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2015年5月21日 (木)

知恵泉NHKEテレ 藤堂高虎をマーケターと歴史小説家が解き明かす

 藤堂高虎(とうどう たかとら):戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主。
 高虎は、主君を10回替えている。000034
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000000 主君を10回替える プロ野球選手のようにFA宣言し、主君を探していった戦国武将である。主君を変えるには、自分の能力を高く能力を認めて買ってくれる主君が必要だ。

  はじめ、信長の妹を娶った近江の大名浅井長政に足軽として仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに参戦し、敵織田軍の首を取る武功を挙げ、長政から感状を受けた。
 天正元年(1573年)に小谷城(浅井氏)が滅ぼされると、浅井氏旧臣だった阿閉貞征、次いで同じく浅井氏旧臣磯野員昌の家臣として仕えた。ほとんど、禄はない下っ端の扱いをされている。20歳前のハイティーンだった。

000082 天正4年(1576年)に信長の重臣・羽柴秀吉の弟秀長(後の豊臣秀長)に300石で仕える。当時の足軽雑兵の間は、給料はなし、メシが食えるだけで従っているものも多かった。
 天正9年(1581年)には但馬国の土豪を討った功績により3,000石の所領を加増され、鉄砲大将となった。3000石となると、重役で社用車が毎朝迎えに来る待遇だ。

 

 秀長のもとでは、中国攻め、賤ヶ岳の戦いなどに従軍。賤ヶ岳の戦いで佐久間盛政を銃撃して敗走させ、戦勝の端緒を開く抜群の戦功を挙げたため、1,300石を加増され4300石になった。そして、一万石の大名に昇進、秀吉の弟秀長の下で、認められた。弟秀長がいたから秀吉は順調に天下の平定ができたと、堺屋太一『豊臣秀長、ある補佐役の生涯・上巻』 で堺屋太一が言っていた。

 偉丈夫 身の丈 6尺2寸(約190センチメートル)を誇る大男と言われている。 とはいうものの、藤堂高虎は自分の体を切り刻んで、努力をしているのは、75歳で高虎が死去した際に若い近習が遺骸を清めて驚いたと言われている。000007 高虎の身体は、弾傷や槍傷で隙間なく、右手の薬指と小指はちぎれ、左手の中指も短く爪は無かった。左足の親指も爪が無く、満身創痍の身体であった。

 築城技術 藤堂高虎は、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城し、築城技術に長けていた。000047 高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴がある。 加藤清正は、石垣の反りを重視し戦術的な効果考えるが、高虎は、戦略的に最初から敵の意欲を失わせる効果を考える。堀を広く設計し、弓の射程距離から離れていることで、城は安全を守る。黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られる。000049
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 慶長3年(1598年)8月、秀吉の死去直前から徳川家康に急接近。高虎は、家康の高邁な志を理解し、他の大名たちは領地を守ることに汲々としており、家康は天下を治める力があると考えていた。豊臣氏の家臣団が、武断(加藤清正)派・文治(石田三成)派に分裂すると、高虎は諸将に先んじて徳川家康側に与した。

 

 高虎の姿勢 慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原本戦では大谷吉継隊と死闘を演じた。石田三成が捕らわれ、さらし者になっていたとき、多くの武将は三成にツバをかけたり、雑言を浴びせた。そのとき、高虎は、三成に近づき、我が軍の戦い方の不備を聞いた。
 すると、三成は、先鋒の大将は安全を図って逃げ腰になっている点から、「禄の低いものがやっているのではないか」と、丁寧に答えたという。高虎がその将の禄高を上げた後、勇壮な戦いをするようになったという。
 

 また、留守中の伊予国における毛利輝元の策動による一揆を鎮圧、東軍への寝返りの調略を行っている。戦後、これらの軍功により家康から宇和島領を含む今治20万石に加増されている。 

 
 殉死 戦国時代、江戸時代初期には、主君が死ぬとその後を慕って殉死は、武士の美風とも考えられ、絶えなかった。生きていれば頼りない嫡子の高次を支えてくれる有能な人材である。高虎は、殉死を厳禁したかった。000100
 国元で「自分(高虎)が死んだら殉死しようと考えている者(家来)はこの箱に姓名を記した札を入れよ」と命じた。開けてみると40人余の札があり、続いて駿府屋敷でも30人余が名乗り出た。
 高虎は70人余の名を書いた紙を持って、駿府の家康を訪ね、
「私が死んだら殉死を願い出る者がこんなにいます。皆、忠義の者で徳川家の先鋒として、子々孫々までお役に立つ者たちです。ですので上意をもって殉死を差し止めて下さい」と嘆願、家康は了承した。

  高虎は家康から書状を受け取ると、70人余を集めて家康の上意である事を伝えた上で、
「殉死を願い出た者は、殉死したも同然である。殉死は絶対に許さぬ、との家康公の厳命に背いてはならぬ。」と、自分の死後は、藤堂家と徳川両家のために、切腹したつもりで懸命に働くように命じた。

 藤堂高虎は、家の家臣が忠義であると家康に示し、それを家康から家臣に殉死を禁止させてしまう、高虎の巧さがある

ドジな部分を残す
 
徳川二代将軍、秀忠から、二条城の設計を依頼された高虎は、設計図を書き上げた段階で、秀忠に見せに行った。そのとき、高虎は完全設計ではなく、徳川家から注文やクレームが出るような設計にしておくという。徳川家の設計として、手を加える余地を残す、という。

000097 それが、藤堂高虎の接待術だという。味わい深い面がある。できる部下は、上司の仕事領域までこなしながら、必ず上司から叱られる部分を残しておくという。上司から、油断もスキもないと思われないように、ドジな部分を残す。上司からは、「オレが見ていないと、お前はダメだな」と思わせる手を使う。これが、上司に可愛がられるコツだという。これは、大いに役立つテクニックだ。

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