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2014年7月15日 (火)

武谷三男、原爆研究は日本のくずれぬへいわをかえせ、だ!

「思想の科学」を通して「戦後を総括」しようとした仲間に、武谷三男34歳(1911年10月2日 - 没00年4月22日)がいる。彼が何者か、彼は湯川秀樹の中間子共同研究者だったのだ。当時の日本知性のトップ。000009・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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  原爆というモノを知る第一人者であったわけだ。彼の信条が、現在の認識と一致するわけではないが、原爆の被害を知りたいと、ようやく広島に入ることができたのは、GHQからの禁止が解かれたのは、被爆から数年経ってからだ。 

知り合いの町田茂(広島大講師)の研究室をフラっと訪ねてきた。「やぁ、お久しぶり」という調子で現れた。
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町田茂:1926(大正15年2月22日生まれ)- 昭和後期-平成時代の理論物理学者。立大教授をへて,昭和41年から平成元年まで京大教授。核力の中間子論,量子力学における観測理論などの研究。群馬県出身。東大卒。著作に「素粒子」「量子論の新段階」など。

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 町田茂が、武谷三男を原爆ドーム周辺を案内した。そこでは、吉川さんと会い、峠さんの『にんげんをかえせ』被爆詩集を知った。
 武谷さんは、実感として感じる面が会ったと思う。その後、彼の著作「日本の原子力研究の方向」、「生き残った12万人一九五三年の広島」には、大きく影響を与えたと思う。
 

●吉川清(1986年74歳で亡くなった)
 000019 町田と武谷さんがドームの近くへ行くと、吉川清さんがみやげ物店の前で、「原爆一号」という看板で客を集めていた。興が乗ると背中のケロイドを観光客に見せていた。
 

 広島電鉄に勤務していた吉川さんは、白島の自宅前で被爆した。
 背中に閃光を浴び、避難所での悲惨な生活の後、翌春ようやく日赤病院に入院できた。その時から吉川さんは、世間の好奇の目にさらされながら生きることを余儀なくされた。
Kikka000000 1947年(昭和22年)4月、米軍とアメリカのマスコミが取材に日赤を訪れた。その時、重藤文夫副院長(原爆病院長/ヒロシマノート大江健三郎に影響)が、吉川さんに来訪者たちのインタビューに答えてくれないかとの依頼した。
 吉川さんは、加害者であるアメリカ国民に原爆の残酷さを伝えることができればと、彼らの前に出た。
 シャッターが一斉にたかれた。
 院長は彼に上半身を脱ぐように指示した。
 背中一面の赤黒く盛り上がったケロイドは彼らの前にさらされた。屈辱感と怒りでそのケロイドを加害者の前に晒し、吉川さんは、この体を被爆の実証として、アメリカ国民に訴えたい、と記者たちに伝えた。
 二ケ月後、ATOMIC BOMB VICTIM NO1 KIKKAWAとして、ライフ、タイムが吉川さんのケロイド写真を掲載した。Kikkawa それから、吉川さんの人生は一変した。特別なヒバクシャになったのだ。「原爆を売り物にしている」と同じ被爆者たちからも非難され、病院からも強制退院させれ、吉川さんは住むところもなく、原爆ドームの側に住居兼みやげ物やのバラックを建てた。
 吉川さんは自分の店に『原爆1号の店』と名づけ平和都市法による市の再建により、置き去りにされていく被爆者のため、始めての被爆者組織を作り、自己の体をさらし続け、被爆の実態を伝えていった。
「平和屋」と中傷されたが、イデオロギーは介在しない、彼は生きている原爆資料館だった。
 原爆ドーム前の店を強制退去されたあと、バー“原始林”を開き、ヒロシマのサロンとした。死ぬまで、ヒロシマと関わり続けた吉川さんだった。
 

●峠 三吉(とうげ さんきち。1917年(大正6年)2月19日 - 1953年(昭和28年)3月10日):詩人。
000020 父の勤務地大阪府豊中市に生まれ、生後まもなく父の故郷広島市に転居。三吉は幼い頃から気管支の病気に苦しめられ、しばしば喀血。広島商業学校在学時から詩作にいそしんだ。
 1945年(昭和20年)8月6日、爆心地より3kmの広島市南区翠町で被爆。
 敗戦後は、広島県庁勤務や雑誌『ひろしま』編集のかたわら、1951年(昭和26年)には「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を自費出版、原爆被害を告発しその体験を広めた。

1952年(昭和27年)3月、静岡赤十字病院に入院。その後は再び精力的に活動に奔走する日々を送る。
1953年(昭和28年)2月、持病(気管支拡張症)の本格的治療を決意、国立広島療養所に入院。肺葉切除手術中に病状が悪化、14時間の苦闘のすえ死没した。36歳没 。
 峠の詩は、死後50年が経過し、著作権の有効期限が失効。そのため平和教材に引用され、ネット上で閲覧する事ができる。

000021    峠三吉 原爆詩集『序』
 ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ
 わたしをかえせ わたしにつながる
 にんげんをかえせ
 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ

 峠の代表作、原爆をテーマにした詩の中で名作の1。正式な題名は『序』であるが、『にんげんをかえせ』という題で広く認知されている。
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武谷 三男(たけたにみつお、1911年10月2日 - 2000年4月22日):  000013_2
 日本の理論物理学者。三段階論、技術論で知られる。
 福岡県生まれ。京都帝国大学理学部を卒業後、湯川秀樹、坂田昌一の共同研究者として、原子核・素粒子論の研究を進めた。その一方、中井正一、久野収らと共に、反ファシズムを標榜する雑誌『世界文化』『土曜日』に参加するなどしたため、二度にわたって検挙された。戦時下には理化学研究所を中心とする原子爆弾の開発(ニ号研究)にも関わっていた。
 1943年にロシア人医師ピニロピ(バルチック艦隊艦長の孫。後に武谷病院を開設)と結婚。ピニロピとの間の息子武谷光はジャズピアニスト、作曲家を経て、現在は医事経済評論家。

 終戦後は、鶴見俊輔らと『思想の科学』を創刊。思想の科学研究会メンバーとして、科学史、技術論などの分野で論文を多く発表した。0001原子力問題でも積極的に発言し、アメリカの水爆実験を批判。その一方で、社会主義国による核保有を肯定。
 広島や長崎への原爆投下は「反ファッショ」の「人道的行為」としてこれを礼賛。安全性に関する理論は、公害反対運動などにも大きな影響を与えた。1953年から1969年、立教大学教授。

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