ペリリューの戦い:1944年(昭和19年)玉砕 戦闘経過Ⅱ
●●ペリリュー島の戦闘経過●● ペリリュー島は、第一次世界大戦後、ドイツから日本の委任統治領となり、1922年南洋庁がコロール島に設置されて内南洋の行政の中心となっていた。 パラオに米食の習慣を定着させ、なすやきゅうりなど野菜やサトウキビ、パイナップルなどの農業を持ち込み、マグロの缶詰やカツオ節などの工場を作って雇用を創出した。
道路を舗装し、島々を結ぶ橋をかけ、電気を通し、電話を引いた。 企業が進出し、水産業、リン鉱石採掘業と小規模なパイナップル農業が企業化され、パラオ人口は33,000人(1943年昭和18年)、その内の7割は日本本土、沖縄、朝鮮や台湾などから移住。
天皇ペリリュー島 戦後70周年慰霊の旅 その意図を考える
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米機動部隊は、1944年(昭和19年)2月17日にトラックを、同年3月30日にはパラオを空襲、その機能を喪失させた。連合艦隊主力はパラオへ向け移動して無事だったが、3月31日古賀峯一連合艦隊司令長官はミンダナオ島ダバオへ司令部を移そうとして、機密文書を全てアメリカ側に渡ってしまう「海軍乙事件」が起きてしまう。
これ以後の日本軍の戦略が全てモレることに気づかず、敗戦まで、戦争を続ける。日本はトップが情報管理がズサンと気付かない。
海軍乙事件 福留繁参謀長 マリアナ沖海戦:
(福留繁参謀長の「海軍乙事件」機密文書の情報モレによる作戦失敗と思われる。が、軍上層部は責任を取ろうとしなかった)
日本陸軍は絶対国防圏を守るため、中部太平洋方面防衛の第31軍の作戦地域にパラオを含め、関東軍最強と呼ばれてマリアナ諸島への配備を予定していた第14師団 (日本軍)(照兵団、宇都宮)を1944年4月急遽パラオへ派遣し、その麾下の水戸歩兵第2連隊、及び高崎歩兵第15連隊の1個大隊(第3大隊)が中核となって、ペリリュー島の守備に当たった。
「あ号」作戦を5月20日に発令、
あ号作戦(=マリアナ沖海戦)★(ペリリュー島と直接関係ないが)★:マリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日本海軍とアメリカ海軍、空母機動部隊迎撃作戦。 ★★
日本海軍は新設の第一機動艦隊(空母9隻、搭載機数約440機)と基地航空隊の第一航空艦隊(約650機)が出動したが、空母3隻+艦載機による戦闘能力を喪失、多くの潜水艦を失う壊滅的敗北。艦載機がほとんど撃墜されたのは、VT信管の改革がアメリカのミサイルに近い性能になっていたことに日本軍は戦後まで気付かなかった。
マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領、西部太平洋の制海権と制空権は米国の手に陥ちた。決戦の必勝を期し、ペリリュー島飛行場にも第61航空戦隊、零式艦上戦闘機(第263海軍航空隊と第343海軍航空隊)、月光(第321海軍航空隊)、彗星(第121海軍航空隊と第523海軍航空隊)、一式陸上攻撃機(第761海軍航空隊)が出動した。
5月27日、西部ニューギニア沖合のビアク島にアメリカ軍が上陸し、日本軍は渾作戦を発動し海軍第一航空艦隊の大部分をビアク島周辺へ移動、合わせて大和、武蔵の戦艦部隊を送ってアメリカ上陸支援艦隊を撃退しようとした。ところが戦いが続いているにも拘らずアメリカ軍は、二方面作戦として、6月11日マリアナへ来襲、6月15日サイパン島に上陸してきた。
日本軍(ペリリュー島)
陸軍 編成(師団長・井上貞衛 中将/参謀長・多田督知 大佐)
総員 約10,500名
第14師団歩兵第2連隊(連隊長:中川州男 大佐) 第14師団派遣幕僚:村井權治郎少将
アメリカ軍(ペリリュー島)
総員 48,740名 第1海兵師団 24,234名
第81歩兵師団(山猫部隊 Wildcat ) 19,741名
付属海軍部隊 4,765名
アメリカ側装備 小銃、自動小銃41,346挺
機関銃1,434挺
ピストル3,399挺
迫撃砲、曲射砲729門
戦車117両
