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2015年4月 6日 (月)

翁長・菅会談、沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

000006  沖縄戦は(昭和20年)1945年3月26日から、米軍の沖縄攻撃が始まり、主要な戦闘は沖縄本島で行われ、6月20日頃に日本軍の組織的な戦闘は終了した。
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 昭和20年6月6日現地のトップの一人、大田実海軍中将から、(井上成美)海軍次官宛決別電文が打たれた。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」の電文が打たれた。皇国も天皇も書いてありません、ひたすら「沖縄県民」のことを書いています。決別電文としては異例中の異例でしょう。

 アメリカ軍の本土上陸作戦の橋頭堡として、最前線で沖縄県民とともに戦って第32軍と共に本土のために散った命をないがしろにしないで欲しいと、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」の電文に井上成美海軍次官は、胸を震える思いで読んだが、今に政治家は、沖縄県民の犠牲にはなんとも感じないか。

橋頭堡(きょうとうほ、lodgement, bridgehead, beachhead, airhead):敵地などの不利な地理的条件での戦闘を有利に運ぶための前進拠点であり、本来の意味では橋の対岸を守るための砦(bridgehead)のことである。

 大田 実(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年Th43k78sen
(昭和20年54歳):海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。旧制千葉県立千葉中(現千葉高)より海軍兵学校41期。席次は入校時は120名中53番、卒業時118名中64番。(当時、成績が昇進を決した。先輩の上司の井上成美は、二番で卒業) 大田実海軍中将から打たれた電文に、(井上成美)海軍次官(大将)は情に篤い人だったから、いたく感動したと伝えられている。
 
大田には、 11人の子供がおり、長男大田英雄は社会科教師で平和運動家。湾岸戦争後の自衛隊ペルシャ湾派遣の際の指揮官である落合畯一等海佐(当時)は3男。大田豊一等海佐は4男。3女板垣愛子はパーフェクト リバティー教団(PL)の教校長。

 娘の一人は後年、アメリカ人と結婚し渡米、沖縄戦で米軍を苦しめた日本軍幹部の娘というので、パンも売ってくれないなど、酷いいじめに遭った。後年、小渕恵三(第84代首相)が「大変でしたね」と慰めると、彼女は「父の苦労に比べたら、たいしたことはありません」と泣き崩れたという。

 

 アメリカ軍の沖縄攻撃は、日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保が目的。日本軍の目的は、大本営がアメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦を志向したのに対し、現地の第32軍司令部は、本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」(持久戦)を意図するという不統一な状況であった。 

 第32軍は、日本軍がサイパンの戦いなどで失敗した水際防御を避け、ペリリューの戦い・硫黄島の戦いで行われた内陸部に誘い込んでの持久戦を基本方針として戦い、特に首里(現・那覇市の一部)北方で激戦となった。 

 海上では大本営の決戦構想に基づき、日本軍航空部隊が“特別攻撃隊”(特攻)を中心に攻撃を繰り返し、戦艦「大和」などの日本海軍残存艦隊と連合軍艦隊の間で海戦が行われた。飛行場制圧のため陸軍空挺部隊から「義烈空挺隊」も投入した反撃が試みられた。 

 上陸後2ヶ月、1945年5月末に連合軍は首里を占領し、日本軍は南部に後退。6月下旬に組織的戦力を失い、米軍の掃討戦は終戦まで続いた。銃弾・砲弾の数は、アメリカ軍側だけで2,716,691発。このほか、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された。Yushukan
 沖縄県の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人(沖縄出身者122,228人、うち民間人94,000人)。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍の死者・行方不明者は12,520人、負傷者72,012人。朝鮮半島出身の土木作業員や慰安婦など1万人以上が統計から漏れている。よって、沖縄での死者は20万人。
 6月18日、アメリカ第10軍司令官(沖縄上陸軍最高指揮官)・サイモン・バックナー中将は、喜屋武半島の最前線視察中、日本陸軍の野戦重砲兵第1連隊第2大隊の九六式十五糎榴弾砲の砲撃を受け戦死した。これは2014年現在に至るまで、アメリカ軍史上において最高位の階級で戦死した唯一の例。このことによる戦況の変化はなかった。

 今、比較尺度として、東日本大震災の2万人(死者行方不明者)を使えば、その10倍の悲惨さである
 

沖縄軍(第32軍司令部)は、大本営から見れば、本土決戦のための時間稼ぎの「捨石作戦」(持久戦)にされていた。
 前知事の自民党の意図にそって、辺野古移設を承認して、代わりに沖縄振興策に沿って行動して、お互いに波風を立てない関係で行こうとしていたが、
 

