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2015年4月 3日 (金)

日経連載「私の履歴書」作家瀬戸内寂聴、佐藤愛子の無名時代

「私の履歴書」円地文子、瀬戸内寂聴、佐藤愛子まで読んだところだ。 源氏物語の円地文子。
 瀬戸内寂聴は、幸せな貞淑の妻で過ぎ、戦争が終わった頃から彼女の生き様が変わる。
 幸せ家庭からのな脱走から、作家と波乱万丈という印象を残して、天台宗の今東光(当時国会議員・中尊寺貫主)に得度をすることになる。得度の当日は、今東光はガンが重くなり、手術の直後で、代理の寛永寺の貫主が行う。
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5 小学生から面白い子で、(男だったら)私は海軍兵学校に入ることだった。日本人なんだから、天皇陛下のために戦争に征くのは男なら当然だ、と思っていた。
 忠君愛国の塊のような私は、女子大(東京女子大)の学生がのんびりしていて戦争は何処吹く風と暮らしている子が時々猛然と腹立たしかった。女子高は徳島県立高等女学校、東京女子大学卒業、直後、軍人さんと1943年に21歳で見合い結婚し、中国へ行き、中国での生活は案外長い。恵まれた生活をしている。
 問題は、戦後だ。


 Photo_2フラフラと数年年下の男性にノボセ上がり、家を出てしまい・・・1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。
 この辺りを聞いても、理屈では説明できない行動だ。結果が家の子供を置いて、普通なら恵まれた家を放り出して、無銭で着替えもなく家を出ないのを、とにかく家出をしてしまう。強烈な行動をした。

瀬戸内寂聴:どうしたら、いい女になるか NHKプレミアムトーク

  作家で食うつもりの、この個性の強さには、普通だったら、小説家になると言っても、なれるものではないが、それがなってしまう強さがある。普通一般人の真似のできないことを実現している。
 こんな女性が世の中にはいるのだ。情念の世界は理屈ではない。いまや、押しも押されぬ名声を得て、生き方を世間に認めさせてしまっている。
 新宿の文士が集まる
喫茶店に松本出身の童話作家に案内してもらったら、寂聴になる前の瀬戸内晴美さんがほかの文士と歓談している姿を見た記憶がある。それだから、どうということもないが。Photo_3

 佐藤愛子は、11 かの有名な佐藤紅緑の娘で、サトーハチローの妹である。
「小説を書くというのは、日本橋のど真ん中で裸になって大の字に寝るようなものだよ。それができるかい?」と言われるが、猛然と突っ込んでいく。
 女流作家は、見せられるものはなんでも書いて見せてしまう。羞恥心などもっていたら、書くものがなくなる。そういう因果な職業だ。
9佐藤紅緑を愛読する少年は田舎者: 
代表作1.ああ玉杯に花うけて2.少年讃歌
 

「あなたがモノになるか、ならないかは、とにもかくにも十年、ひとつのことにだけ専心やれるかどうかにかかっている」
「作家になれるかなれないかは、どこまで家族や世間の無理解に耐え得るかという点にある」
「芸術家にとっての問題は、どこまで非情を押し通せるかという点に絞られると思う。その孤独に耐えられない奴は、十年もたたずに生活のために妥協の道を選ぶんだ」
 普通、この非情に耐えることができない。才能があっても、失敗が続き、挫折に耐え切れず、自殺もある。太宰賞にかけて何年続いたか、離婚も経験して、40代であの世に行ってしまった友人がいる。ちょっと見た目もいい男で、女にもモテそうな彼だったが。作家などは、人口1万人いても、一人必要かどうかだ。そんな競争率を潜り抜けるより、普通のサラリーマンをして、家庭を大事にする生き方を・・・伴侶は求めるだろう。
 その非情さを貫けないと、小説家はできないだろう。文章を書いて・・・食って行くことは、簡単に言えば、歩くということを職業にするみたいなものだ。ダレでもできることが、生活の糧になるのだから。
 

 佐藤愛子の家族関係が影響して、夫の事業の次から次へと失敗して、落ちるところまで落ちるというか、逃げられない場からの直木賞授賞というチャンスで、一気にくる作品の注文で、つぶされそうでつぶれない逞しさには、目を見張るものがある。

 以前、「血脈」の3部作を読んでいると、あの非情さ、常識を超えた生活ぶりに2作目で、ヤーメタと思ってしまった。昔型の文士は、私には付いて行かれないと思った。

佐藤愛子(さとう あいこ、1923年11月5日 - 、現在91歳):
 大阪市生まれ、西宮市育ちの小説家。小説家の佐藤紅緑と女優三笠万里子の次女。当時父は50才。母は30才。異母兄に詩人サトウハチロー、脚本家で劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現・甲南女子高等学校)卒業。

1936年 - 4月、神戸の甲南高等女学校に入学。スポーツや演劇でクラスの人気者になる。遠藤周作(愛子と同じ歳)はエッセイで『灘中学校時代、通学電車で乗り合わせた彼女は、我々のマドンナ的な存在だった』と書いている。
1941年 - 3月、女学校卒業。兄サトウ・ハチローの家に寄寓する。雙葉学園(東京)に入学。3か月で肋膜炎で中退、帰郷し臥床。治癒した頃戦争が勃発。
1943年 - 12月、最初の夫(病院長長男:森川弘)とお見合い結婚し、岐阜県恵那市(中津川市の隣り旧大井町)で暮らす。「戦争だから、しようがないから結婚していた」。森川は陸軍航空本部勤務の主計将校、飛行場設営隊として赴任、同地で約5カ月の新婚生活をおくる。
1944年 - 11月、現清水市の疎開中の実家で長男出産。
1945年 - 夫の実家である大井町にて敗戦を迎える。「戦争が敗けて、これで自分もこの結婚を解消して、自分の好きな道に進めるんじゃないかということを考えた」。人手の多い病院で、穏やかな日々を過ごす。この年、次兄が原爆死。3実兄がフィリッピンで戦死。
1949年 - 父、紅緑死去。享年76。 夫が太平洋戦争中モルヒネ中毒となり、戦後も治癒せず。世田谷区上馬にて母と共に暮らす。
 母に勧められ田中村の生活を書き、小説を父に見せたら、面白いと言われ文学を志す。父の紹介で加藤武雄に原稿を見てもらう。子供2人は婚家先の両親が引き取る。
1950年 - 同人雑誌『文藝首都』に参加、北杜夫、田畑麦彦、なだいなだらがいた。同誌に処女作「青い果実」が発表され、同作で文芸首都賞受賞。
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