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2014年7月14日 (月)

戦後を総括する「思想の科学」が日本人に何を残したか。

0095 1946年(昭和21年)、戦争でアメリカに負けて、何を教訓で学んだか、それを汲み取ろうと、鶴見俊輔、丸山眞男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧、鶴見和子の7人の同人となって『思想の科学』を創刊した。
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0012 鶴見俊輔23歳(1922年(大正11年)6月25日 現存)、鶴見俊輔が言うには、戦時中も戦争に反対の考えを転向しないで、自分の思想を守った人々は、戦時中は友達もいない状況にあったので、声をかければ、戦争の総括的な行動には賛成してくれた。 

 昭和21年頃の雰囲気は、「新生活」「新思想」「民主主義」「男女同権」であった。その頃は、旧世代の人々の出る幕がない。終戦時、新しい思想に乗れる20代前半の青年の時代だった。000115丸山眞男31歳(1914年3月22日 - 没96年8月15日)、
都留重人33歳(1912年3月6日 - 没06年2月5日)、
武谷三男34歳(1911年10月2日 - 没00年4月22日)、
武田清子28歳(1917年6月20日 - 現存)、
渡辺  慧35歳(1910年5月26日 - 没93年10月15日)、
鶴見和子27歳(1918年6月10日 - 没06年7月31日)、
000026 アメリカ留学中に鶴見和子が交流があった人に声をかけ、『思想科学』の発刊を思い立ったのに、鶴見俊輔23歳が乗った形だ。
 
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 今生存して話しが聞けるのは、武田清子28歳が96歳、鶴見俊輔23歳が91歳で、鶴見俊輔は病気療養中で、数年前の録画で、辛うじて当時の話が聞ける状態だ。武田清子は、鶴見俊輔より年上であるが、バギーを杖代わりに歩く姿で、語るほうははしっかりしていた。しかしあと数年で、もうムリだ。
 戦争したことで、日本は何を得たのか。民衆はこの時代の変化で何か変わったのか・・・その底流を探る雑誌になっていた。

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 アメリカ留学者が中心になっているので、メンバー的には一流の人材が参加している。その後の活動も、雑誌が全国的に流通していて、影響が大きい。この堅い本が多くに人に支持されていたのが戦後の特徴だ。
 昭和21年とか、終戦直後、日本人は“平和について”強烈にサッカーWカップ以上に、熱狂的だった。

 岐阜県の片隅中津川でも、20代を中心に
文化新進会を結成して、アメリカ型文化を町に広げようとした活動があった。
 図書館をつくり、各自家庭にある本を集めて、小学生、中学生、高校生に貸し出しの活動。新進会メンバーによる演劇活動で呼びかけていた。クリスマスには、旧役場の二階でクリスマスパーテーでクリスマスツリーを見たのも初めてだった。夏休みには、小学生を集めて、夏季学級をやってくれた。その活動は数年で終わってしまったが、そのころ、中津川の文化は彼らに主導権を握られた印象だ。
 
文化新進会 戦後中津川市に新風: nozawa22
 調査がないから、はっきりしたしたことはいえないが、そういう集まりや企画は、全国の津々浦々で行われたようだ。
 東京医科大が長野県へ戦時中疎開していたので、終戦と同時くらいに、疎開地で「演劇活動」をして、町中の人の人気を博したという話は、東京医科大出身の作家山田風太郎が書いている。
山田風太郎の「戦中不戦日記」 

「思想の科学」の活動目的は、
「第一に太平洋戦争が起こった原因よく考え、そこから今後も教えを受け取る」ことである。
 そこで鶴見は、最初の論文として、
「大衆は何故、太平洋戦争へと突き進んでいったのか?」
その理由の一つとして、「言葉による扇動である」と考えた。
 以下論文より
●言葉による扇動=社会や集団のなかで一部の少数の者が大多数のものに対して巧みな演説や論説などを駆使することによって群集心理を操作し、大多数の者を自分たちにとって都合のよい状態に置き換えるという行為だ。
 それは、言葉のお守り的使用法
『軍隊、学校、団体に於ける訓示や挨拶の中には必ずこれらの言葉が入っている。』つまり『鬼畜米英』 『八紘一宇』 『国体』など、
「お守り言葉」にあたる。
0006 政府はこの言葉を巧みに使って政策を正当化し、戦争の実相を伝えなかった、と論文にはある。
 更に、『大量のキャッチフレーズが国民に向かって繰り出され、こうして戦争に対する「熱狂的献身」と米英に対する「熱狂的憎悪」とが醸し出され、異常な行動形態に国民を導いた。』
 現代でいえば、「積極的平和主義」「日本を守る抑止力」など、これらの言葉が、日本人の腹の底に落ちた場合は、非常に危険だ。

