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2015年1月16日 (金)

ファミリーヒストリー石田純一の始祖は、徳川紀伊家武士の流れ

s 石田純一の六代前の祖先は、関が原あたりの戦いで紀州徳川の末端につながる武士だったので、ある村の庄屋として派遣され000012
た。
  祖父武太郎の戸籍を見ると、大阪富田林の出身と書かれていた。市内には今も石田家の本家がある事が分かった。
敷地は300坪。この地区を代表する名家。この本家と東京で暮らす純一さんの家との交流は途絶えてしまっている。
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本家を守る石田家には“石田重右衛門”先祖を描いた掛け軸がある。000015“石田重右衛門”は、江戸時代初期紀州徳川家に仕える武士。大坂夏の陣のあと、幕府の直轄領となった富田林を治めるために移り住んできた。その後400年にわたり、この地で暮らす石田家である。 石田家に代々伝わる家訓があった。000022 ディレクターは、この家訓「色欲を慎むべきこと」を見て
「石田さんは、この家訓をごぞんじでしょうか?」と、聞かなくてもいいことをワザと聞いていたのが、ちょっと嫌味だ。家訓があったからって、女性にちょっかいを出さないわけはないでしょ。
000007  石田純一の祖父武太郎は、明治23年石田家の本家ではなく、分家に生まれ、幼い頃から活発で、勉強が得意な少年で、大正元年に上京し、早稲田大学政経学部へ入学。当時の総長は大隈重信。教授には小説家の坪内逍遙などがいた。000032   武太郎が大学で熱中したのが「擬国会」と呼ばれる討論会。国会議員を招いて時事問題について話し合った。武太郎はここで積極的に発言し学内でも目立つ存在となった。大学に武太郎について書かれた資料が残されていた。「早稲田大学百年史」に武太郎は当時を代表する学生として紹介されている。000043 大正4年大学を卒業した武太郎は…、現在の日本経済新聞社、ここで政治部の記者として働き始める。
 
000051そして間もなく結婚。相手は、当時の花形職業の電話交換手の女性きよだった。

 大正10年武太郎が31歳の時、記者としての転機が訪れる。武太郎はワシントン会議の特派員に抜てきされた。
000056 ワシントン会議とは第1次世界大戦後に開かれた世界初の軍縮会議。各国で進む軍備拡張を抑えるため保有できる戦艦の比率について話し合われた。
 

日本が欧米諸国から軍縮を迫られる緊迫した雰囲気を記事を書いた。会議が終了後、武太郎はアメリカに残り2年間の特派員生活を送った。
 そこで目の当たりにしたのが、当時車やラジオなどが普及し、大量生産時代の幕開けだったアメリカの豊かな暮らしぶりだった。人々は繁栄をおう歌していた。
 

 そのころの武太郎の様子を伝え聞いている人がいる。現在、山口朝日放送社長で、元テレビ朝日の記者渡辺興二郎さん。000065 武太郎の孫で純一のいとこに当たる。純一父武の姉ひなこの子どもが興二郎さん。000074  帰国後、武太郎は中外商業新報の政治部部長更に編集局長まで昇進した。そんな武太郎に大正15年次男が誕生する。幼い武が写った家族写真が残されている。このころ武太郎は、目黒の一等地に当時珍しい洋風建築自宅を購入した。
 ところが42歳になった武太郎は、安定した新聞記者生活を辞め出身地の大阪から衆議院選挙に立候補する決断をした。
 総理大臣犬養毅が総裁を務める、当時の与党立憲政友会から立候補した。新聞記者として実力も名声もあり、与党立憲政友会からの推しもあり、当選できると自信をもって立候補に踏み切った。武太郎は私財をなげうって資金をつぎ込み、選挙区に駆け回った。中選挙区にも係らず、結果は次々点で落選。
000085 1932年(昭和7年)5月15日犬養毅の暗殺が大正デモクラジーの分水嶺があったように、アメリカ駐在で文明を身につけた武太郎は、立憲政友会の進歩的な主張は選挙区民には受け入れられなくなったのだろう。当時の風潮の波は、相当右翼的な方向に向いていて、民主的な勢力は反発を買われ選挙妨害されたのではないか。相当当選する自信があったのに、落選は予想外であったのだろう。特派員として、名前も売れていただろうに、全てをなげうって出た選挙で、ステンテンになるとはショックだ。