000049_1 今度は、翁長知事は、辺野古への基地建設は、住民の意思を尊重して、認めないという方針を打ち出し、それを政府から話し合いにきたのが菅官房長官である。 

 安倍総理の意をうけて、菅官房長官は説得に強い意志をもって会談をしている。従来、お互いを説得しようとしていなかったかのようにギャップを埋めるにはまだ距離がありそうな話であった。 

菅官房長官
 何と言っても、最重要というのは、まさにこの市街地の中心部に位置して周辺を住宅や学校に囲まれていますから普天間飛行場の危険除去。世界で一番危険な飛行場の危険除去と固定化はあってはならない。(だから辺野古へ移設する)
 

000004000002

翁長知事
 今日まで沖縄県が自ら基地を提供したことはないということを強調しておきたい。戦争が終わって沖縄県民が収容所に入れられて、その(県民が)いない中で、あるいは(県民が)いるところは銃剣トブルトーザーで、私たちの思いとは全く別にすべて強制接収されたわけであります。そして、普天間基地はいまや世界一危険になったから、大変だというような話になって、その危険性の除去にために「沖縄が負担しろ」と 「お前たち、代替案を同考えているのか」とか「沖縄県のことも考えているのか」。Photo そういった話がされること自体が、日本の国の政治の堕落ではないのか、と思っている。

 未だに、戦後の強制収用に繋がる問題が一向に解決がついていない。戦時中の大本営と沖縄の関係、その齟齬もそのまま今の政治が引き継がれている。沖縄を日本本土の防衛の要に置かれたままだ。米軍が沖縄のいい場所に座り込んで、沖縄の発展を阻害している。
 日本人を反米思想にするには、簡単だ。米軍を町の中心に基地を作らせればいい。沖縄にとっては、アジアの要といいつつ、米軍にいいように使われて・・・似た様な町の発展に大きな障害になっている自衛隊の基地がある。
H_1989 八千代市には、広い習志野演習場が町の中心にある。だから、町の発展の障害になっている。しかし、市議も、市長も、ダレも異議を発言する人はいない。千葉は軍都といわれ、反軍的な発言は難しいところだ。4習志野演習場(ならしのえんしゅうじょう):36 千葉県船橋市・八千代市に所在する陸上自衛隊の演習場。航空自衛隊と敷地を共有し、演習場の一角には分屯基地施設が設置。主に第1空挺団等が訓練で使用する。演習場では空挺団に所属する自衛官が持続走や各種訓練を行っている。 

 菅官房長官は、沖縄県宜野湾市で開かれたアメリカ軍施設の返還式典に出席し、政府として地元の意向も踏まえながら跡地の整備計画を支援していく考えを示しました。
 また、菅官房長官は、記者団に対し、5日に行う翁長知事との会談では、アメリカ軍普天間基地の危険を1日も早く除去するため、政府が進める移設計画に理解を求める考えを示しました。
 

 菅官房長官は、4日、アメリカ軍キャンプ瑞慶覧西普天間住宅地区51ヘクタールの返還式典(宜野湾市)に、翁長知事や在日アメリカ軍の関係者らと共に出席した。
 菅官房長官は「安倍政権としては、沖縄の負担軽減策は、できることは、一つ一つ実現していく。まさに政府の最重要の課題として全力で取り組む」と述べた。

 そのうえ、菅官房長官は「今回返還された住宅地は事実上、最初の返還事例、新たな沖縄の発展のモデルケース。国際医療拠点構想など、地元の意見をうかがいながら、政府として跡地の整備計画を支援していく」と述べた。また、振興策として、ユニバーサルスタジオジャパンを誘致など、振興策に取り組む姿勢を強調。
 「翁長知事ときたんのない意見交換をし、基地負担の軽減策や振興策も話をしてみたい」と述べた。政府が進める普天間基地の移設計画に理解を求める考えを示しました。

 一方、沖縄県の翁長知事は、「問題の原点は普天間基地が、県民自ら差し出した基地ではない。ここを原点だと思えば話ができるのではないか」と述べ、同じ沖縄県内に移設への反対を直接伝える考えを示した。 海兵隊員を9000人削減するなど、負担軽減が実現する理解を求める。
 

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