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2015年2月27日 (金)

昨夜、母ような恩師 間太利先生がお亡くなりに、御齢98歳

 中学時代のクラスネットワーク、トッコさんから昨夜9時に「遅くにごめんね」と、聞き覚えのある電話があった。「今、(先生の)姪ごさんから“先生が亡くなった”と連絡頂いた」と、いう。
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 二年前に、郷里の友数名でお目にかかったときには、まだまだ、元気で「100までいけそう」と、我々一人ひとりの顔を覗き込むようにして、教え子の名前を一人ずつ言い当てて、面白がっておいでになった。

 恩師 間太利先生の思い出は、中学生のときから長く繋がっている。A君ほどではないが、親代わりのように、面倒をみてもらったから、弔辞を書いてお送りしなければならない感じている。

 先生とは、中学卒業後も、帰省するたびお目にかかり、いろんな話をしていた。「東京にいるなら、おじに会いなさい」と、なにかと世話して頂いた。
 生徒がその後、どうしているか、いつも世話し続けている印象がある。ご自分の身の上は放置して、生徒の結婚の世話したり、問題を起こした生徒の始末にひと肌脱いで奔走していた。そんな話を二三聞いている。

 先生、教える教科は、数学と理科がメインだった。
 ピアノも弾けるから、クラスの主題歌を作ろうと言い出したのは、先生だった。朝の歌は決まらなかったが、「帰りの歌」笠置山が、中津川市の西にあるのだが、“笠置の山もたそがれて♪…”と、二年間歌ってから、帰っていた。文句をいいつつ、従っていた。

 先生の体重は、16貫目(3.75 ㎏×16=60㎏)あった。太っていたといえば言えるが、教育の場で生徒と戦うには、これくらいあったほうが良かったかもしれない。当時はダイエットなんて感覚はないから、太めは太めで個性で通っていた。
 四つ目川の花壇つくりで、クラスで作業していたとき、大柄なA君をしかりつけて、ぶっ飛ばしてしまったとき、体力があればこそだと思った。先生は、こうしてしかりつけたあと、必ず、生徒宅へ放課後でかけて、しかりつけてぶっ飛ばした事実を親に謝罪していた。

 私も、ホームルーム先生の説明を妨害して、ヤジを繰り返したら、教壇から下りてきて、一発頬をぶたれた。その日、夜になって学校帰り、先生、家へ来た。父と母に「●君を、こういうわけで、ブってしまいました。すみませんでした」と言っているのが聞こえてきた。
 そのときは、先生ってこういうものだと思っていたが、授業以外の部分で並々ならぬ努力をしていたのだ。授業で勉強を教える部分より、授業外の生徒のケアに努力していた。と今になって痛感する。
 中学二年、三年生の頃は、ワルガキの頃だから、先生の困ることを次から次と起こして、それを楽しんでいた。

 二中は、勉強より、イロイロな面の活動が盛んであった。
 文化祭で演劇をクラス単位で行った。二年では「ウイリヤム・テル」、三年では「恩讐の彼方へ」(菊池寛)を行ったし、クラス文集も毎年生徒中心に作った。「(二年)鉄の玉」「(三年)岐路」を製作した。勉強以外の面では、かなり充実していた。

 三年の文集作成過程で、集金していたお金が紛失して、残っていた人に疑惑がかかり、一人ひとりにお金を盗んだ事実を確かめることを先生が始めた。
 すると、そんな疑惑を掛けるなら、編集委員を辞める、と生徒会長だったA君が言い出た。先生、盗難問題を解決しなければならないし、文集作業の頓挫も困る。
 Aクンは、編集委員全員を引き連れて、ストライキ風に先生の「疑惑解決」作業に立ち向かった。編集委員だった私も、Aクンに同調して「辞める」と思われて、先生は編集委員の家を一軒一軒、夜遅く訪ねてきた。あのころ、先生は車ではなく、歩いて回っていたから、すごく大変な労力だったと思う。
 盗難問題に疑惑で、「編集委員を辞める」というAクンの論理に疑問を感じていたので、私は「編集委員を辞めるつもりはない」と、家に訪ねてきた先生にいうと、ホっとした表情になったのが印象的だった。たぶん、私の家を最後に(緑町の)自宅に帰れるのだろうと思った。
 体育祭は、もちろんある。遠足もある。クラス役員は、級長、生徒会議員、等の生徒会活動もある。生徒会会長にも立候補し、当選することもあった。

 先生は、中津女学校第25回卒業110名(昭和8年3月)の中にいる。うちの四季代、美世叔母が24回、26回に卒業している。
 昔は高等女学校を卒業して、和裁を習い、料理とか、花嫁修業しているうちに、見合い写真が回り、数年のうちに結婚がきまるのが普通。ところが、親の反対を押し切って、先生は、師範学校ではない一般大学へ行って教員になった。
 市内には、女学校時代の同級生が、K君のお母さん、S君のお母さん、Mさんのお母さんらが先生の同級生だった。

 先生の間家は、中津川市の目抜き通りに昔から代々住んでいた。江戸時代以前から、祖先は名家として名が通っている家柄だった。島崎藤村の「夜明け前」にも、その活躍ぶりが触れられている。
 先生の祖父間杢右衛門、三代前の当主は、旭丘の町を見下ろす場所に、「女学校」を建設した。岐阜県で二番目に古い中津女学校を作り、県に寄付して、戦後は県立高校になっている。
 中津の女性が強いのは、男性が大学卒業後、故郷に戻らない半面、女性は家付き娘が多いからだろう。


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