« ドイツとの同盟、歓迎する国内雰囲気、山本五十六の冷静さ | トップページ | わらってこらえて チャールズ・スターク・ドレイパー賞奥村善久名誉教授 »

2016年1月13日 (水)

ゲーム機を否定して、子供は創造力を養うために自然の中で

 子供には、ゲーム機を与えないで、創造力を養うために自然の中で遊ぶ世界を・・・という親の願いを通すことの可否について考える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「★読んで頂いたら、★1日1度クリック」 
  ↓   ↓   ↓   

人気blogランキングへ 今後とも、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います
 お気に入りに追加  ブログ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Photo
 テレビもない、ゲーム機もない戦後、高度経済成長まえの時代は、たしかに外で遊んでいた。
 缶けり、一輪回し、缶下駄、とうよみ“だるまさんが転んだ”、おはじき、ビー玉、メンコ、凧揚げ、竹とんぼ、プロペラ飛行機、紙飛行機、クルミ磨き、コマ鬼ごっこ、“雪積もれば、箱ソリ”など、学校出はドッチボール、“宝踏み”
 何にもないのに、虫ブヨが舞うときには、「シロコ、シロコ、一寸下がれ」と追い回す遊びもあった。

 外に出て行っても、11月は走りまわらないと、寒いから、常に何かやっていた。メンコ=パンパンが流行るのは、周期があって、一年から二年の周期で流行ってきた。その間、メンコの代わりに“ダッセ、ダッセ、ダッセヨ”と、手持ちカードを相手と出し合って、龍と虎なら、「龍が勝ち」、龍と鼠なら「ネズミの勝ち」というのがあった。それ以前なら軍人ゲームだったようだが、昭和20年代は動物になったようだ。

 メンコ=パンパンの場合は、四角のメンコから丸メンだったが、一時人形めんが流行した。人形の形に切り取られた力士が描かれていた。勝負は基本は、相手の札をひっくり返してとるのだった。

 そういう 牧歌的な風景の中に、案外世知辛いこともあった。
 2年生の時、クジで大下選手(東映フライヤーズの強打者)のプロマイドが当たってうれしかったので、ギョンバ(行列)の大将(成瀬)聖ちゃんに見せた。それをみんなが見たがり、プロマイドがあちこちに回っているうちに戻って来なくなった。
注釈:
ギョンバ(行列)=当時は、市内の街区で、弓張提灯、高張提灯の行列を行っていた現在は、おいでん祭となって、市主催の夏祭りになっている。
 聖ちゃんに探してもらったが、結局誰か持って行ってわからず仕舞。羨望の的になると、そういうシッペ返しがくるのだ。せっかく当たったのが、その日のうちになくなってしまった。

 母が気を利かせて買ってくれた“布グローブ”と“バット”も、その日になくなった。一緒に遊んだ仲間に盗まれたと思って間違いない。そのころの常識だった。「盗まれる」ことは、日常茶飯事だった。牧歌的な情景の裏には、貧しい社会があると思わなければならない。

 忘れないうちに、伝えておきたい囃子歌がある。
俗謡1
 イットコ ニトコ サザンガク
 セッセト ヒトネタ 女ノ子
 アシモ テモナイ ズンベラ坊主
 カワヨテ カワヨテ カキクケコ
 
俗謡2 (草履隠しゲームの囃子歌)
 ジョンジョリ ジョリカクシ
 オジョリデ ハナカンデ
 モウヒトツカンデ ウントコショ
  足ガ冷エルデ チャット持ッテオイデ
 
囃子ことば
 ウワウワ ゲンゲンババサ(婆ばさ)

 小学4年生になって、初めて家具屋のアキちゃんに野球を教えてもらった。彼は中学卒業した春休み、家具の配達にリヤカーを引いているとき交通事故で亡くなった。

 

 町の先輩聖ちゃん(中三)の家は、西山に畑をやっていて、山に連れて行ってくれた時、捕まえた虫を見せて、聖ちゃんは
「これは道案内する虫だ」
 背中に青と金の筋模様が鮮やかな昆虫を手のひらにのせて見せてくれた。その虫を道の上に置くと、先へ先へと行き、人を道案内しているようだった。
 「これはハンミョウという虫だ」
 と教えてくれた。聖ちゃんは実に博学だった。

01_4 山の畑からの帰り道、遅くなって暗くなったら、空を指差して、
「アレがさそり座のアンタレスだ」と教わった。もっと暗くなると、
「あの星の横にあるもっと暗い星が見えるか。見えれば目がいい証拠だ」とか、ギリシャの星物語を話してくれたこともあった。
4_2 聖ちゃん(中三)の母親は、小学校の先生だったせいか、「子供の科学」(誠文堂新光社)を定期購読していたから教えてくれたのだろう。聖ちゃんは、早々と学生結婚し、愛知教育大学の教授になったが、膵臓癌で定年前に亡くなった。聖ちゃんの若い頃  

 里山のような自然の中で遊ぶのは、高度経済成長がそれほど進んでいない社会だったら可能だけど、市場経済が進むと、それに引換で子供は外で遊ぶ場所を失う。例えば、小学校の校庭は解放されていたものが、放課後、戸締りを厳重にされて、鍵が掛かって、外部の人間が入れない。外部の人が勝手に入ると警備会社が駆けつけるようになっている。
子供がゲームで遊ぶのは、そういう技術、産業の発展との交換条件のようなものだ。
 ゲーム機で遊ぶのを禁じて、創造力を養う自然の中で・・・子供を遊ばせるには、いろんな発展した産業を放棄しなければならない。それが現代人はできるか、ということだ。
 
 先進的なアイディアをもった人が、離れ島や国東半島に自宅を構えたり、箱根の人里離れた場所に自宅を建てる人がいる。学校へ行かず、アフリカで子ども時代を過ごさせた著名な人もいる。そこまで徹底できる自信がない一般人は、政府の決めた教育制度の中で、ゲーム機を共通のコミニケーションツールとしなければならない・・・と、諦めるしかないのか。なんか、だらしない結論だなぁ。
 

 きょう自分のブログを読んで、コレを忘れていた。
タオ「道」<TAO>を、くまのプーさんと考える:
 改めて読んでみると、忘れていたことを思い出したので、深読みの一顧にしたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「★読んで頂いたら、★1日1度クリック」 
  ↓   ↓   ↓   

人気blogランキングへ 今後とも、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います
 お気に入りに追加  ブログ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

|

« ドイツとの同盟、歓迎する国内雰囲気、山本五十六の冷静さ | トップページ | わらってこらえて チャールズ・スターク・ドレイパー賞奥村善久名誉教授 »

故郷郷愁」カテゴリの記事

生き方」カテゴリの記事

自分育て」カテゴリの記事

青春時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ドイツとの同盟、歓迎する国内雰囲気、山本五十六の冷静さ | トップページ | わらってこらえて チャールズ・スターク・ドレイパー賞奥村善久名誉教授 »