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2015年7月21日 (火)

小野田寛郎さんの 慰安所あれこれ、知らない話がいっぱい

   最後の日本兵と言われる小野田寛郎(おのだ ひろお)さんを1時間50分にわたってインタビューする動画を見た。末尾にその動画をおきますから、ご覧ください。視聴時間は1時間49分。000006  小野田 寛郎さんの個性がよく出ている取材だった。80代後半であったが、しっかりした頭脳、意思、姿勢がわかる。忠君愛国の戦前の教育の薫陶は残っているが、自分の意志は貫いている。戦後の自由社会でも、変わらず自分の考えを貫いている。その強さは並外れている。
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Photo_3 小野田さんの家系は、優秀な軍人が多く、カレ小野田寛郎一人だけが、徴兵検査まで、親父に逆らって上海の商事会社で数年を青春を楽しんでいる。この間に中国語、英語を実地で使ったので、ある程度外国語が堪能になった。
 徴兵検査後(徴募)を受け、それを機に命を国に捧げるモードに切り替えた。それが当時のアタリマエの考えだった。
 入隊した和歌山歩兵第61連隊(当時同隊は戦地に動員中で、その留守部隊)に陸軍二等兵として入営。
 留守部隊で編成された歩兵第218連隊に転属し、在営中に甲種幹部候補生を志願し合格、昭和19年(1944年)1月に久留米第一陸軍予備士官学校へ入校。中国語や英語(他にカメラと通信が出来た)が堪能だった事から同年9月に陸軍中野学校二俣分校入校、遊撃戦(ゲリラ)教育を受け、退校命令を受領(この種の学校は記録を残さない、退校)。見習士官(陸軍曹長)を経て予備陸軍少尉に任官。

  インタビューした記者、戸井 十月さん(作家、ルポライター、映像ディレクター)、2013年にガンでなくなっていた。だから、映像でカレの意思を世に伝えようとしているのだ。

●戸井 十月(とい じゅうがつ、本名。1948年10月12日 - 2013年7月28日):日本の作家、ルポライター、映像ディレクター。東京都新宿区生まれ。父は画家、秩父事件研究者、戸井昌造。妻はイラストレーターの中村鈴子。母の妹の夫俳優西村晃。
 父の影響でイラストレーター、ルポライターを経て作家となる。32歳でバイクの免許を取得、南米を中心に50カ国以上、25万kmを越える距離を走破。メキシコのバハ・カリフォルニア半島ラリーレイド「バハ1000」(Baja1000)に日本人として最多出場。世界の五大陸をバイクで走破する「五大陸走破行」を実行、2009年11月完了した。フィリピン残留日本兵の番組を制作、ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門優秀賞を受賞。

 小野田 寛郎サン、商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)で働いていた頃、多分、コンドームなどを慰安所へ納品に行っていたのだろう。
 

 日本人は、中国のドコにでも、仕事の口があった。
 そのころの日本人の目から見た“男の性欲処理=慰安所”を当時の常識で語る。小野田さんの考え方を随筆ふうに書いている。
 

 漢口(現武漢)は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街だった。13 当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。  

 日華区とは、日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」(登録証)を携帯していた。登録証のない者は、難民区に住まされていた。私たち在留日本人は、許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。
 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。
 ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したので、その通り教えてあげた。
 映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。
 

 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には、慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。  

 ところが、知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。  

 私たちは、集金の用件を憲兵に話してまず仕事を済ませた。
 日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢いて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人(差別用語)も中国人もいた。日本統治だった朝鮮半島では、「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら、彼らも日本人なのだから、と反発された。
 

