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2015年2月26日 (木)

司馬遼太郎の視座に学ぶ01

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 司馬遼太郎の小説には、大人の思考がびっしり詰まっているから、学ぶところが多い。高校生くらいから、読み始めると、20代までに読み続けて、考え方の基礎が養われる。
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司馬 遼太郎(本名:福田 定一、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日):大阪府大阪市生まれ。筆名は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる(日本名)太郎」に由来。

1923年(大正12年)8月7日、大阪府大阪市浪速区西神田町(現・塩草)に、薬局経営の父福田是定(薬剤師)、母直枝の次男として生まれた。兄は2歳で早世。姉、妹が一人ずついる。乳児脚気のために3歳まで母の実家、奈良県北葛城郡當麻町(現葛城市)で過ごす。

1930年(昭和5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・大阪市立塩草立葉小学校)に入学。性格は明るかったが、学校嫌いで、悪童でもあった。母の実家の奈良には古墳が多く、土器のかけらや石鏃などを拾い集めた。また、当時、大陸の馬賊に憧れ、後に戦車隊の小隊長となることでこの夢は結実した。

1936年(昭和11年)私立上宮中学校に進学。入学時の成績は300名中でビリに近く、慌てて勉強をして二学期には上位20位に入った。3年生から御蔵跡町の図書館に通い、本を乱読する。古今東西のあらゆる分野の書物を読破、釣りや将棋などの本まで読んだ。
 阿倍野のデパートで、吉川英治の宮本武蔵全集を立ち読み。売り場の主任に「うちは図書館やあらへん!」と文句を言われて、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたります…」と言ったそうだ。また、半ば趣味として山登りを好み、大阪周辺の名山は大抵踏破した。

1940年(昭和15年)旧制大阪高校、翌年旧制弘前高校不合格。1942年(昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学。

 入学時に上級生が新入生に催す歓迎会では、司馬青年はガマの油売りをみごとに一席やった。これは彼の性格の明るさを表す一端である。当時の学生は語学が嫌いで、彼も早稲田大学の中国文学に鞍替えしようかと考えた。しかし読書は依然として好み、ロシア文学や、司馬遷の『史記』を愛読。
 当時の司馬青年は、教室へは「オース、オース」と声をかけながら入り、天性の性格の明るさと、博学博識で雄弁、生徒間で人気があった。授業でもよく発言し、食事はよく食べ朝飯を5杯おかわりするのが常。「中庸の徳」が座右の銘であったという。

 1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業。兵庫県加東郡河合村青野が原の戦車第十九連隊に入隊。翌44年(昭和19年)4月に満州四平の陸軍戦車学校に入校、12月に卒業。文系であったために機械に弱く、ある時に戦車を動かそうとエンジンが起動したが、中から白煙が出て悲鳴を上げた。戦車がコードを踏み電流が流れ感電死寸前、慌てて、手斧でコードを断ち切り、事なきを得たという。
 戦車学校卒業後、満州牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌45年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。

 22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を持ち、「昔(日露戦争前)の日本人はもっとましだった」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐。敗戦の体験が、その後の作家生活の原点にあったと考えられる。
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