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2014年12月17日 (水)

「綴り方」天才少女豊田正子の作文とその後

07 豊田正子が亡くなったのは、2010(平成22年)年12月9日、案外最近だ。彼女は、東京葛飾区の立石近くで育ったから、図書館にいくと、彼女のことがよく紹介されている。
 南小のS子先生が、豊田正子の作文をよく読んでくれた。正子と先生は年恰好が近いし、綴り方教室の映画もあり、綴り方運動が盛んであった。大関松三郎の詩と共に生徒に推奨された。豊田正子の作文は、内容は忘れたが、彼女の名前は残っていた。どんな作文だったかな、と本を借りた。


大関松三郎 綴り方教育のお手本:(コメント欄に日教組と綴方教室運動の経緯が)
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豊田正子(大正11(1922)年11月13日 - 2010(平成22年)年12月9日)は、日本の・随筆家。
 東京(葛飾区)のブリキ職工の家に生まれる。 小学生の頃、担任教師大木顕一郎らの綴方指導で書いた作文が、『綴方教室』に収められて刊行されるとたちまちベストセラーになり、映画化もされた。

Photo 「綴り方教室」(9歳~12歳)は、小学生の正子が、だんだん作文が上達していく過程がよく分かる。今なら書けないプライバシーに立ち入った内容がコト細かく、自分チの財布事情や近所関係まで、バッチリ書かれるから、大人には困ることもある。

1937 小学4年のとき書いた作文「おりえさんのおばさん」だが、
 「おりえさんのおばさん」は36歳で、隣の家の奥さんだったが、夫婦仲が悪くなって、追い出されて、おりえという小五くらいの女の子を連れて家を出た。
 前から精神状態がおかしかったか、そんな印象。時折、思い出したように婚家を訪れて、前の亭主のことろへやって来る。「おりえさんのおばさん」は、今は、この世の人ではない話しぶりで、娘のおりえがついていないと、どうなるか分からない状態だ。

 
「おりえさんのおばさん」は、隣家に亭主がいないと、正子の家に上がりこみ、時間待ちをする。
 親は正子の家に上がり込み、えらい迷惑であるが、娘はおとなしく外でじっと待っているのを中へ呼んで、ご飯を食べさせるのだが、遠慮がちに端っこに座って・・・。
 隣りの亭主は、既に新しい女房が来ていて、それで・・・という話しが赤裸々に綴られている。Photo_32
 岐阜県の作文(綴り方)運動も、昭和20年代には盛んであった。
 が、先生によって、作文を書かせるクラスとそうでもないクラスがあった。南小のS子先生は、豊田正子を紹介したが、生徒に作文を強いることはなかった。東小の●先生のクラスは熱心で、“綴り方運動”の象徴の作文集(恵那の子)に生徒の作品が載った。他のクラスからすると、華やかなスポットライトを浴びている印象もあった。
 そのころの教員社会では、この生活改善運動の一環としての綴り方運動は、山形の無着成恭 山びこ学校の後追いのようで、民主主義教育の旗手の勢いがあったので、管理者側の県教育側でも手を焼いていただろう。後年、話しによると、そういう左翼的思想をもつ先生は、一箇所(西)に集めたと言うことを聞いた。

 赤裸々に書くという・・・その手法は、小学4、5年まではズバズバ書けるが、その後、親のこと、家庭のこと、これをあばくような内容をいつまでも書けるわけではない。
 作文で褒められていた子が、急に気を使った作文になると、書けなくなる。中学生の作文になったとき、あの「恵那の子」のスター選手だった子の作文がイマイチになっていた。
 豊田正子の作文、確かに日常生活を詳細に表現するのは達意である。その赤貧の生活をいつまでも、書き続ける作文少女は、チヤホヤされても、子役スターみたいなもので、そこから、大人の作家につながるわけではない。

 かつて「にゃんちゃん」という在日二世の少女の作文日記がヒットしたことがある。日常作文からあと一歩先に進んだ文章にする一手が必要だ。・・・この一手こそが大人の作家にさせる。赤貧の環境からもう一歩先に進まないと作家にはならない。