 群がってきた彼女たちは商売熱心に、17歳の私たちに媚びてきた。料金は女性の出身地によって違いがあり、また、利用時間も一般兵士は外出の門限から日中に限られる。下士官は門限が長く、将校(少尉以上)になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、当然、女性たちは同じ時間で多く稼げることになる。
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士官  :将官/佐官/尉官/准士官
下士官:曹長・軍曹・伍長
兵    :兵長・上等兵・一等兵・二等兵
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二等兵:(幹部候補生は准士官から)最初に配属。
一等兵:二等兵が数年勤めると自動昇進。
上等兵:一等兵から選抜。
兵長 :兵役が一等兵~上等兵で終わるが、戦争が長引くと上等兵多くなり、兵長を新設。兵長は、現場経験の長いベテラン。下士官ではないが10人未満の班を率いる班長。
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 女性に「コチョ(伍長=下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長=兵隊)か」、「精神決めてトットと上がれ、ネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、涙ぐましい努力をして客を取ろうとする。内地人娼妓は「内地では(カネを貯めて)足をなかなか洗えないが、ここ(戦地)で働けば半年か一年で洗える(辞められる)」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語する娼妓いた。
 

 「足を洗う」とは、前借の完済を終えて自由の身になることだが、(朝鮮)半島では、悪どい手段で女を集める者がいる話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だ。
「“従軍看護婦募集”と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を騙して、規定料金以外に金をせしめている女もいた。それを信じ込む純な兵士もいたことも、事実。日本語が通じた故の悲喜劇でもある。

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。
「内地人(女性)は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして、商売を忘れ健康を害してしまう。その(病気の)ために(仕事をさせられず)、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには、内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。
 

 私の育った街(和歌山)には花柳界があり、芸妓と酌婦をよく眼にした。当時は玄人クロウト女と呼ばれた彼女たちは、外出姿でも一般の女性と見分けがついた。漢口の街でも同様だった。特に朝鮮人の女たちは、数人で外出しているのだが、チマチョゴリではなく、ツーピースの洋装を着慣れないから、着こなしが悪く、歩き方にも特徴があって一目でわかった。  

 しかし、彼女たちは実に明るく楽しそうだった。
 その姿からは、騒がれている「性的奴隷」に該当する様な印象はどこにも見いだせなかった。とはいうものの、人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては「売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。
 

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。
 「慰安所」の「慰安婦」には、「商行為」であったのは事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 次兄格郎は陸軍経理学校卒、陸軍主計大尉。
ちなみに、長兄敏郎は東京帝国大学医学部・陸軍軍医学校卒の軍医中佐、弟滋郎は陸軍士官学校卒、陸軍少尉。 

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は、戦死の危険のある兵士たちには嬉しいことではなかったが、上司から躾られている手前、逆らえないのが実情だった。湖北省漢口は、夏水という川が長江に合流する場所._hubei_svg000005 私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。  

 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠Swに置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は二等兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。
 「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円(現在なら4,500万円~5,000万円)と言われたが、実に四十四機分にも相当する。 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。  

 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。  

 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(戦闘部隊の後ろで、車両・軍需品・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で、「慰安所」等を監督将校が著した『漢口兵站』には、慰安所がより内情が詳しく記されていた。誰がどう考えても、彼女らの「商行為」であるとしか言いようがない。 

 軍による「性的奴隷」であると強弁するとすれば、それは、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。  

 私(小野田寛郎)は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校したから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。  

 だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って、返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。 

 南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。 

 「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。幹部候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。
 私は営舎係だったので、歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。
 

 その姿で「慰安所」の周囲だけでなく、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。  

 そこでは兵士は丸腰どころではない。もっと無防備な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。  

 「慰安所」の経営者は、中国人だったし、公認の娼妓だった女たちも中国人だった。彼らも食料や生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなる。 

 私の湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちの様子も聞き出せた。 

 「慰安所」は中廊下を挟んで両側に部屋のある。そこを巡察して回る姿を思い出すが、こんな風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。
 すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ、喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。
 

 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。
 このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。
 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

 明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちは、「自然の摂理」の心理が働くと言われる。有り余った金ではない少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。 彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。
 

「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだ。一方には、金を稼がねばならない貧しい立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。
「買うから売る」のか、「売るから買う」のかは、ともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に、人間が生存し続けるために、必要とする性さがが存在する。
 

 「従軍慰安婦」は存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで、利益率のいい仕事をしていた、と言うだけのことである。
 こんなことで騒がれては、被害者は高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。 「正論」一月号より
「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎 ★

小野田寛郎91歳、終戦からジャングルで29年、帰還
小野田少尉と冒険家鈴木紀夫: nozawa22
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