 ひとびとの哲学
 この「お守り言葉」から解放するには、『人々が毎日使い慣れた言葉で語る』ことが大切なのではないか、そう考えた鶴見は、創刊号から間もなくして、『ひとびとの哲学』と題し、『普通の人々』の哲学を問う連載を始める。

 共同研究「転向」
 次に鶴見らが取り組んだのは、戦前に自由や平和を唱えていた知識人たちは一体何故戦争に反対しなかったのか、という問題だった。
 10数名の学生たちと8年がかりで調べ、その成果をまとめたのが『共同研究「転向」』である。「転向」とは一般に共産主義者らが権力の弾圧を受け、その思想を放棄すること、とされていた。
 0029 しかし、鶴見は転向を『悪』としてみるのではなく、『権力によって強制されたために起こる思想の変化。』と定義した。
 共同研究では、共産主義者だけでなく、様々な思想を抱くおよそ50人の人物を取り上げ、何故「転向」したのかを調べた。 鶴見は共同研究「転向」の意義を「転向の事実を明らかに認め、その道筋をも明らかに認めるとき、転向体験はわれわれにとっての生きた遺産となる。」

 現代における一番新しい転向は、公明党の「集団的自衛権行使」の容認だ。公明党が政権から離脱しないために理論を捻じ曲げて、彼ら公明党が党是としていた「平和主義」を放棄したことになる。山口委員長の主張は、完全に破綻している。0028 これは、平和を尊重していた社会党が「自衛隊合憲」で、自民党と合意してから党勢が落ちてしまったのは、政権に加わることで、自民党に押し切られてことによる矛盾であった。
 公明党は、政権から離れなかったことによる矛盾が広がる場で、平和と戦争に股裂きに苦しむことになる。多分、これは生きるために「転向」した戦前の平和思想家の苦しみを、公明党は味わうことになるだろう。
 理屈をつけたつもりでも、客観的にみれば、公明党は「転向」して、踏み絵を踏んだ呵責に苦しむだろう。もし何でもない顔を通せるのだったら、彼らのいう「平和主義」は何だろう?

 社会党の場合、政権離脱して、ようやく彼らの論理に戻ったときは、勢力減少で建て直しができないほど党勢が弱くなっていた。政権を離脱しない公明党では、矛盾を抱えたまま、突っ走ると「政権与党」派と「平和党公明」という二派になる。

 昭和30年代になって、60年安保改定期に、安倍総理の祖父、岸信介が総理になって、5月19日の強行採決に対して日本全国民を怒りのルツボに投じたとき、「思想の科学」を母胎にした『声なき声の会』から運動が発展した。

 またこの頃、会員の中では「声なき声の会」のデモに参加した者もいて、プラカードを持って歩いていると、一人、また一人と集まり、最終的には300人にまでのぼった、という経緯を書いた投稿もあった。因みに「声なき声の会」はその後のベトナム戦争に反対する「ベトナムに平和を!市民連合(通称:ベ平連)」に変わり、反戦運動を繰り広げることになる。ここでも研究会が関与し、投稿もしている。

 終戦時の「平和運動」のエネルギーがここまでつながってきたが、 1961年2月1日、「風流夢譚」に激高した右翼少年が中央公論社長・嶋中鵬二邸を訪問し、夫人ならびに家政婦を殺傷した「嶋中事件」事件の影響で、「思想の科学」の発行前に公安調査官や右翼三浦義一に読ませていたことが発覚、「思想の科学」研究会主要メンバーが中央公論社への執筆を拒否することとなった。
 それ以後、「思想の科学」は、中央公論社から離れ、1962年3月に有限会社思想の科学社を創立した。初代の代表取締役に哲学者の久野収が就任した。発行基盤が脆弱になり、また発行部数も減り、1996年5月号(通算536号)で休刊した。

「平和運動」の継続の難しさは、この「思想の科学」の盛衰によっても、よくわかる。また、日本は「普通の国」という戦争をする国になるのか、と思う。

 イランからきて、日本人女性と結婚した彼が「日本は軍隊もったほうがいいですよ」と言っていたのが印象的であった。彼は、イラン・イラク戦争で徴兵されて戦った人だった。国の弱さを見つけて付け込むのが国家間のありようだというのだ。
 コレを「日本はそのように考えないのだ」と、言い切るだけの『平和』の論理が語れるかだね。声高に「愛国!」とか、「(敵に)尻を見せるのか?」と、言われて、それに反論できない・・・弱さが見せられなくなるのが、強硬派の付け目だ。

 前の太平洋戦争では、日本軍は300万人が戦死した。その数は、東日本大震災の死者行方不明者合計2万人の150倍だよ。未だに東日本震災の悲しみが癒えないというのに、その150回、東日本大震災が日本に襲ってきた・・・と同じだということだよ。
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