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2015年8月 7日 (金)

原爆投下の日、御幸橋(広島)の70年前の写真から見えるもの

000041 御幸橋は、1945年8月6日の原爆被災には、爆心地より約2,270m、爆風により石造の欄干が倒れ南側は川中に転落するなど大きな被害を受けた。しかし橋自体は破壊を免れた。爆心地から宇品方面へ避難する罹災者が橋に殺到し、混乱と凄惨をきわめた。
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000034Miyuki_bridge_20140531_2 この日、原爆投下から3時間後(午前11時頃)、カメラマン松重美人(中国新聞)は出勤途上、橋の西詰で爆心地方面から逃れ応急手当を受けていた被爆者群集を見て、写真を撮影。これらが被爆当日の広島市街中心部を撮影した唯一の写真となった。現在、橋の西詰南側には松重撮影の写真モニュメントが設置されている。

  広島に落とされた原子爆弾は、爆発直径円周が一番広くなる、上空600メートルで爆発させた。広島の中心地、今原爆ドームとなっている産業会館のあたりが、爆心地になる。000011そして、爆心地から2000メートルは、壊滅地帯といわれるほど、鉄も溶かす3000度になって、熱風は秒速70メートルで辺りを破壊しつくした。000002 爆心地にいた人間は、一瞬に蒸発してしまった。その人の跡が影のように残っていた。

  カメラマン松重美人(中国新聞)は出勤途上、御幸橋の上まできたとき、原爆の被災者が多く集まっているのを見て、職業柄、被写体を得たとシャッターを切ろうと思った。しかし、被害の甚だしい光景や戦争の恐怖を植え付ける情景は国民に見せることは、軍部からのお達しで禁じられていた。000031一枚シャッターを切って、さらに近づき、被害の状況を見ると、悲惨さは更にました。000055 セーラー服の後姿を見て、(河内さんのセーラー服の背中が黒ずでいるのは、ガラスが突き刺さった血のしみです。)

 河内さんが、三角襟のセーラー服姿を「私です」と公表したのは被爆から28年後。原爆資料館で「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」で写真が展示されたのがきっかけだった。 亡き父との「あの日」の証しでもある写真を手に入れようと名乗り出たら一転、自宅にテレビ局も押し掛けてきた。松重さんから写真の焼き増しを受け取り、「再会」の喜びを分かち合った後は取材を避けてきた。 今回あえて中国新聞の取材応じたのは、「逃げ隠れしなくても」との息子の一言に後押しされたからという。

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「私です」と名乗る方がいた。現在83歳の河内光子さんである。彼女は、あの被爆の日、学徒動員で貯金局(爆心地から1600m)に行っていたという。000061 米戦略爆撃機B29の機影が、支局2階窓から上空に見えた。
「Bちゃんが来とるよ」と、大した気にもとめず同級生に告げ、窓際から離れて仕事についた途端、壁際へ吹き飛ばされた。気絶したが意識を取り戻し、何とか外に出た。
 彼女の父親(当時56歳)は、大工の棟梁で、彼女の出勤先である千田町の貯金局の工事現場で仕事をしていた。閃光の瞬間、屋根から吹き飛ばされ、全身火傷を負ったが、幸い深い傷はなかった。
 父親は娘が気がかりで、動員先の広島貯金局に向かった。父と娘は貯金局の玄関を出たところで、たまたま出会った。娘の背中に血がにじんでいるのを見て、父は娘の身を案じて泣いた。父親の方が娘より遥かに重い傷を負っているというのに・・・。河内さんが父親の手をひいて逃げようと左手を取ると、父親の左手の皮膚は全部ペロリとむけて取れてしまった。

 声を聞かなければ、姿が見分けがつかない大やけどの父を伴い、同級生との計7人で、北の市役所方面を目指した。辺りは「髪の毛は逆立ち、皮膚はずるむげ」の人の波で、地獄絵図のような光景。立ちすくんだ。
 そこで南の広島工専から修道中へと回ると、皆がはだしなのに気づく。地面は熱く足は散乱物で傷つくので、土手に落ちていたズックをはいて御幸橋へ向かった。警察官が負傷者に油を塗っているのに出くわした。そこには、切れ目なく人が続き、父親にも塗ってもらおうと順番を待っていた。

 遠くから撮った1枚目の写真の中央左側に、片方の足を浮かせて走っている少女が見える。000039 一人の少女は胸に何かを抱きかかえている。黒い荷物のように見える。盛んに声をかけているが、反応がない。少女と見えた女性は実は母親でした。まだ若い母親で,抱きかかえていた黒い荷物のようなものは彼女の赤ん坊でした。赤ちゃんは黒く焼けこげて、もちろんすでに息絶えていました。
『坊や、起きてちょうだい! 坊や、起きてちょうだい!』と母親は狂ったように、赤ちゃんを揺すりながら人々の間を駆け回っていた。

 御幸橋は、市の中心部から避難してきた人々でいっぱいだった。そのほとんどが衣服は裂けて裸同然である。全身に火傷を負い、その火傷は赤紫色にふくれあがり、皮膚はリンゴの皮をむいたように全身から垂れ下がっている。人々は群れをなして幽鬼のように逃げてくる。さながら地獄絵のようであった。