Photo_2  「続綴り方教室」(13歳~16歳)が発行された頃は、豊田正子はすでに小学校を卒業して女工になっていた。
 『婦人公論』に創作を発表、1942年(昭和17年)、20歳を迎えた戦時中には中国視察に派遣され、『私の支那紀行 清郷を往く』昭和18年(1943年)を発表した。1945年の東京大空襲では弟を亡くす。
 戦後、日本共産党に入党し、年長の作家・江馬修と夫婦同然の暮らしを始めた。
 自身の母を描いた長編『おゆき』を発表。
 文化大革命中の中国に渡り、1967年、文革礼讃の書を刊行する。だがその後江馬がより
若い作家天児直美と恋に落ちたため、一人ほそぼそと宝飾店で働き、そこで戦後女優・田村秋子と再会し、その死までを描いた『花の別れ』で1986年日本エッセイスト・クラブ賞受賞。その中で、共産党は貧乏人の味方だと思っていたがそうではなかったと書いてある。


江馬 修(えま しゅう、本名「なかし」1889年12月12日 - 1975年196
月23日85歳):作家。
 岐阜県高山市生まれ。斐太中学校中退。田山花袋の書生となり、夏目漱石門下の阿部次郎らと交遊。1916年、長編『受難者』。1926年以後ヨーロッパに渡り帰国後、『戦旗』で(プロレタリア作家)として活動。長編『山の民』執筆し、中華人民共和国で最も有名な日本の作家だった。
 戦前は作家民俗学者江馬三枝子と結婚。戦後、豊田正子と夫婦同然に暮らす。妻三枝子は
32
離婚に承諾しなかった。中国に渡り、豊田正子に文化大革命を礼讃する著作を書かせた。その後、50歳ほど年少の天児直美と恋に落ち、豊田を捨てて天児と暮らした。

天児 直美(あまこなおみ、1942(昭和17)年4月
Ada8日 - ):日本の俳人、浄土真宗僧侶。俳号は照月。岡山県生まれ。国立音楽大学卒。俳号・照月。ピアノ専攻。
 1961年大学三年の時に作家・江馬修のもとへ出入り、1972年江馬は夫婦同然であった豊田正子と別れ、天児(30歳)とともに暮らした。江馬没後(直美33歳)、美作女子短大教授として、音楽と江馬研究。定年後、(東京)中野にある正行寺の住職となる。

 豊田正子は、『綴方教室』がベストセラーになったが、恩人大木らの著作名義で出版されたため、初期の著作の印税はまったく豊田には入らなかった。
 元の作文中の「不適切」表現として監修者によって削除された箇所は、その後、復元されている。また『不滅の延安』は中国の原爆実験を礼讃するなどの記述が見られるが、文革で迫害された巴金は豊田に助けられたとも言っている。他の著書に「おゆき」(母について書かれている)、「花の別れ」など。
 2010年12月9日、閉塞性黄疸により都内病院で死去。88歳没


 黄疸は、赤血球のヘモグロビン分解代謝産物=ビリルビン(黄色色素)が血液中に増加、眼球結膜と皮膚に黄染をきたす。
 閉塞性黄疸(外科的黄疸)は、胆管系の閉塞や狭窄によリ起こる黄疸。原因は、胆管結石、胆嚢結石、胆道狭窄、胆管腫瘍、胆管癌など。黄疸を疑ったらすぐに、また普段から時々は腹部超音波検査を受けられること
 

 小学生時代の作文は時代を映すモノで、大きな社会的影響があった。その意味で役割は大きかったが、社会に出てからの著作に広がりが感じられないのは、私一人だろうか。


通信簿 武典先生を思い出す: nozawa22 
豊田正子「かあちゃん」(伊藤雄之助、望月優子、二木てるみ)

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コメント

豊田正子「かあちゃん」

投稿: ●江馬 修(えま しゅう) | 2016年1月 7日 (木) 16時32分

楽しく読みました。江馬修と三枝子のツーショット (?) の写真が貼られていますが、これは斎藤茂吉と永井ふさ子では?

投稿: 通りすがりですが... | 2017年4月27日 (木) 22時07分

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