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2014年7月25日 (金)

丸山真男の戦後平和主義が、私的利害優先層に敗れる時

 戦争の体験の悲惨さ、苦しさから、昭和21年22年には、国家主義的な政治の反省や、民主主義への渇望から、平和教育が盛んに行われた。000007 その中心にいたのが、丸山 眞男である。そのとき、彼の主張は光輝いて、大衆はソレを渇望していた。
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NHK教育TVで、戦後史「日本人は何を目指してきたか」(丸山真男)古い編集の番組か、それを見た。

 丸山 眞男は、1945年(昭和20年)3月に再召集、広島市宇品の陸軍船舶司令部へ(二等兵)配属。敵国の短波放送傍受し、国際情勢の収集に当たった。知りえた情報を備忘録に記載した。
000045 七月終りに参加国のポッダム宣言伝えるアメリカの国営放送を聞き、その内容を書き取っている。
日本国民はまったく軍閥をまったく除いたとき、日本は自治政府を許し、言論の自由を認める。」 
 ポッダム宣言の全文から「基本的人権の尊重は確立されるべし」という言葉を見た瞬間から、体中がジーンと熱くなった。

 8月6日、司令部から5km地点に原子爆弾が投下、被爆。9月に復員。その軍隊体験から、「自立した個人」を目指す丸山思想を生んだ。 

  マッカーサーは、日本の非軍事化と民主化を推し進めた。戦争指導者を次々と逮捕し、昭和21年5月極東国際軍事裁判(東京裁判)が始まった。

 1945年(昭和20年)8月15戦後は大学に戻り、1946年(昭和21年)『世界』5月号に「超国家主義の論理と心理」を発表。
000054日本のファシズムを分析したこの論文は、すぐに新聞の批評が載り、大きな反響を呼んだ。
 マッマッカーサーの言うことは、丸山真男は、すでに明治初頭、福沢諭吉の言う言葉「一身独立して、一国独立す」であると、新時代の精神を見ていた。
000082 デモクラシーの根幹は、人間一人一人が独立した人間になることだという。他人のつくった型に入り込むことではなく、自分で自分の思考の型を作ること。間違っていると思うことには「NO]ということだ。
 以後、この考え方を、全国各地で講演、講義をし、戦後民主主義思想の展開に指導的役割を果たす。
000074 この頃、三島大社境内の“庶民大学”など全国を巡り講義を行う。
戦後すぐから、教師、一般大衆に向かって民主主義、自由主義について、定着するためには何が必要か、具体的に考え、実践されてた。
000075コレだけ質の高いものが分かりやすく説明し続けた。

 それが、五年後、昭和25年(1950年)朝鮮戦争が始まり、アメリカは、日本を反共防波堤と位置づけて、警察予備隊が誕生した。
000092 再軍備が始まり、日本の進路が大きく変わった。「僕らの実感として、なんと短い春だったという実感であった」
 戦争が終わったのが昭和20年(1945年)の秋、軍国主義から解放されてから、五年経たないうちに、社会的な雰囲気がまったく反対になったのですから。
 

 昭和30年代になると、論文を「日本の思想」という新書にまとめた。000094民主主義は完成したものを守るのではなく、日々つくっていくもの。民主化のプロセスによって初めて生きるものとなると、説き続けた。

丸山 眞男(1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日):
日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。
  旧松代藩(長野県)士族の家系。
1921年(大正10年)東京四谷に転居。大正デモクラシーの潮流のなかで父の友人・長谷川如是閑らの影響受けた。四谷第一小学校、府立一中(現・都立日比谷高校)、1934年(昭和9年)一高を卒業後、東京帝国大学法学部入学。1937年(昭和12年)卒業。
 在学中(1936年)懸賞論文「政治学に於ける国家の概念」が認められて南原繁教授の下で助手となる


1944年(昭和19年)3月、小山ゆか里と結婚。
0000437月、「国民主義理論の形成」を『国家学会雑誌』に発表。
1944年(昭和19年)大学助教授30歳の時に、陸軍二等兵として教育召集。大卒者は志願すれば将校になれるが、二等兵のまま朝鮮平壌へ送られた。その二ヶ月後、栄養失調で脚気になり除隊。
 再び、4ヶ月後、前述のように、1945年(昭和20年)3月に再召集、広島市宇品の陸軍船舶司令部へ(二等兵で)配属された。

 昭和35年新安保条約改定で、岸信介内閣がアメリカと日米間に変化が起きたとき、丸山真男にも変化が生じた。東大法学部の助手をしていた三谷さんは見逃さなかった。

 ふと丸山先生が共同研究室に入ってきて、
「三谷君、今日デモ行進があるのだけど、君一緒に行きませんか」と言われ、「僕もデモ行進なんて行ったことないのだけど」
先生の大衆行動に対する見方を徐々に変わったじゃないかと思った。

