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2015年5月30日 (土)

“海軍乙事件”「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)二流日本軍高官の起こした

1944ttack 憲法は、社会の実態と合うように改定するべきだと思うが・・・それには、自民党、政府閣僚、官僚等が信用できればという条件がつく。それは、戦争中から、政治にタッチできる人たちの行動には、数々のウソがあるからだ。
 その典型に“海軍事件”という事件がある。それをご説明したい。高官がゲリラの捕虜になり、その上、最高機密の暗号、今後の作戦計画を奪われて、それを口ぬぐって、直後の
「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)をアメリカに読まれて、ボロ負けになった責任を取らなかった。0016・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 これはすでに、ブログ「海軍事件と福留繁参謀長」で紹介した。が、重要なテーマであるから、繰り返して提示したい。現代社会では、似たことが行われている。
 それは、サッカーFIFAの金銭授受問題、あるいは、習近平の一番信頼していた側近の中央委員が腐敗していた問題等、人間の欲は切れないものかもしれない。
2151海軍事件:1943年(昭和18年)4月18日に、前線を視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され、山本が死亡した事件。★★海軍事件:1944年(昭和19年)3月31日発生。
 情勢悪化により、ミンダナオ島のダバオへ飛行艇で作戦本部の移動を図った。途中で低気圧に遭遇し、連合艦隊司令長官古賀峯一海軍大将の乗機は行方不明、二番機はセブ島沖に不時着し、福留ら9名は泳いで上陸したが、ゲリラの捕虜となり、1944年3月8日作成された新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書等、最重要軍事機密を奪われた事件。
★戦時中の意識はこんな感じだ。

 本日のテーマは、「海軍
事件」にまつわる問題点を洗いざらい考えてみたい。

 「海軍事件」は、アメリカ軍の暗号解読力に負けた事件で、それを日本側が気付かず、終戦まで知らなかった・・・。問題にしたいのは、事件で山本五十六が殺されたのち、彼より能力の低い指揮官が継ぎ、日本軍は士気が低下すると読まれているのが、戦後明らかにされている。
 米軍情報部は日本軍の暗号解読に成功して、山本の視察の経路と予定時刻は米軍の把握。
 ニミッツは会議を開き、山本五十六が無能な敵将であれば生かしておくほうが味方に利益で、山本を殺害すべきか検討した。検討の結果、真珠湾攻撃の立案者として人望の高い山本は戦死すれば日本軍の士気が低下する。後任として山本より能力の高い指揮官がつく可能性は低い、とニミッツは山本の殺害を決断。
 米軍は日本軍の暗号解読に成功している事実を日本側に悟られないよう、偶然の撃墜であったかのように発表を装っている。

 その結果、問題は、「海軍事件」は起きている点である。
 そのような「海軍乙事件」の詳細を国民的なテーマとして、日本社会では議論されていないから、同じような二流人物が出てきて、同じような事件が繰り返されているのだ。

   事件概要
 1944年(昭和19年)2月のトラック島空襲の後、1944ttack_2 連合艦隊は拠点としてパラオを利用していたが、同年3月にアメリカ連合軍の大空襲を受け、総司令官古賀古賀峯一ら司令部要員は、3月31日、飛行艇(二式大艇)でミンダナオ島のダバオへ移動を図った。このとき、事件が起きた。

  途中で低気圧に遭遇し、連合艦隊司令長官 古賀峯一が乗っていた一番機は行方不明となり、司令部要員7名を含む全搭乗員とともに古賀司令長官は殉職し、元帥の称号が与えられた。古賀の殉職は、しばらくは国民に隠されて、同年の5月5日に発表された。

 二番機もセブ島沖に不時着し、搭乗していた福留繁参謀長以下の連合艦隊司令部要員3名(他、山本祐二作戦参謀、山形掌通信長)を含む9名は、泳いでセブ島に上陸したが、米軍指導のゲリラに捕虜となった。
 福留繁参謀長らは、3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった最重要軍事機密を大急ぎで、かばんと共に川に投げ込んだが、すぐに現地ゲリラに回収された。
 参謀長以下、連合艦隊司令部要員は、拘束時に大した抵抗もせず、自決も、機密書類の破棄もしなかった。この書類が敵に渡った場合の重大性にピンときていない。命に代えても守らなくてはならないという必死さが伝わってこない。

