12万6000円だ。それにしても、財布から10万円札に火をつけて靴を探させる成金・・・おかしな人が生まれたものだ。
大戦景気で成金が生まれ、バブルは人を狂わせた。大カネをつかむと、人間は案外平常ではいられないのかも。
 この時期、成金男が芸者を集めて、余興としてカネをばら撒いて、拾わせる遊びを・・・この程度は普通だったのかも。
 

000026 第一次世界大戦が終わって、その後、1929年の大暴落・・・大恐慌に陥り、バタバタと倒産した。欧州の戦争に日本はムリに首を突っ込んで、連合国の他の参戦国から軍需品の注文をうけ、大戦景気に沸いた。

 岐阜県の田舎(中津川市)でも、大戦景気まで生糸を扱う中小の工場が乱立していたのが、この大戦景気が終わった途端、バタバタと倒産した。昭和20年の初期まで、町のあちこちに廃屋工場が残っていた。

000020 この大戦景気が過ぎ去った後、竹中直人の祖父正直は、長崎で成功した財産が無くなるような状況になり、大正五年長崎から横浜へ・・・

 竹中直人の従姉の●●さんが「生い立ちの記」という記録
作文を学校の宿題か何かで書いたのが、ファミリーヒストリーで取材で出てきた。
 この記録によって、竹中直人の祖父に従う母の兄弟姉妹が、三日かかって横浜に着くということがわかった。

000003 直人の母芳枝の従姉、美智子の記憶では、000016直人の祖父正直は、長崎にいるときは、ダンディでおしゃれ、パリっとした男であったという。
 それが、生糸の輸出がうまくいかなくなったのは、一家の存亡の危機であった。
 仕事のありそうな、横浜へ一家して引越しは、親戚知り合いが見送りに来てくれた・・・と作文にはある。

000022 横浜に着いてから、昭和五年には、乳飲み子の弟が死に、同じ年に、一番年長で父の手伝いをしていた兄(長男)が病死した。父は、外国船の乗組員や乗客相手に艦船行商を始め、持って行く商品は外国人相手によく売れた。
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 正直は、長崎で生糸の貿易で手痛い目にあってから、貿易には手を出さないで、仕入れた商品と自作のショールを日本みやげとして、外国人相手に艦船行商した。ショールは正直が刺繍した自作商品を売った。 ヒマの時間は、 臨時雇いの艦船の清掃を請け負って日銭を稼いだ。

 昭和15年(1940年9月27日)、三国同盟(日独伊)が成立してからは、横浜港にはドイツの艦船が出入りすることが多くなった。
竹中直人の母方祖父正直が艦内行商を始めて12年目、1942(昭和17)年11月30日に横浜港新港埠頭内で爆発事故が起きた。

 ドイツの高速タンカー“ウッカーマルク”が、1942年11月30日13時40分頃に火災、近くの船舶を巻き込んで大爆発した。000095 爆発の原因は、敵国の工作員による破壊工作など様々な説が唱えられたが、目撃者の証言から、ウッカーマルクの油槽の清掃作業中の作業員の喫煙との説が有力である。
 ドイツ海軍の将兵ら61人、中国人労働者36人、日本人5人の合計102名が犠牲。生き残ったドイツ兵は、終戦まで箱根町の芦之湯温泉の貸切状態の旅館で暮らし、大戦終結後まもなくGHQによりドイツに送還された。

 正直の艦船行商は、爆発艦船のすぐ近くでやっていたから、逃げる間もなく、吹き飛ばされて、大やけどで、履いていたズボンさえなかったほどであった。
 直後は行方不明だった祖父は、その夜になって病院がわかり、デパート呉服売り場から芳枝(直人の母)は駆けつけたが、苦しい息の下から父は「財布がズボンのポケットにある」と伝えたが、ズボンははいていなった。
 芳枝は、昭和五年から横浜に来て、弟、兄、父を失った。父の死後、デパートを退職してから、22歳で区役所の職員になった。
そこで、直人の父である(市民税課)竹中博美と知り合う。000111 竹中直人は父が母へ猛烈なラブレターを必死に送っていたことは知らなかったから、・・・父もいうことが、なかなか愉快で、この父にしてこの子直人あり、という印象は強い。000018 母芳枝は祖父の次女で、幸子は芳枝の姉の娘で、歳が近かったので、同じ横浜で同居していた。だから、竹中直人の父が芳枝にラブレターが送られてきた頃をよく知っていた。
000116000119「(厚いラブレターが)毎日来るから、困っていた」
 娘心は戸惑っていたが、そのうちに心が傾き、デートを重ねるようになった。
000130 「写真より、実物のほうがいい。なんとしても、妻にしたいと思っていた」現存の直人の父はいう。「それを証明してくれる人がみんな死んでしまった」と述懐する。
000054 直人の父の心に残る母は美しい姿であるが、母は長崎から横浜へ来て、弟が病死、同じ年に、一番年長で優しい兄が死に、父はドイツ艦船の爆発で事故死と、死と離れらなない人生だった。
 結核は治る病気だったが、どうして悪くなったのか、母芳枝は自分の結核は徐々に体の中で成長しているのに気付いていたのかもしれない。
 フトンを押入れに上げるのが、突然できなくなって、病魔が全身に広がっていて、それ以後、隔離病舎に入院した。それが、直人の高校の二年半、入院した。母は、兄弟、父が死んでいくこの自分の人生に安閑としていられない気分が常に付きまとっていたのかもしれない。直人の高校卒業を見届けて、翌日亡くなった。
 直人曰く「母は、特に暗い人ではないが、笑い顔を見せながら、心の底には笑えないものを抱えていた」と解説してみせた。

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