 新安保条約を強行採決したところから、丸山真男は発言を始めた。5月24日、丸山は、2500人の聴衆を前にして講演を行った。
「日本の議会制民主主義が60年安保問題を契機に危機に直面したと、痛切に危機感を感じた。
 強行採決を批判し、民主主義を守れという、多くの市民の共感を得た。運動は市民団体、婦人団体など、様々な層に一挙に拡大した。丸山は「市民派に旗手」になった。

 一方、全学連の学生たちは、安保改定阻止を目指し、直接行動に訴えていく。6月14日、国会突入で警官隊との衝突で、女子学生が死亡した。

 当時の全学連リーダーだった森田実さんは、000119「丸山さんの主張は、全学連の目的から人々の目をそらすもだった。」と、批判する。「我々全学連は、この条約を阻止しなければ日本の独立と平和は得られないと言うのが、我々の主張だった。」
 日本は、民主主義の国なのか、民主主義を守れという論が起こったのは事実。丸山真男のそれが、理論をそらせた。丸山真男の「民主主義の論理」は、日米安保条約を“成立させるか、阻止するか”に於いて、意味がなくなった。

 60年安保運動家は、「条約を阻止」と「民主政治の
危機感」が対立関係になった点をはっきり説明しなかったし、大衆は理解しなかったから、国民運動は衰退の原因になった。

森田 実(1932年〈昭和7年〉10月23日 - ):日本の政治評論家。株式会社森田総合研究所代表取締役。
静岡県伊東市出身。東京大学工学部鉱山学科卒業。
 在学中に日本共産党に入党し、香山健一、島成郎、生田浩二、青木昌彦らとともに全日本学生自治会総連合の指導部。破壊活動防止法反対闘争(1952年)、原水爆禁止運動(1955年)、砂川闘争(1957年)、安保闘争(1958年?1960年)などに携わる。日本共産党幹部と殴り合い、共産党を除名。1958年、学生党員らと共産主義者同盟(ブント)を結成。日本評論社出版部長、『経済セミナー』編集長を経て、1973年からフリーの政治評論家として活動。東日本国際大学客員教授

丸山さんの安保闘争において、彼の大衆性は、ある意味で、敗北の政治学だ。(森田実)000122 岸内閣は退陣し、丸山真男は、反対運動で示された“自発的エネルギー”を持った民衆のその後も期待していた。能動的人民というものを非常に関心を持っようになった。志しのある人民(アクテブディーモス)より、方向性をもった能動的人民、それが民主主義の核なので、ソレをどう育てるか。それに関心がだんだん強くなったのでなないか。

 丸山さんは、この私的利害を優先する意識を政治的無関心はとして、否定的評価をあたえているが、000127 実は、まったく逆であり、これが戦後「民主」の基底をなしているのである。

 これが、戦後の基底にある・・・という指摘は、実に見事に当たっているのではないか。
 昭和21年、22年は、丸山真男の目指す戦後平和主義、民主主義はおおいに歓迎された。“家柄、名誉、地位、カネを求める教育で、現代は間違いないか?”と教えたい(日教組の)先生には、ぴったりきたが、岸内閣辞任後の池田内閣の所得倍増のキャッチフレーズとともに、丸山真男は、使用済み思想として、捨て去られた。人間の欲と共に、残ってくるのが現実生活である。
 丸山真男が否定した、私的利害を優先する意識層=政治的無関心層は増殖を重ね、戦後平和主義、民主主義を尊重する=政治的有関心層をはるかに越えて、多くなっている。その現状を吉本 隆明は指摘しているのだ。それをが
山真男が捨て去られた昭和35年代以降の現状である。

吉本 隆明(1924年(大正13年)11月25日 - 2012年(平成24年)3月16日):日本の思想家、詩人、評論家、東京工業大学世界文明センター特任教授。 漫画家ハルノ宵子は長女。作家よしもとばななは次女。
 兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。1937年(12歳)東京府立化学工業学校入学。1942年(17歳)米沢高等工業学校(現 山形大学工学部)入学。1943年から宮沢賢治、高村光太郎、小林秀雄、横光利一、保田与重郎 、仏典等の影響下に本格的な詩作をはじめる。なお吉本は、第二次世界大戦=「総力戦」のもと、もっとも死傷者が多く、幼少期は皇国教育が激化し、教育をまともにうける機会が少ない「戦中派」の世代。
1945年東京工業大学に進学。在学中に数学者遠山啓と出会っている。遠山啓の「量子論の数学的基礎」を聴講し、衝撃を受けたという。1947年9月に東京工業大学電気化学科卒業

 1960年代後半になると逆に、丸山真男は“欺瞞に満ちた戦後民主主義の象徴”として全共闘の学生などから激しく糾弾された。
1970年、心労と病気が重なって肝機能障害により入院。
1971年(昭和46年)東大を早期退職した。1974年(昭和49年)に東京大学名誉教授。1978年(昭和53年)には日本学士院会員となる。

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