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2015年5月 5日 (火)

留魂録「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」 

Roku「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
Ida_2「留魂録」は、吉田松陰の辞世の句が巻頭に書かれている。
  これを読むと、松陰のアジテーターぶりが発揮された文章だ。 影響をうけた塾生だったら、先生の意志を継いで、井伊大老の首を上げねば・・・と思う。これは、長州藩の人々が、関が原の戦いで、領地が、縮小されて、多くの家臣が殿について長州藩に住み着いて百姓になっているから、長州藩に限って言えば、多くの百姓の意識は、武士と同じような考え方をしているという背景がある。
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  特筆すべき第八節、「松陰」の考え方を強く訴えかけてくる
【第八節(現代語訳)】
一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。 つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。
 秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。

  私は三十歳で生を終わろうとしている。 未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。
  だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
  人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
  十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。

 私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
  もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。 同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)
 十月二十五日 二十一回猛士 
000015 この書簡は、久坂玄瑞が坂本龍馬に託した土佐の武市半平太に届けた手紙。これは、「草莽(大衆)崛起」(そうもうくっき)から政治を変えるべきとの意見書は、当時の身分制度からしたら、革命思想だ。

 今、我々は、吉田松陰の側に立って、(明治維新を成功させ、その観点から)歴史を見ている。松陰の言うことに肩入れをして、彼のいう革命は正当な評価を得るが、しかし、“政府を倒す陰謀”をやっているのだから、彼らは「反逆罪」のレッテルを貼られ、死刑に値する悪人である。9163027dc3 既成の国家・政府を倒す側は、悪人のやることだ、と我々は刷り込まれている。しかし、「イスラム国」の連中の言い分を冷静に聞く姿勢はないが、彼らの考えを聞けば一理はあるだろう。日本には言論の自由があるから、双方の意見を聞く機会がほしいものだ。 

 井伊直弼の徳川幕府の方が政治権力を握っているから、吉田松陰は「正義」を主張しているが、それは通らない。だから、「草莽崛起」(そうもうくっき)という考え方が、江戸末期には全国に広がった。とはいうものの、田舎の中津の町では地主、庄屋層のインテリが国学思想を介して、反幕府運動を支持していた程度だ。
 
当時の庶民は、今より政治に関心がない(国政投票率50%)から、明治維新が進行しているとは、多くの人は知らなかったらしい。維新の運動に関心をもって眺めていた人は一割以下の人だった。
 

 攘夷、攘夷と外国文化を排斥することが、明治維新の旗印だと思っていたから、明治政府は「外国文化、外国人排斥」を貫いていなかった。明治維新の「攘夷」は、いつ切り替えたのか、ウヤムヤで政府宣言はしていない。 

 四国艦隊の外国勢力が長州藩の下関砲台を占領したとき、彼らの強さを自覚した。工業力、技術力が欠如していることに、長州藩は気付いた。これ以後は、「攘夷」という考え方は「アナログ」時代錯誤だと気付いた。薩摩も同時期に英国の戦艦に砲撃されて、太刀打ちできなかった。

 しかし、アヘン戦争で中国が外国の武力に屈服して、開港をして外国の要求に屈服し、不平等条約を結ぶ様を見ているはずだが、日本幕府は不平等条約を飲まされて、条約改正をしようと、岩倉遣欧使節を仕立てて、ヨーロッパを見て回るのだが、欧米は条約改正は進まない。明治初年に、一年半以上にわたって政府首脳が世界を見て回る決断はすごい。Mission左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通。
 薩長同盟(慶応2年1866年3月7日)で、やっと維新の話し合いができてから、明治政府ができ、
岩倉遣欧使節が出発するのは明治四年(1871年12月 23日)、五年後だ。なんていう電光石火の早業だ。これでは、日本を植民地にしようと、ヨーロッパが口出すスキを与えなかった。このあたりの祖先は案外賢かったね。
 この外遊には相当のカネがかかった。内閣機密費どころではない。それをイギリスで、株式投資をすると増えるらしいと教える人に乗って預けたら、そっくり損したという話もある。 

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