 このあたりの態度も、兵士には、軍人勅諭で「俘虜となるなかれ」と捕虜になることを禁じているが、上層部の人間は死をおそれているように見える。あるいは、国際捕虜の取引が出来ることを知ってか、抵抗もしないのは、ちょっと解せない。 

 元々フィリピンはアメリカの植民地であり、住民の感情は親米的であった。そのため、日本によってフィリピンの支配が続いていた間も、アメリカは潜水艦から連絡員を送り込むなどして現地のゲリラと連携し、その組織化に手を貸していた。
 日本側のセブ島の守備隊長は、ゲリラのリーダーに対して、「解放しなければ報復を加える」と、取引に応じるようにゲリラ側を脅した。このことにより福留等は解放された。
 しかし、機密資料の入ったカバンはゲリラに没収され、作戦計画書等の機密文書は、ゲリラからアメリカ軍に渡り、ブリスベーン郊外の連合国軍翻訳通訳部で、アメリカ陸軍情報部(Military Intelligence Service, MIS)の要員によって翻訳された。(Wikipedia)
 

 福留 繁の人物像について、
福留 繁(ふくとめ しげる、1891年(明治24年)2月1日 - 1971年(昭和46年)2月6日):日本の海軍軍人。海軍兵学校40期。海軍中将。
 1891年2月1日、鳥取県西伯郡(現大山町)の農家に生まれる。1905年年4月鳥取県(現米子東高校)に入学。四里(16キロ)の道を歩いて通学。海軍を志したのは、「学資のいらない軍人学校」ということからだった。
1909年9月11日海軍兵学校に40期生として入校。
1912年(大正1年)7月144名中第8番の成績で卒業、少尉候補生。
1924年12月1日、少佐、海軍大学校甲種24期に入校。
1926年(大正15年)11月25日首席で卒業。1929年、中佐。
1930年(昭和5年)12月1日人事局員。1932年(昭和7年)12月欧米各国へ留学。1933年(昭和8年)11月15日海軍大佐、連合艦隊首席参謀兼第一艦隊参謀。1934年(昭和9年)11月15日軍令部第二課長。1935年10月30日軍令部第一課長。1937年7月支那事変勃発。1938年4月25日支那方面艦隊参謀副長。1938年(昭和13年)12月15日長門艦長。
1939年(昭和14年)11月15日海軍少将へ進級、連合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長。
 連合艦隊司令長官山本五十六大将が合同訓練の際に「あれ(飛行機)でハワイをやれないか」と呟いた際に、傍にいた福留参謀長は「それよりは、艦隊全部を押し出しての決戦の方がいいと思います」と言った。


 福留は戦略戦術の神様と称えられていた。しかし、海軍主流の大艦巨砲主義者で、新しい航空戦、情報戦への理解に欠けた。日本海軍の成績重視教育で、教科書通りの戦術・戦略で柔軟性に欠けていた。福留は、近代戦を任せられる人材とはいえなかった。しかし、海軍甲事件(山本五十六の死)後、連合艦隊司令長官に就任した古賀峯一海軍大将から、
1943年(昭和18年)5月23日連合艦隊参謀長に任命された。
 
 このとき、すでに日本にとって戦況は不利となっていたが、戦術戦略の神様とまでおだてられた福留は、
あ」号作戦のような伝統的な艦隊決戦以外有効な作戦を打ち出せなかった。

 福留らは、ゲリラに対して警戒心を持たず、拘束時に抵抗や自決、機密書類の破棄もしなかった(かばんを川に投げ込んだが、すぐに回収された)。W_back_up_link  日本軍は、ゲリラと交渉して福留を解放。帰還した福留は、海軍次官沢本頼雄中将らから事情聴取を受けたが、福留本人は、徹底して機密書類紛失の容疑を否定。

 当時の日本では、敵の捕虜となる事はこの上ない恥だったが、ゲリラに福留繁中将が捕縛された事を「捕虜にならなかった」と不問になったから、 戦後も福留は、GHQで戦史編纂の担当者大井篤のところに出向き、
「君や千早が機密書類が盗まれたと言っており、迷惑している。こんな事実は全くないんだ。」と述べた。大井は「盗まれたのは事実です。お帰り下さい。」と追い返したと言う。

  福留繁は優秀な成績で、海軍大学校甲種を首席卒業。よくあることだが、政府中枢の地位を占めている人物が犯す犯罪である。大阪地検の●●特捜部長は、部下がフロッピー作成日付変更を報告したにもかかわらず、自分の罪を認めない方針で戦うとしている。 ●●特捜部長 前田検事 塚部貴子検事