 
武太郎は財産のほとんどを失い、落胆しているところに 心労がたたり、肝硬変で倒れた。選挙から2年後の昭和9年武太郎は亡くなった。44歳の若さであった。
 それを見た石田純一は、「やりたいことがあっただろうに」と短い言葉だったが、祖父の人生未完に慨嘆をしていた。

 石田 武(いしだ たけし、1926年3月 - 1989年4月15日 62歳没)は、元NHKアナウンサー。
 麻布獣医専門学校、陸軍獣医を目指すが終戦後。大勢の獣医(兵士は戦死したが、獣医は戦死者が少ない)が復員したため職に就けず、GHQの在日米軍基地で家畜の世話をして糊口を凌いだ。その後、英語が活かせると考え、30倍競争率のNHK報道員に応募し採用された。昭和23年6月結婚。最初に赴任した広島時代には、広島カープ創設時のラジオの実況を務め、名調子で知られた。長女は広島生まれ。
  NHK在籍中にケネディ大統領暗殺事件関連の報道特別番組の司会や、アポロ11号月面着陸の実況を務めた。
1964年の東京オリンピックでは、陸上競技の中継を担当、男子100mのロバート・ヘイズの金メダルを実況した。
  53歳、脳卒中で倒れて後遺症が残り、NHKを退職。後は長い闘病生活し、葬儀の日に撮られた写真が残されている。
000090 憔悴しきった表情の妻きよと子供たち。石田家にはこのあと苦難の道のりが始まった。
 大黒柱の武太郎を失い選挙によって財産もなくした石田家。
 妻きよは3人の子供を養うため助産師の資格を取った。産気づいたと連絡があれば、昼も夜もなく駆けつけた。生活もかつてとは一変。食べるのがやっとの毎日。そんな中でも、純一の父武は真面目で勉強熱心な少年でした。
 

 当時の暮らしぶりを純一の姉桃子が聞いていた。武が勉強のかたわら興味があったのは、アメリカ文化。父武太郎が残したレコードを聴いたり英語の本をよく読んでいた。000100 昭和18年武は麻布獣医専門学校に入学。当時この学校で3年学べば獣医の資格を取る事ができた。その後多くの卒業生は陸軍へ入隊した。武も獣医として経験を積み、戦争が終われば海外の牧場で働きたいと考えていた。武は教室で英語の本を広げ、戦時中周囲から白い目で見られた。高校の同級生の森精さんは、当時の孤立していた武の姿を覚えていた。
 戦争が激しくなると、武は戦地へ資材を送る勤労動員に駆り出された。そんな時、同じく勤労動員で来ていた一人の女学生のかわいらしい笑顔に心を奪われた。女学生の名は宮崎静枝。後に純一の母親となる人物。
000124 すぐにお互いにひかれあい、学校で孤立していた武にとって、静枝は掛けがえのない存在となっていった。
 武は、麻布獣医専門学校の在学中に終戦を迎え、翌月獣医学校を卒業した。しかし仕事なかった。獣医師は、続々と外地から復員したため新卒者には働き口がなかった。しかたなく、武は得意だった英語を生かせる進駐軍で馬の世話をするアルバイトを始めた。
 そんな中でも、静枝との交際は順調に続いていた。
000137 当時武が撮った静枝の写真が残されている。武はカメラの前で恥ずかしそうにポーズをした静枝を何枚も撮った。
000139 その中の一枚の写真の裏には、武が静枝に宛てた情熱的な詩が書かれていた。
「あなたの膝にあづけて僕は眼をつむる」。
「ああ僕はあなたの動悸にびっくりして起き上がる」。
「静枝と一緒になりたい。そのためには安定した仕事を見つけなければ」。

 

 そんなある日新聞の片隅にある広告を見つけた。
「アナウンサーになれば得意な英語が生かせるかもしれない」。
000146 昭和23年部は30倍の倍率を突破して見事採用試験に合格した。
就職して2か月後、武は静枝と結婚した。お金がなかった二人は、式を挙げず代わりに自宅前でこの写真を撮った。
 
000150 武は静枝を幸せにすると誓った。 昭和23年NHKにアナウンサーとして入った武は、英語を生かした仕事をしたいと思っていましたが、担当となったのはスポーツの実況だった。最初に赴任したのは広島だった。
 原爆で焼け野原となりながら急速に復興が進む街はある話題で盛り上がっていました。昭和25年に長女桃子が誕生。その4年後に生まれた長男が太郎。後の石田純一である。
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