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2014年12月27日 (土)

ファミリーヒストリー山本寛斎7歳は、横浜から高知へ弟と旅

000002 山本寛斉の少年時代 夕暮れは嫌い
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 父と母は離婚して、母《横浜》の手元から高知の父の実家へ旅立つ前の日、母はみんなで写真を記念にと写した。
00125 この写真は、NHKの係りが訪ねて行って始めて、母は見せた。およそ60年の間、母甲子の守りだったのであろう。母が肌身離さず持っていたので、ボロボロに痛んでいた。00123 7歳、5歳、3歳の子を手放さなくてならない母(27歳)の気持ちを考えたら、とても耐えがたい。山本寛斎は、それをファミリーヒストリーで初めて知って、どんな気持ちだったのか、分からなかったが、ひどくびっくりしただろう。この写真、子供たちは、母から貰っていないだろうから・・・母の気持ちを考えると、今私がこう書いているだけで、涙が・・・。 

 この写真を撮った翌日、七歳の山本寛斎は、5歳と3歳の弟を伴って、父の実家(高知)へ横浜から出かけた。というのは、両親は離婚して、母に引き取られていたが、父は再婚して子供を引き取るときつく言ってきたので、夫の暴力や暴言に悩まされて、これを繰り返すことは耐えられないから、手放すことに心を鬼にして、決断した。

 昭和26年、土佐の駅に着くと、父も誰も迎えに来ていなかった。土地の児童相談所へ3人は引き取られた。
「米穀通帳はもっているか」と聞かれて、ないと答えると急に扱いが冷淡になった、と彼は思った。そこは鉄条網で囲われている場所だった。
 

 3人兄弟で高知県で父の実家で伯父に世話になっているはずだが、(この間、事情は伏されているが)補導され、児童相談所に収容され、のちに脱走。
 その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた岐阜市に落ち着く。この間、高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す。父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをする。そのうちに中学生の友人から(ツッパリの学ラン)制服の改造を頼まれ、それをきっかけにミシンを踏むようになり、のちにデザイナーを目指し、コシノ・ジュンコの弟子になる。
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 高知の親戚の家にも世話になっただろうが、いとこか、またいとこくらいの人がいうには、彼ら3人は、ちっともさびしそうではなかったという。寛斎は、今になっても、夕方一家団欒の様子が見える夕方になると、父もいなくなり、母は横浜だから、さびしくてさびしくて、耐えがたい気持ちになる。と、その話が蒸し返されると、彼、図体の大きい彼は、涙をふく。
 

 母としては耐えられないことだったが、夫の暴力でPTSDがあった状況で手放すことになったのか、その90歳の母親にはさすがNHKも踏み込めなかったが、離婚後、美貌のお母さん甲子さん、引く手はあまたあっただろうが、再婚しなければ再び子供たちと暮らせるときがくるだろうと、洋裁教室をしながら、独身をつづけた。
 息子が18歳になって東京の学校へ来たとき、11年ぶりで、横浜の母に再会した。

 11年一度も会っていない二人は、呆然として、しばらくは声も出なかったようだ。大きくなった寛斎を見て、母は滂沱の涙だったという。息子寛斎も、涙、涙であった。それは当然だろう。
 それから、たびたび横浜の母の家へ通い、母の家にあった雑誌「装苑」で、デザイナーの登竜門があることを知り、それを数年で受賞して・・・29歳でデザイナーとして店を持ち、一年で40数人を使う店に成長した。それをテレビで取材している記録が残っていた。

  山本寛斎は、陽気な激情型なデザイナーだから、内面も陽気な傾向かと思う人も多いが、「激情な分だけ暗さがある」と、自分の父親の離婚、結婚を繰り返したソレを指して言っていた。京成電鉄のスカイライナーのデザインを寛斎はやっている。Skyliner00 昔“芸術は爆発だ!”と叫んだアレアレ、あの人岡本太郎の立場に立っている。 

00018 祖父が製紙技術者で、新案特許などを持つ製紙工場の工場長をやって裕福に高知県で暮らしていた。ラジオ放送が始まると、ラッパのついたラジオを買って、近所の人たちにも聞かせていたし、猟が好きで、猟犬のポインターを飼っていたと、山本一家の住んでいた前の家の人が証言していた。
 父一男は、土佐で海南高校に入ったが、そこの高校は硬派な校風で、一男はおしゃれでナンパな彼には異色の存在だったと言われていた。
 

 日本が戦争に入って、紙の統制が始まり、製紙工場が閉鎖される憂き目にあって、横浜へ出てきたのだった。一男は、兵役の年齢であったが、胸に異常があり、毎日軍事工場へ通っていた。電車の行き帰りに見かけた女性がその後、寛斎の母となる津吹甲子である。津吹甲子は、海軍士官の父は、横浜の刑務官で、母は代用教員であった。母甲子は洋服作りが趣味で、自分の着るものは自分で作っていた。乙羽信子の着るものを見て、それをマネして作るのが無上保喜びだったという。同級生の証言で、甲子は勉強も良くできて、威張らないおとなしい人だったという。6歳下の妹の世話して、手先が器用で料理も上手だという。
0014_1 電車での行き帰り、寛斎の父一男は「お名前はなんとおっしゃるのですか」と、その当時にしては大胆な行動に出た。背丈もあり、おしゃれな男性で、洋服もそこいらの男性が着ないような洋服を着て熱心にデートに誘った。毎日のように駅で待ち受けては声をかけてきた。声かけても甲子が返事もしないからラブレターを渡すようになった。 

 昭和18年に結婚して、高知へ疎開した。一男は、洋服製造テーラーを目指して、弟子入りした。その当時、洋服を一男から作ってもらった人が証言するには、見た目は変わってことなないのに、着心地が特によかったという。洋服店の店主の家には、一男が中心になってコンクールに出した洋服が名古屋の通産省の局長賞をとったという。賞状と洋服の写真が額におさめられていた。つまり、彼の父は腕はいいが、父の父、つまり祖父が50代で死んでから、つっかい棒が外れたように、離婚結婚を繰り返し、シッカリした生活ができなくなったようだ。 00117

 ダンディで腕のいい洋裁師テーラーは、それまで歯牙にもかけなかった友人を訪ねては、「山本寛斎はオレの息子だ」と言って、彼は自分を認めてもらいたがった、と証言を同級生が言っている。000119 母甲子の90歳の誕生祝いで、子どもとマゴが集まったという。 

 製紙技師の祖父男寛、洋裁師テーラーの父一男、山本寛斎と三代続く、人をアッと驚かせるような心を持った系譜かもしれない。 

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