バズーカ砲180基
日本軍の兵力は実質的にアメリカ軍の6分の1以下だった。また戦力差については、航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃等を考慮するとアメリカ側が数百倍の火力で日本軍を圧倒。
米軍は、日本側の暗号電報や「海軍乙事件」機密文書から入手した情報、偵察機からの空撮、潜水艦で沖合からの海岸撮影などで得た情報を総合的に分析した。
結果、日本軍守備隊兵力を10,320~10,720名、内戦闘員を陸軍5,300名、海軍800~1,000名と、ほとんど正確に推定していた。
この結果、自軍の参加兵力との差に、第1海兵師団長のウィリアム・リュパータス海兵少将は上陸作戦にあたり海兵隊兵士の前で訓示した際
「こんな小さい島(南北9km、東西3km)の戦闘は2、3日で片付く。諸君に頼みがある、私への土産に日本軍守備隊指揮官のサムライ・サーベル(日本刀)を持ち帰ってもらいたい。」と豪語していた。
上陸当日の9月15日午前5時半から島の南西部の、日本名で西浜と呼ばれていた海岸一帯への艦砲射撃が始まり、8時の上陸開始の少し前に艦載機50機の爆撃へ切り替わり、それから日本側の砲撃を妨害するため発煙弾が打ち込まれて、上陸支援艇からの近距離援護射撃の下、第1,第5,第7海兵連隊の3個連隊12,000名を主力とする海兵隊が、第1波4,500名を皮切りに第6波までに分かれて上陸する。
日本軍の攻撃が正確で、上陸用ボートが相当数被害を受けて、最強の第一海兵部隊が損傷率が60%を越えた。米軍の10日間に渡る空襲や戦艦群からの艦砲射撃でも、日本軍守備隊の洞窟陣地やコンクリート製トーチカへ有効に損害を与えることはできておらず、日本軍の防備は固いままであった。
日本軍 戦死者 10,695名 捕虜 202名
最後まで戦って生き残った者34名
アメリカ軍 戦死者 1,794名 戦傷者 8,010名
※この他に精神に異常をきたした者が数千名いた。
ある島の老人が、日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言したが「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂され、見せ掛けの友情だったのかと失意の中、島を離れる船に乗り込んだ。
船が島を離れた瞬間、その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。老人はその時、隊長が激昂したのは自分達を救う為だったと悟ったという。
日本軍には、補給が一切なかったのに対し、米軍海兵隊から交代した米陸軍第81歩兵師団は圧倒的な物量を擁し、攻略も急ぐ必要がなくなっていたため、腰を落ち着けて戦うことができ、日本軍の抵抗は次第に衰え始めた。
米軍は、頑強な洞窟作戦に対して、火炎放射器と手榴弾による攻撃に加え、ブルドーザーを使い入口を塞いだりし、日本軍の洞窟陣地は次々と陥落され、更に食料や水もなくなり生き残った兵は極めて苦しい戦いを強いられた。
11月24日にはついに司令部陣地の兵力弾薬もほとんど底を突き、司令部は玉砕を決定、地区隊長中川州男大佐(歩兵第2連隊長)は拳銃で自決。
村井権治郎少将(第14師団派遣参謀)、飯田義栄中佐(歩兵第15連隊第2大隊長)が割腹自決した後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が本土に送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵力による「万歳突撃」が行われた。
こうして日本軍の組織的抵抗は終わり、11月27日、ついに米軍はペリリュー島の占領を果たすこととなる。上陸開始から2ヵ月半が経過していた。この後も、ペリリュー島の米軍と日本軍は、マッカーサーが侵攻したフィリピンの戦いには関係なく、消耗戦を続けた。 上田喜代一さんらが「降伏勧告を勧めるまで」30数名の日本兵は、持久戦を続けた。
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