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2015年10月24日 (土)

ファミリーヒストリー野口五郎、歌手希望の父と母のDNAから生まれた。

 野口五郎は、岐阜県出身の数少ない芸能人である。岐阜県はジミーで、野口五郎の次は・・・と暫く考えて出てくるのは、若大将加山雄三ではなく、青大将田中邦衛(土岐市)。一人忘れていた。草野 満代(くさの みつよ、1967年2月4日 - )フリーアナウンサー。彼女は岐阜県中津川市( 旧恵那郡福岡町)出身。000000・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 野口五郎は、紅白初出場から10年間は連続で出続けた。その後は、あまり目立たないないが、とにかく、デビューするまで、地道な努力を続けていたのは、岐阜県のトクに美濃の根性だ。000028 戦争中、陸軍の部隊は地方別に編成されていたから、部隊の強さの差が出るという。一番根性のは東京出身者の部隊と言われた。美濃出身者は、ジミで目立たないが、“美濃雑巾”と言われ、絞ればいくらでも水が出るようにがんばると評された。野口五郎も、ヒョロっとしているが、ガンバリ屋だ。000035 五郎の父進は、祖父が早死にして、祖母が一人親で育てたから、案外寂しい思いをしているようだ。000044 進の母綾は、彼が小学生の高学年のとき、再婚して歳の離れた弟春男が生まれる。という流れである。
 だから、あまり若い頃のことは、息子である五郎には語っていない。ファミリーヒストリーに取り上げられた父の歴史を見て、知らないことだらけであるようだった。

 岐阜美濃市が故郷にある佐藤家(野口五郎の家の)倉庫には、進さんの過去の写真が保存してあった。進が小学生の時、母が再婚し弟が生まれ、学校を卒業後、14歳で名古屋に働きにいった。就職先については詳しく語らなかったが、写真を見ると、表札が出ていた。「高橋圖案所」だ。圖=図の旧字であるから、読めない人も多そうだ。昔は、“絽刺ろさし”という刺繍の図案を作っていた会社だとわかった。000067図案所は現在住宅になっている。元の経営者の娘土屋良江さんが別の場所で暮らしていることを突き止め、000056訪ねると、昔の写真を出して、いろいろ話を聞くことができた。000055 進は、絵が得意で彼の絵は、社内では評判であった。また、其の絵は新聞に投稿して載ることもあったらしい。000060 絵のほかに、歌も上手であり、アマチュアコンクールに応募して岐阜県代表から中部名古屋で決勝にまで行った。000074000075 一週ごとに勝ち上がり、最終の優勝者になれるかと思って、図案所のみんなが必死に応援してくれたという。残念ながら、000079優勝は、あの田端義夫がサラってしまった。田端義夫は、この優勝を機にプロにスカウトされた。来年こそは優勝してプロになろうと、進は決意を固めていた。
歌手田端義夫94歳幸せな生涯:
春まだ浅き・・・「梅と兵隊」田端義夫

 来年は歌手を目指して、田端義夫の次は、オレだと思っていたとき、昭和17年、父進に召集令状が届いた。“召集令状”が当時の国民には絶対の命令だった。
 進の部隊は中国戦線へ送りこまれ、司令部勤務を命じられ、絵が得意のため作戦図作成を任されたという。000095 日本軍の形勢が悪くなり、海上補給路が連合軍の攻撃で、ほとんど制海権、制空権を失ってしまったので、(鉄道)線路を大陸に貫通させようと大本営は企図した。中国軍(国民党)は米軍、英軍からの支援をうけて、武器も進化して、強くなっていた。線路ができても、ゲリラ的な破壊もあり、守るのも大陸を守りきれないのが現状であった。南方でも、日本軍は昭和19年以降、苦戦を強いられていた。000013 やがて昭和19年、この中国大陸打通(貫通)作戦に従軍する。作戦に参加していた兵士竹中さん(94歳)は、体験を語っていた。三日三晩戦い続けた。敵は地の利があり、友軍の撃たれ死体はゴロゴロあったという。広い荒野、日本ような島国とは違うから、大陸に逃げ回る敵を掃討するのは、不可能に近い。

 昭和20年終戦を迎え、翌年、中国から名古屋に引き上げた。帰国して聞いたのは、あのライバルであった田端義夫が歌う「かえり船」だった。この年大ヒットしたのだった。差をつけられた、と愕然としただろう。
 進は美濃に戻り、小倉劇場にあるアマチュア楽団の存在を知り、楽団のメンバーになるべく訪ねて、入団した。そこで澄んだ声で歌う歌姫がいた。のちの五郎の母・伊代子だった。000155 得意のレパートリーは、“支那の夜”「shina_no_yoru.WMA」をダウンロードだった。この録音は、伊代子が70代になって吹き込んだものだが、今聞いても澄んだ声でいい。

 野口五郎は知ってる写真が1枚もなく、10代、20代前半のことは全く知らず名古屋にいたことも知らず、戦争の大変な作戦に関わっていたのも知らなかったという。小学生にあがる前にウクレレを始め、おやじがギターを買ってくれ、その時におやじが教えてくれた曲が「かえり船」だったと話した。

  美濃は和紙の生産地で和紙作りの道具を作る職人をしていたのが母方の西村家だった。母方の祖父・英一は腕の良い職人として知られていた。繊維を吸い取る「簀」を作っていた。和紙職人の澤村さんは駆け出しのころから頼りにしていたのが英一だった。50年以上前に英一が編んだ簀を保管していた。000134 和紙をすくための「簀」は、すだれのようなものだが、アレは和紙製造のカナメだと気付くと、優秀な技術が必要な仕事だと痛感した。一本でも竹籤ヒゴが折れたら欠陥和紙になって売り物にならないだろう。全国の和紙製造者から、優れた「簀」製造職人に注文が来るのは理解できる。

岐阜県中津川市出身 草野満代: nozawa22
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