 これは、この福留参謀長と同じく、「組織が守ってくれる」と信じているようだ。日本の運命に関わるマリアナ沖海戦の情報が完全に漏れていると知って、そのまま戦ったら日本は大敗北することを知っていたのは、重大犯罪である。「不作為」というより、むしろ「作為あり」ではないか。

 

 機密書類が奪われた容疑を徹底否定→海軍上層部は機密書類紛失は不問→6月第二航空艦隊司令長官に栄転。
 栄転して、現場を離れて、


「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)は情報漏れ→それを元に米軍は十分な対策を立て、日本軍は一方的な敗北


 この機密文書が奪われたために、日本海軍が計画した「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)の情報が詳細な部分までアメリカ軍に漏れ、アメリカ軍は、それを元に十分な対策を立てていた。

 マリアナ諸島に侵攻するアメリカ軍を日本軍が迎撃した本作戦では、日本はアウトレンジ戦法による航空作戦を行うが、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄されるほど一方的な敗北。

マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県・鈴鹿海軍航空隊~  [1]  連合艦隊が総力を挙げて臨んだマリアナ沖海戦
[2]  隠蔽されたミッドウェーの敗戦
[3]  読まれていた切り札、アウトレンジ戦法
[4]  飛行訓練もできないまま迎えた、マリアナ沖海戦
[5]  アウトレンジ戦法の破綻

 
日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて、出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。011_2  ●大負けに負けても、「重大戦局」程度の記事↑作戦がアメリカに漏れていたとは、国民も知らなかったのだ。Repsoul_02 その後、日本の支配下にあったマリアナ諸島はアメリカ軍が占領し、西太平洋の制海権と制空権は米国に握られた。その結果、サイパン陥落により日本本土への戦略爆撃が開始された。Map_21 これは福留参謀長の重大な背信行為。特に連合艦隊参謀長という最高責任者として、日本を裏切った利敵行為の罪は重い。敵前逃亡以上の罪だ。惨敗している海軍を涼しい顔でみているのだから、役人は凄い神経をしている。

 ゲリラの捕虜となった福留を解放するため、日本軍はゲリラと交渉し、福留らは釈放され、帰還した福留は、海軍次官沢本頼雄中将らから事情聴取を受けた。
 福留本人は、徹底して機密書類紛失の容疑を否定した。(紛失を焼却したと言い逃れたのか、不明)身内が身内を調べるのだから、いつの時代も、取調べは甘くなるだろう。
一般兵士には敵の捕虜となる事は許さなかったが、福留繁中将がゲリラに捕縛された事を「捕虜にならなかった」と不問にした軍のやり方も、ズルい。警察官の不祥事を警察が庇う例に似ている。これじゃあ、公務員のやることを一般市民が信用しない。

  戦後30年経過後、米国が公開した文書の中から機密書類が米国に渡っていた証拠が発見された。福留が自分の失敗を隠蔽していたことが明らかとなった。
 軍人でありながら、自ら
自分の非、罪、咎をを認めるという習慣がないのは、どうなんだ!秀才、優秀な武人がこうした範を示していいのだろうか。彼が、意思がつよく、勤勉であったことが、こうした徳と結びつかないのは、教育上の大きな課題である。

 福留 繁、明治24年(1891年)2月1日 - 昭和46年Fukudome_shigeru(1971年)2月6日)。福留 繁、昭和46年、90歳まで長命を保った。多くの二十歳前後の兵士が昭和20年前に死んでいるなか・・・。

  山本五十六が嫌う典型的な「頑迷な鉄砲屋」で、日本海軍の成績重視教育の賜物ともいう思考と人物像に加え、教科書通りの戦術、戦略しか立てられず、柔軟性に欠いていた。古賀長官就任時点で、福留は新しい近代戦を任せられる人材とはいえなかった。

  あとから福留の欠陥を指摘しても、直るものではないし、この戦争の責任を問えるわけでもない。しかし、現代に置き換えて、官僚の態度と比較してみると、何か似たにおいがする。典型的な刻苦勉励、成績至上主義の秀才には、新しいアイディアは生まれない現代にも、官僚組織の中で、新しい“海軍事件”が生まれる可能性がある。そんな警告にしてみたい

海軍軍令部はどんな反省をしたのか 
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