 橋の西詰にある巡査派出所の前で、二人の警官が食用油の一斗缶をぶち抜いて、火傷の皮膚に塗ってやっている。そこにたくさんの罹災者が群がり、黙って自分の順番を待っていた。警察官はこのいつ果てるとも知れぬ作業をてきぱきと続けていた。

 刻一刻と火勢は激しくなり、四面は火の海である。炎をかいくぐって逃げてきた人々は、男女の区別もつかないほど髪も衣服も焼けちぢれている。橋の両側の歩道には、火傷膚をむき出しに、黙りこくって座り込む人、熱いアスファルトに横たわる人,すでに死んだ人達でびっしり埋まっている。そのほとんどが婦人や子どもたちで、とりわけ建物疎開作業にかり出された低学年の男女中学生が多い。
000104 松重さんはこの惨状を写真にしようとカメラに手をかけたが、どうしてもシャッターが切れない。司令部報道班の腕章をつけていた重松さんが、生と死の苦しみにあえぐ数百人の人々を前にどうしてもたじろぐ。「彼らに比べてなんと自分は無傷なのだろう」と、松重さんはすまない気持ちに襲われる。000031_2「あまりにもむごい、アメリカのやつ、鬼畜のようなことをしやがって・・・」と憎むが、負傷者の目には、自分が鬼畜にひとしい、冷酷無情なものに見えるに違いないと思う。

 心を鬼にして、橋の遠くから一枚目のシャッターを切った。カメラを構えてから30分以上も経過していた。午前11時過ぎ、被爆から3時間後の世紀の記録となった。

 河内さんは父を連れ、2つの川を越えて約2キロ離れた舟入幸町へたどり着く。母フミエさん=当時(46)=は自宅跡で黒こげとなっていた。国民学校1年の弟を見つけ、イチジク畑で夜を送った。翌日、親子3人は荼毘(だび)の場と化した江波線沿いに歩いて己斐へ逃げた。

 この写真は米軍に没収され、それから27年、1973年に写真が返還されて展示され、河内さんが、三角襟のセーラー服姿を「私です」と公表したのは被爆から28年後、原爆資料館で「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」で写真が展示されたのがきっかけだった。

 その日からマスコミが押しかけ、いわれのない差別質問をされ、傷ついた。「好きで被爆したんじゃないのに」と、それ以来、取材を断り、被爆者としての自分を封印してきました。
 しかし、10年前からピースボランティア大西知子さんが河内さんと連絡が取れて、「あの写真に写っている女性だからこそ伝えられることがある」と説得してきました。

 亡き父との「あの日」の証しでもある写真を手に入れようと名乗り出て、撮影した松重さんから写真の焼き増しを受け取り、「再会」の喜びを分かち合った後は、取材を避けてきた。
 今回あえて中国新聞の取材応じたのは、「逃げ隠れしなくても」との息子の一言に後押しされたからという。

000091 河内さんと行動を共にした友人は、未だにマスコミからの取材には応じていない。自分が被爆者であることを回りに知られることの影響、差別を嫌って名乗り出ていない。

 この行動、カミングアウトできない不合理をどう思うか、このブログを読んだ方のご意見を聞きたい。
①世間の偏見が問題なのか?
②友人の狭量が問題なのか?
③世間の差別なぞ打ち破って、被爆者の立場から意見をいうべきか?

関連記事 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=3863

 坪井さんと河内さんが再会した記事である。00001000003ああ、許すまじ原爆 核不拡散条約NPT:   
長崎被爆 75年は草木も生えぬといわれて・ 
原爆投下 情報は軍上層部に届いていた   
原爆投下を許可したトルーマン大統領の浅慮
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コメント

ブログを読んだ意見は、
どこか別のページで回答すべきでしょうか?
でも、まずはコメントで回答させていただきます。

①世間の偏見が問題なのか?
②友人の狭量が問題なのか?
③世間の差別なぞ打ち破って、被爆者の立場から意見をいうべきか?

 私の答えは、①とまる③です‼︎
 つまり、世間の偏見と差別が、②の被爆者の狭量を生み出しているのだと思います。わたしは、性同一性障害者です。自分が意見すると、あるいは自らの正体を表現すると、いわゆる世間一般常識からの差別と狭量にさらされてしまう。そう言ういう実体験は、嫌というほど経験しました。
 これと同じような体験に、いわゆるレイプなどの性犯罪被爆者や公害病患者、薬害エイズやハンセン病、さらにはいわゆる前科者(えん罪被害者を含む)などなどに対する世間からの差別や狭量と同等ではないか?とわたしは思います。
 エンガチョ、ってご存知ですか?穢れがうつる⁉︎と感じているのが、いわゆる「世間の常識」なのではないでしょうか?
従って、世間の常識を打ち破って行くべきだと思います。2度と過ちを繰り返さないために‼︎

明日香さん、
 世の中には、目明きと盲目がいます。
 大上段に振りかぶらないでもいいですが、ソレを前提に、少なくとも、あなたが目開きの側に立つ努力をしてください。「世間の常識」に負けた人を許して上げる度量を持つ・・・そういう人が増えるといいな、と思っています。それが弱そうに見えて、一番強い人です。
 宗教を勧めるわけではなりませんが、仏陀ならわかってくれるかもしれませんね。仏像は、みんな、男でもないし、女でもないから、偏見がないから、安心です。nozawa22

投稿: 明日香 | 2016年7月23日 (土) 07時37分

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