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2014年6月27日 (金)

信愛学舎隣室の友 坂井 重憲兄の訃報

7 信愛学舎の友の訃報が、松田秀次郎さん→山口康峯さん経由でもたらされた。浜好洋さん(元フィリピン松下社長、63商) に続いて、坂井重憲さん(山本産業勤務、63法)。冗談が通じる人が減って、娑婆がさびしくなる。
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Sakai_1_2 皆様   早稲田大学YMCA・信愛学舎OB 坂井重憲様におかれましては、6月24日、召天されました。
 本日、突然のお知らせが坂井様のご家族(奥様 愛子様、ご長女 小貫美樹様)から松田秀次郎先輩に齎された次第ですが、誠に悲しみにたえません。
 前夜祈祷会、葬儀は下記により執り行われます。故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。
       記
1 前夜祈祷会: 6月26日19時より
2 葬     儀: 6月27日12時より
3 場     所: 泉北メモリアルホール 花水木
  住所:堺市南区鴨谷台2丁目3-1
      
4 喪     主: ご長男 坂井逸作様

052坂井兄は、名門校岐阜高出身で、同じ岐阜でも田舎高出身とは違い、信愛学舎の中で光っていた。学生時代からアルバイトといえば、あの当時我々が英会話を習いに行っていた頃、涼しい顔して・・・「英語の録音起こし」をやっていて高給取りだった。

 坂井君とS君の計画で、女子学生との合コンに誘われた。S君のクルマで相模湖へ行った。行ってみると3対3で、彼ら二人はギターをかき鳴らし場を盛り上げ、モテムードだった。私の役目は、ライバルにはならない無害の人数合わせだった。 あの日帰ってくると、風邪を引いてエライ高熱で苦しんだ。同室の浜好洋さんに電気腹巻を借りて・・・。

 その後、私が中央線で帰省すると知ると、坂井君「甲府駅で●●さんに電話してほしい」と、相模湖でできた彼女との連絡を頼まれた。携帯電話のない時代は、彼女との連絡は大変だった。
 実家が甲府市内の歯科院へ、駅から停車時間が何分あったか、急いで電話して・・・、信愛学舎へ戻ってから彼に顛末を話した。その恋はどこでどうなったか、立ち消えたようだ。

  その後、寮から新宿へ夜遊びに抜け出して、あのころはやっていたのは「歌声喫茶」灯で大合唱を山小屋風な、今じゃ消防署が許さないような木造3階か4階の建物だった。あの頃歌詞の前、指揮リーダーの中に上条恒彦ふうな男がいたのは覚えている。さとう宗幸も歌声リーダーだったというが、記憶がない。
 帰り、新宿から早稲田まで暗い道を歩いて帰るのだが、途中戸山ハイツの近くで、屋台のおでん屋が止まっていた。
 坂井君「おごるから寄って行こう」と、彼は気前がよかった。「食べろ、食べろ」と勧めてくれるから、一番高いバクダン=たまご30円、恐る恐る「いいか?」と、彼に聞いて注文した記憶が残っている。それこそ、貧乏学生にはバクダンだった。

 彼の家は、岐阜の歓楽街のすぐ近くで、高校生のときは、ちょくちょく映画に通い、学校へはそういう店の前を通っていたと説明した。一泊させてもらったことがある。お母さんは、末っ子の彼が可愛くて、目に入れても痛くないという雰囲気があった。
 翌日、あの日は8月で暑かったので、じゃあ「泳ぎに行こう」と、長良川へ行って、水にもぐったりして楽しんだ。長良川は水が結構きれいであった。その日は、カツどんをご馳走になったな。お父さんは、古典芸能の三味線の演奏家で、いつもどっかで公演しているので、家は不在勝ちのようだった。

Sinai052 私の隣り部屋が坂井君の部屋だったが、坂井くんの部屋にM君が来ていて、しゃべっていた。
 方言の話をしていたのだろう。壁が薄く、トントンと叩いて「岐阜の方言をしゃべって」と、「イヤだ」、という意味で「おいた」と即答した。その「おいた」というのは・・・と、M君に坂井君の説明が続いた。岐阜の方言をサカナに隣室では会話を続けていた。

