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2016年1月20日 (水)

岩崎弥太郎は、どういう男か?いかにして、三菱財閥を築いたか?

 土佐藩には上士(山内系藩士)と郷士(長宗我部の系譜)の差がが厳しくあった。本日の記事は「知恵泉」からヒントを。000017・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 その中でも、岩崎弥太郎(いわさき やたろう)の家は、父弥次郎も、祖父も大酒のみで貧乏で、武士家禄を売り、地下武士となって、百姓をしていた。000069_2 ただ、自信家かつ毒舌で、賢かった。村の塾では物足りなくて、親類の人の紹介で、城下の塾へ移った。そこでトップクラスの成績を示した。塾の師匠にも注目された。000071 塾の師匠の友人奥村慥斎が、藩の役目で江戸へ行くという情報を聞きつけて、弥太郎は奥村慥斎の家へ行き、江戸で学問をしたいのでお供に付け加えてほしいと嘆願した。000077 突然来られても困るだろうが、塾の師匠から成績優秀と聞いていたので、供の一員に加えてもらい、江戸へ行った。000080早速、江戸の塾も優秀なところを探してもらい、安積艮斎の塾に入塾する。ここでも、弥太郎はみんなの前で、その優秀さを見せたのか、記録には、000082 という評判が残っている。江戸の塾で勉強したのは、そう長くはない。安政2年(1855年)、土佐の郷里で父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り、急いで土佐へ戻った。父の冤罪を訴え抗議に役所に行って、奉行所の門に落書きし、弥太郎も獄に入れられた。獄中で出会った老人から「商売の神髄」を教えられた。

 出獄後、村を追放されるが、当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾。
000083そこで、上士後藤象二郎らの知遇を得る。東洋が復職し参政となり、弥太郎の意見書が参政・吉田東洋に認められ、郷廻に取り立てられる。
 「郷廻」とは
 
簡単に言うと、土佐藩の「岡っ引き」。
江戸では「同心」(警察官)の手下として「岡っ引き」が雇われるが、同様なことを土佐藩では「郷廻」とか「下横目」と呼ばれる。非正規雇用の警察官。 岩崎弥太郎は“地下浪人”で、郷士ですらなかったので、非正規雇用の下っ端とは言え役職を与えられたのは結構良い待遇

000084 後藤の推挙で藩吏の一員として長崎に派遣され、土佐商会の会計補助に任命される。当時の上級武士は金銭を扱うことは不浄のこと、従って土佐の責任者である後藤象二郎は、育ちのいい上士だったから、政治には関心があったが、経理は苦手だった。その巨大の不始末を下級武士の岩崎弥太郎に押し付けられた。

後藤象二郎(天保9年3月19日(1838年4月13日) - 明治30年(1897年)8月4日):日本の幕末から明治時代の土佐藩士、政治家、実業家。土佐藩士後藤正晴(馬廻格・150石)の長男として高知城下片町に生まれる。
少年期に父を失い義理叔父吉田東洋に預けられて育ち、東洋が開いた少林塾に学ぶ。また柳河藩士の大石種昌に大石神影流剣術を学び文武の業を修めた。
 文久3年(1863年)に江戸に出て、開成所で大鳥圭介に英語を学び、会津藩士高橋金兵衛に航海術を学んだ。
  元治元年(1864年)に藩政に復帰。山内容堂の信頼を得て大監察や参政に就き、公武合体派の急先鋒として活躍した。
 慶応2年(1866年)藩命を奉じて薩摩、長崎に出張、上海を視察研究。
  慶応3年(1867年)、龍馬の提案“船中八策”に基づいて将軍・徳川慶喜に対し大政奉還論を提議。薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らと会談し薩土盟約を締結。倒幕路線を歩む薩摩との思惑のずれから盟約は解消されたが、10月3日に容堂とともに連署して大政奉還建白書を提出。10月14日に慶喜がこれを受けて大政奉還を行った


 岩崎弥太郎は、土佐商会の経理を詳細に調べると、180万両(180億円)の負債があることに驚いた。
後藤象二郎は、経理に疎く藩の財政を無視して武器兵器をどんどん買い込んだ結果である。
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 岩崎弥太郎は、経理をコツコツやる一方、酒好きで度胸があるからか、公金で遊蕩したことから半年後に帰国させられた。
 この頃、27歳で弥太郎は長岡郡三和村の郷士・高芝重春(玄馬)の次女喜勢を娶る。

  土佐勤王党の監視や脱藩士の探索などにも従事していた弥太郎は、吉田東洋が暗殺されるとその犯人の探索を命じられ、同僚の井上佐市郎と共に藩主の江戸参勤に同行し、大坂へ赴く。

吉田東洋暗殺 概要
 
文久2年4月8日、吉田東洋、土佐藩参政として藩主の信頼の厚い佐幕開国派の中心。攘夷倒幕=土佐勤王党(盟主:武市 瑞山ずいざん/通称半平太)の手によって暗殺された。
 背景には、思想上の対立だけでなく、上士と下士の土佐藩独自の身分差別という問題もあり、これ以降、土佐内部では佐幕派と勤王派が激しい抗争を繰り返すようになる。
もともとの領主であった長宗我部家が関が原の合戦に敗れて、山内一豊の支配地となった国で、そのため長宗我部の遺臣は郷士として、藩士山内一豊に従ってきた藩士=上士から、200年以上もの間、人としての扱いを受けていなかった。実は吉田東洋の先祖も、長宗我部の重臣であったが、山内一豊と同祖であったために当初から馬廻200石に召抱えられていた


000077 岩崎弥太郎は、尊王攘夷派が勢いを増す京坂での捕縛業務の困難から、任務を放棄し、無断帰国。この直後、大坂に残っていた井上は、岡田以蔵らによって暗殺され、弥太郎は九死に一生を得た。帰国後、弥太郎は長崎での藩費浪費の責任なども問われ、役職を辞した。
 慶応3年(1867年)、後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事する。

 坂本龍馬が脱藩の罪を許されて亀山社中が海援隊として、土佐藩の外郭機関となると、弥太郎は藩命を受け隊の経理を担当した。 弥太郎は、この後藤象二郎の尻拭いに奔走する。配下になる海援隊の給与も土佐商会の仕事であった。
000101後の三菱商事の創立者でもある岩崎弥太郎も、この借財と経理のやりくりに神経衰弱になったようである。(けいほ日歴)

 なお、幼馴染とも伝えらえるが、記録上確認できる弥太郎と龍馬の最初の接点はこの時である。
 弥太郎と龍馬は不仲であったともいわれるが、弥太郎は龍馬と酒を酌み交わすなどの交流があった様子を日記に記しており、自分の夢と志を龍馬に語ったところ、その龍馬は手を叩きながら喜んだ事も記されている。また、龍馬が長崎を離れる際には、弥太郎は多額の餞別を贈っている。

  弥太郎は、土佐商会の赤字体質をなんとか軌道にのせるために、日夜頭を悩ましていたが、ある商人に相談したら「商いは飽きないで、仕事を続けること。外国商人が長崎には多いから、友達になることだ」とアドバイスを貰って以来、長崎在住のオランダ人、イギリス人等を片っ端に訪問した。多くの外国人は商談ならともかく、借金の申し込みにはあうはずなかった。面会謝絶=不遇であった。これでヘコむ弥太郎でない。ついに会ってくれるイギリス人商社マンと知り合いになった。

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