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2015年5月 7日 (木)

壮子の思想って、無為自然に遊ぶ姿勢 人為を嫌う 

000020荘子(そうし、生没年:紀元前369年 - 紀元前286年と推定):中国の戦国時代の宋国の蒙(現在:河南省商丘あるいは安徽省蒙城)に生まれた思想家、道教始祖の一人。荘周(姓=荘、名=周)。
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 至人シジンに己オノレなく
 神人シンジン(真人)に功コウなく
 聖人セイジンに名なし
000024 至人って何?神人(真人)、聖人って何?
 わからんけど、覚えておくのが、昔の教育だ。寺子屋で習字の手習いで書かされて、そのときは、その意味を知らないでもいい、大人になって人生の曲がり角でわかる。昔の教育は、ソレを許していた。まあ、「名人と達人の違いを知る」ようなものだろう。

 荘子の思想は無為自然を基本とし、徹頭徹尾、人為を嫌う。俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢で展開。軸となる傾向は、価値や尺度の相対性を説き、逆説を用い日常生活における有用性などの意味や意義にたいして批判的である。
 つまりは、何もしないことだが、簡単そうで、欲のある人間は、
なかなかそれができない。おかしなもんだ。

 100分de名著で取り上げていた“壮子の思想”は、意外に面白い。 
 

Ide01「寒山拾得」の乞食僧を思い出す。国語の教科書に載っていた。
 中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる寒山と拾得の伝承。国語の青山ふゆ先生は、生徒が議長になって、この人物をどう考えるか、ソレを討論させようとした。そのとき私は、議長に指名されていた。
「この人物=寒山拾得は、バカか、それとも優れた人物か」と、最初に発言して、みんなの意見を聞こうとした。高校一年では、生徒の側に意見がなくて、その議論は不発に終わった。クラスの人たち、勉強はきちんとやる人は多かったが、自分の意見を培う勉強はやっていないから、私の司会は空回りだった。
 

 この正体不明の人物「寒山拾得」は、現代では、理想の姿とは捉えられないのが、普通だ。しかし、この自然の姿は、なにかひっかかる。今でも、気になる。教科書に載せているのだから、文部省は、日本の高校生に知識ではなく、何か訴えたかったのだろう。
000008「衛の国に,哀駘它(あいたいだ)というたいへんな醜男(ぶおとこ)がいた。その彼といっしょに住んでいる人たちは,彼から心が離れないし,彼を一度見た女たちときたら,親たちに“他の男の妻となるよりは,この哀駘它(あいたいだ)の妾めかけになるほうがいい”
000012000011


と言い出す始末。そんな女は数十人にも及ぶ。 

 彼は他人の上に立って導くのではなく,他人に追随するというのでもない。人々の暮らしを守るための支配者としての力があるわけでもない。人々のお腹を満たして満足させるほどの富を蓄えているのでもない。おまけに目も当てられないほどの醜さだ。人に同調するが導くのでもないし,その名はその国の外にまで伝わっているのでもない。それでいて,男も女も彼の周りにいたがるのだ。確かに他の人間とはちがった何かがあるにちがいない。000013  私は彼を呼びにやったところ,いやまったく,おそろしい醜男振りだ。その彼に何かちがったものがあると気がつくのに,何月もかからなかったんだ。一年も経たぬ内に私は彼にほれこんだよ。
 私の国にはたまたま宰相がいなかったから,彼にその地位を与えた。彼は返事をする前にぶすっとしていたし,申し出を断ったかにも見えた。恐らく彼には満足するほどのことではなかったのだろう。いずれにせよ,私は彼を宰相の位置につけたんだが,すぐに彼は私のもとから去って行った。
 これが、哀駘它(あいたいだ)の話である。

 衛(えい、紀元前11世紀 - 紀元前209年):中国の周代・春秋時代から戦国時代にかけて河南省の一部を支配した国。領土は狭いとはいえ、黄河流域の中原の中心地で、先進地帯であった。
 衛は、紀元前660年には狄により滅ぼされるが、斉の桓公の助力により国を復活。晋の文公、孔子、商鞅など優秀な人材が滞在してもすぐに出国してしまう状況であった。紀元前240年には秦に事実上滅ぼされる。

私も、あっそうだ、と思った話を最近読んだ。
「道元が中国へ寧波(ねいは、ニンポー)に到着して、書類の不備で上陸ができないでいるとき、老僧が話しかけてきた。
 道元(1200年1月19日(正治~建長)1253年9月22日):鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗の開祖
「日本から来たなら、干し椎茸シイタケがあるだろう。少し分けてもらえないか。明日、雲水が300人もの法会がある。自分はその料理番なんだ」
 老僧は、お寺の雑事を勤める典座だった。その老僧に聞くと、蜀(四川省)出身で、寺にあること40年で典座を勤めているという。それを聞いて、道元はがっかりした。40年勤めて、まだ典座か、と思った。それを率直にいうと、典座は言った。
「外国の若い人よ。あなたは、まだ禅がわかっていない。禅とは料理することであり、庭を掃くことであり、いろいろ日常のことをするものなんだ。禅を学んで出世するものではない」
 これを聞いて、道元は禅がわかったのだと、『典座教訓』に書いている。」
 司馬遼太郎全講演(4)朝日文庫「日本仏教に欠けていた愛」の中にあった文章。
 禅を理解するには、コレだ。コレを理解したら、人生に焦りがなくなる。あるがままでいいのだ。秀才、エリートになればなるほど、コレが理解できなくなる。

N 道元の留学、貞応2年(1223年) 明全とともに博多から南宋に渡って諸山を巡り、曹洞宗禅師の天童如浄より印可を受ける。その際の問答記録が『宝慶記』(題名は当時の年号に由来)である。
安貞2年(1228年)(五年間の留学後) 帰国。


印可(いんか)とは、師がその道に熟達した弟子に与える許可。書面は印可状と呼ばれ、いわゆる“お墨付き”。禅宗では、悟りを開いたと認められた弟子が、師の肖像の上に「偈文」漢詩=説法を書き、卒業証書とした。

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