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2015年2月11日 (水)

なぜ 張 作霖(ちょう さくりん)を 関東軍は 爆殺したか。

04張 作霖(ちょう さくりん、1875年3月19日~1928年6月4日):中華民国初期の軍閥政治家で、張学良・張学銘・張学思の父。字は雨亭。
 張作霖は、1875年、遼東半島の付け根海城県で生まれた。生家はあまり豊かではない家で、1889年、14歳で父と死別。継父(獣医)から乗馬を習った。その父と気が合わず、家を飛び出した。
その後、吉林省に渡り、馬賊に身を投じた。
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  なぜ張 作霖(ちょう さくりん)を関東軍(満州派遣軍)は爆殺したか。これが分かれば、近代日本の流れが理解できる。
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1895年、営口市高坎鎮一帯で生活。当時の東三省は警察力が弱く、非合法組織が数多く存在した。張はその中でたちまち頭目となり、朝鮮人参や、アヘンの密売で利益を得ていた。彼の仲間には、後に満州国の国務総理を務めた張景恵などがいた。 Photo
29031904年に日露戦争が勃発し、東三省は戦場となり、張はロシア側のスパイとして活動中、日本軍に捕縛された。張 作霖(29)が有能な青年と認めた陸軍参謀次長児玉源太郎の計らいで処刑を免れた。この時、児玉の指示を受け、田中義一(少佐/後に首相)である。その後は日本側のスパイとしてロシア駐屯地から多くの情報を得て伝えた。

F0af23 日露戦争後の1905年、東三省地域の治安向上にも努め、馬賊に対しては帰順すれば軍隊に任用する旨を頭目たちに伝え、張作霖はこうした状況の変化にいち早く対応し、形式的に清朝に帰順して2千程度の規模を持つ軍の部隊長となった。張の下には更に多くの馬賊が集まり、隠然たる勢力を形成していった。

 張作霖は内モンゴルとの境界に近い鄭家屯にあって、地域の安全確保に大きく貢献し、治安の確保に苦心していた徐世昌(清末民初の政治家。中華民国第4代総統)に認められ、張は北洋軍との関係を持ち、更に東三省駐留の北洋軍を吸収する手掛かりとなった。

徐世昌=1886年(光緒13年)科挙に及第し、頭角を現したのは、Chang1895年(光緒22年)袁世凱により新建陸軍の参謀に就任してからである。徐世昌が正学を治め科挙に及第し(科挙は合格していない袁世凱には)、伝統的な教養もあり、古くから親交のある徐世昌が身近で助言することは、清廷で政治的立場を強化するに大きな意義を有した。その後、袁世凱の昇進にともない徐世昌も東三省総督、郵伝部尚書など要職を歴任した。

1911年10月に東三省でも革命勢力が蜂起したが、趙爾巽は軍事力を行使して鎮圧に成功。張作霖も兵を率いて多くの革命派を殺害し、翌年には清朝が滅び、中華民国が成立した。東三省においては趙爾巽がそのまま奉天都督となり、旧勢力は温存された。

 張作霖も、革命勢力を鎮圧した功績により、中将・陸軍師団長に昇進。張作霖は既に発言力を得つつあった在地勢力の利益代表として影響力を強め、東三省での権益拡大を目論む日本とも協力関係を取り付けた。この時期の張作霖は表向きは袁世凱に従っていたが、張作霖の力を恐れた袁世凱は彼を子爵に任じた。

 1916年に袁世凱が死去。これを好機と見た張作霖は策略を用いて上司段芝貴を失脚させ、奉天省の支配権を獲得した。さらに勢力を広げ、1919年には黒竜江省・吉林省も含めた東三省全域を勢力圏に置き、「満洲の覇者」として君臨し、張作霖は「満洲王」と呼ばれるほどの威勢を誇った。

1927年4月10日、ソ連と中国の国交は断絶した。
 一方、ソ連は(満州一帯に勢力を持つ)張作霖に圧力をかけるために、モンゴルに大砲、弾薬、毒ガス、航空機を集中させた。ソ連大使館で押収された書類には、北京において工作活動、あるいは暴力に訴えるための4120名宣伝部員等名簿、イギリス、フランス、日本に対する反抗的調印文書など共産化陰謀を示すものがあり、その内容はイギリス下院においてもチェンバレン外相から発表され、さらにイギリス国内ではアルコス事件が起き、イギリスとソ連との国交は5月27日断絶した。

 張作霖は、ソ連大使館捜索に続き、4月12日には上海クーデターSakurin
950を起こし共産主義者への弾圧を開始した。
  1928年4月、蒋介石は国民革命軍を改編し、欧米の支持を得て、再び北伐を開始した。この時、他の軍閥勢力(馮玉祥・閻錫山など)も蒋介石勢力下に加え、万全な態勢を取っていた。
 張作霖は防戦するが、欧米からの支持を失い、日本政府も張作霖を積極的には支持しなくなった。
 日本の山東出兵(第2次)によって蒋介石軍と衝突(済南事件)する。日本軍は、蒋介石(国民党革命軍)から「山海関以東(満洲)には侵攻しない」約束すると、張作霖の応援を積極的にしなくなった。
同年6月4日、蒋介石との戦争に敗れた張作霖は北京を脱出した。

 当時の日本の首相田中義一は、なお張作霖の利用価値を認Formal
め、東三省で再起させることを考えていたが、既に満州国の建国計画を進めていた関東軍は、張作霖の東三省復帰を望まなかった。その結果、張作霖爆破に繋がる、と考える。
 しかし、張作霖爆殺という既成事実が先走っているが、爆破時、張作霖は軽傷であったという情報がある。この情報はかなり信憑性がある。その推察は、以下の動画で説明がある。

張作霖爆破事件★ ★★
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