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2014年8月27日 (水)

ソ連が満州に侵攻した夏(半藤一利)①ソ連の考えていたこと

 01 24万人の犠牲者を出した満州から引き上げの悲劇は、日本人は知っているが、ソ連の側は一体何を考えていたか、それがなかなか伝わってこなかった。
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 「ソ連が満州に侵攻した夏」(半藤一利)はそこを詳しく記述している。本のスタートは、アメリカのニューメキシコ州(山岳地帯)で、昭和20年7月16日、原爆実験の成功する。それをソ連のスパイが察知して、冷徹な首相スターリンが知る。 4808 ます「満州の位置」は、こうなっているのだが、最近は日本人に親しみがないから、よく分からないのが現実だ。満州の地図(当時の日本人は、今のサッカー国際事情より詳しかった)02
 この流れでいけば、アメリカが原爆投下して、日本はポッダム宣言受諾して終戦となる。・・・つまり、日本が降伏してしまうと、ソ連(スターリン首相)は戦争に参加できなくなると焦っていた。

6zj スターリン首相には、“日ソ不可侵条約”は、すでに眼中になかった。しかし、日本は英米と戦争中だから、ソ連を仲介者にして和平を結ぼうと必死になっていた。ここで、かなりの温度差があった。それには多少気付いているが、仲介してもらえそうな国はなく、ソ連に頼ろうとしていた。

 八月六日、スターリンはポッダムからモスクワへ帰って来た。O6 そのわずか数時間後、B29エノラ・ゲイは広島に原子爆弾を投下した。広島市のほぼ中央、地上570メートルで円の中心になるように爆発させた。直系150メートルの巨大な火の玉ができた。地上500メートル以内の地域は3000~4000度の高熱で焼き尽くされた。393 その時、スターリンは、疲れもあって深い眠りについていた。

 スターリンがポッダム会談から帰った直後、現地総司令官から「攻撃時期を8月9日から10日にする。それより遅らせないほうがいい」と、電話(資料によると、電話の事実は記載ない)
があった。

 日本の参謀本部は、ソ連軍が満州に侵入してきた日、ソ連軍の軍用列車がソ満国境に十分展開していないと情報をつかんでいた。
 昭和20年8月、9月頃にソ連軍が侵攻してくるという声は高かった。しかし、ドイツとの戦いで多大な損害を受けている。その傷を癒さないうちに武力攻撃に踏み切る公算は低いと考えられた。
 もう一つ、“日ソ不可侵条約”の効力は、昭和21年4月まである。ソ連軍が満州へ9月に侵攻したら、二ヶ月で冬を迎えるから、冬季作戦は困難を伴う。ソレを考え合わせると、年を越して昭和21年の春になってから、侵攻を開始するのが妥当だ。
 これが軍部の見通しであった。楽観的であるが、日本軍の心理はそうであった。ソ連に出てきて欲しくないという「願望」が根拠のない確信になっていた。

 
ソ連首相には“日ソ不可侵条約”はもはや邪魔だった。日本には“日ソ不可侵条約”は金科玉条の宝物だ。これをソ連もきっと守ってくれる、という願望が一人歩きしてしまった。
 だから、ソ連軍に向って、攻撃しかける態勢には、なかなか入る決断ができず、国境線を破って侵攻し始めたソ連軍に刺激して怒らせるな、という意味で「静謐確保」という不可解な言葉が参謀本部を支配していた。

 開戦前夜のスターリンは、火事場泥棒のように、日本から(日露戦争で奪われた)領土の挽回を画策していた。
 現場の総司令官は、ドイツを降伏した直後から、二ヵ月後の8月22日ころに満州への侵攻を予定して、全部隊を東へシベリア鉄道をつかって大車輪で移動させていた。これでもスケジュールはきついとこぼしていた。それが、スターリンからの電話で、
 「その予定が、早まらないか」と急がせた。現場の司令官は、事情を説明して、これ以上はムリだというのだが、スターリンは電話は切ったが、まだ諦めていなかった。
 

LMolotov 日本の駐ソ大使佐藤尚武は、以前からアメリカ等連合国とのソ連の仲介で願っていた。繰り返し、ソ連外相モロトフに面会を申し込んで、ようやく、八月八日(昭和20年)の午後五時にモロトフを会うことができることになった。夜の八時が約束の時間だったが、急遽午後五時に早められて、それでも駐ソ佐藤大使は、ソ連側の機嫌を損ねないよう、時間厳守でクレムリンに到着した。 

 昭和20年、春先からソ連政府へ“対英米戦争の和平”を仲介してほしいと、辞を低くして頼み込んでいたから、その回答を得られるものだと信じていた。
 しかし、渡されたのは、「対日宣戦布告状」であった。
 ソ連外相モロトフは、改まった口調で、文書を広げて朗読し始めた。読み上げ終えると「対日宣戦布告状」を佐藤尚武駐ソ大使に渡した。

満州引上げはどう行われたか: nozawa22 
戦後満州引き揚げ 故郷への道
おとななれなかった弟たちに 米倉斉加年:

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