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2015年6月23日 (火)

6月は、昭和を生きた美空ひばりの27回忌、

 沖縄地上戦の終結の翌日、6月24日は、美空ひばりの二十七回忌。ひばりのデビューした頃、全国でひばりブームだった。000109_2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 娯楽の少ない田舎町(岐阜県中津川市)の娯楽だった映画に、母は小学生の姉と弟と私三人を芝居小屋旭座に連れて行ってくれた。
 そのころ、日本中が貧乏で麦めしを食う生活していた時代だった。だからウチは近辺の恵那郡の人の食べる麦を精麦する唯一の会社だったので忙しかった。毎日、カナダ、オーストラリア、米国産の麦を“日通の馬車”(トラックの前の時代)が運んで来た。精麦が勢いがよかったのは、昭和22から26年頃まで、ホンの数年だけのことだった。世に言う『
朝鮮特需』という風が吹いて景気がよくなると、人々は一気に米に変わった。
 
 映画館は、町には旭座と松竹座の二軒しかなかった。老舗の旭座は芝居もできる明治時代からの建物で大きなハリがむき出しの建物で、一階は映画全盛期には椅子席になったが、枡席で座席に突き出す花道があった。

  ウチには、母の友達と言う人が毎日のように入り浸っていた。近所のWさんか、向えのTおばさんが来ていた。Wさんは、声が大きく拡声器というアダ名がついていたように、町内のニュースをおもいっきりしゃべっていた。夫の弟が校長になったから、それをひけらかすというか、子供の教育に一家言を持っていた。

 その影響だと思うが、月一で母は子供たちに映画に連れて行ってくれた。映画スケジュールが新聞折込で配付されていた。その中から、お笑い映画中心だったが、この幼いころの映画は影響が強い。

 

 昭和20年代に見せてもらったのは、お笑いの娯楽映画だった。柳家 金語楼、古川 緑波ロッパ、榎本 健一エノケン、シミキン、笠置シズ子などのベテラン芸人にまざって、美空ひばりが・・・画面に出てくる映画を見た。子供の頃見たものは、体に染み付いて、笑いが私の性格に影響を与え、何気ない動きが笑いを誘うらしかった。

 

 歌といえば、美空ひばりの歌うモノが耳から入って、「悲しき口笛」、「東京キッド」★★、「越後獅子の唄」、「私は街の子」が頭の中で収まってしまった。田舎町の娯楽といえば、映画。 

 美空ひばりファンは、晩年の「川の流れのように」とか、歌の円熟さを評価するかもしれないが、幼い美空ひばりが歌う「悲しき口笛、東京キッド、越後獅子の唄、私は街の子」が印象に残る。

 その後、私のほうが中学生、高校生になると、母と映画館にいくことがなくなったから、美空ひばりから縁が切れた。
 それが後年、ひばりがブルーコメッツと組んで歌った「
真っ赤な太陽」これ競作だったかな、黛ジュンも、小柳ルミ子もあるようだが、ひばりのレコード買った記憶がある。あのころのひばりには病気の印象はない。元気がよかった。

  「一本の鉛筆」という歌は、二日前に美空ひばりに渡されて広島の原爆記念日の式典で歌ったという。作詞は松山善三。歌詞のことば、字数がそろえられているが、その字数そろえに“汲々としているような印象”が感じられる。地元の人は、その後もこの歌を大事にして何かの時には歌うというが、美空ひばりのヒット曲には入っていない。 

一本の鉛筆 ★
あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい
 

一本の鉛筆が あれば
私はあなたへの 愛を書く
一本の鉛筆が あれば
戦争はいやだと 私は書く

あなたに 愛をおくりたい
あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい
あなたに 世界をおくりたい

一枚のザラ紙が あれば
私は子供が 欲しいと書く
一枚のザラ紙が あれば
あなたをかえしてと 私は書く

一本の鉛筆が あれば
八月六日の 朝を書く
一本の鉛筆が あれば
人間のいのちと 私は書く  

 美空 ひばり(本名加藤和枝、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日、享年52歳):日本の歌手、女優。昭和の歌謡界を代表する歌手・女優の1人。横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部卒業。女性として初の国民栄誉賞を受賞した。愛称は御嬢(おじょう)。身長147cm。

  神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を営む父加藤増吉、母喜美枝の長女。父は栃木県河内郡豊岡村、母は東京山谷の出身。妹は佐藤勢津子、弟はかとう哲也・香山武彦。
 1943〈昭和18)年6月、父増吉の出征壮行会に、ひばりは『九段の母』を父のために歌った。集まった者達がひばりの歌に感銘し、多くの人が涙した姿見て、母喜美枝はひばりの歌唱力に可能性を見出した。

1946年、NHK『素人のど自慢』予選で『リンゴの唄』を歌うが、「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という審査員は合格にできないと告げた。
 翌年の春、審査員古賀政男に、「どうか娘の歌を聴いてください!」と懇願し、ひばりはアカペラで古賀の「悲しき竹笛」を歌った。古賀はその才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」とエールを送った。

 1948年5月、ボードビリアン川田晴久に横浜国際劇場公演に抜擢された。スター歌手笠置シズ子の物真似がうまく“ベビー笠置”と言われ拍手を浴びる。12歳で「シルクハットに燕尾服」で歌う映画『悲しき口笛』(松竹)が大ヒット、レコード45万枚売れ(当時の最高記録)国民的認知度を得た。

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