中津川市方言(岐阜県東美濃): nozawa22
(岐阜県)東濃地方の方言辞典

  謹厳なクリスチャンが多い中で、ユーモアがあり、冗談が多いクリスチャンだった。それにノンクリスチャンに聖書を読めとか、洗礼をナゼ受けないとか、お仕着せがましいコトを勧めない人だった。それでいて、自分には厳しかったが、それを悟らせない美学をもっていた。

 頭脳明晰で、同時に4つも5つも同時進行して処理できる能力を持っていた。それをいうと、「今は(教会内で)一つ抱えていることで頭が一杯」、ボソっとつぶやいたのが印象的だった。

 彼の言った言葉からすると、彼の死はおかしい。
 私を見て、開口一番、
「太っている。ひじきを食え、粗食がいちばん。ジョギングをやっているから(オレは)スリムなんだ」と、自信もって語っていたのは、なんだろう?

 N君のマンション(横浜)でOB会が開催されたとき、日帰りで参加したとき会ったのが坂井君との最後になった。

 KDDIの電報サービス「でんぽっぽ」を打って、彼とのつながりがもう終わりなのかと思うと、ああさびしい。浜君に続いて・・・さようならとは、人生とはこんなものだろうか。

早稲田信愛学舎 喧々がくがく  
青山学院短大シオン寮と合コン 
信愛学舎ホームカミングDay 
早稲田信愛学舎OB会 思い出すこと

 ご長男逸作様から、病気の進行と亡くなり方についてご連絡を頂いた。改めて父と向き合うことにもなり、とコメントがあった。
2010.11.18(木) 夕方に脳梗塞で倒れる
 パソコン(メール?)をしている最中に倒れ、「まいった!」を連呼していたとのこと。母が近くにいたため、直ぐに救急車で“大阪南脳神経外科”へ搬送・入院。

2010.11.20(土)
 (長男逸作が)病院に行くと、入院直後に聞いていた状態と全然違っていた。目の焦点が合わず、しゃべることも困難を極めた。後からわかったことだが、心臓でできた血栓が脳に流れてきてつまったのだった。入院時と症状が違ったのは、土曜日の朝までに、第二波の血栓がつまったようだ。

2010.12.03(金) リハビリ病棟に移り、意欲的にリハビリに取り組む。
2010.12.19(日) 初めての外出許可、教会のクリスマス礼拝に出席。
2010.12.27(月) 家の近くでリハビリ設備の整った「いぶきの病院」に転院。この間、意欲的にリハビリに取り組み、2度の外出許可で教会の礼拝にも出席。

2011.03.26(土) 退院。右半身に障害が残るも、ゆっくりと歩くことができる。不便さがあるものの、ゆったりとした隠居生活を始める。字を書いたり、パソコン(主にメール)作業には、これまで以上に時間がかかったが、根気強く取り組んでいた。
 散歩や筋肉トレーニングに自己流で取り組むが、オーバーワークで歩けなくなったことや、筋肉のスジを傷めることもあった。(早く回復させたいという焦りがあったのだろう、ゆっくり少しづつ負荷をかけるように何度も諭したが、「うん、うん」と笑顔で応じながら、リハビリに関しては、ほとんど聞いていない。)

 この後、何度となく大阪まで出てきて共に食事をすることもあり、後遺障と向き合いながらも、会話を楽しむことができた。
 概ね週一回のペースで父の様子をみていたが、父が周囲に合わせて食事をするのが苦手となり、加齢や病気により、待つことができなくなっているのだろうと、少し残念に感じた。
 (最近少し違うのでは?と感じるようになった。
 これまでは読書やネットによる情報収集やメールに時間を費やして過してきたのが、病気による目や手足が不自由さがそういった楽しみへの欲求を減じさせ、必要以上に食べることに関心がいき、我慢ができなくなるのでは? 等と考えるようになった)
 とはいえ、それ以外のことでは、父の周囲への配慮には感心することも多々あった。また、うなぎ弁当等を持っていくと、父はペロリと食べ、食欲は旺盛かつご機嫌だった。2013.07.22(月) 脱腸で入院。脳梗塞の薬の関係で入院期間が長くなる。
2013.07.29(月) 手術。
2013.08.01(木) 退院。

2013.10.30(水) (家族で)関空からK-JET(注:遊覧船)で神戸空港、花鳥園と見学して神戸で一泊。
  足元はフラフラするも、元気だった。
 

2014.06.24(火) 父、逝去
 風呂場で(倒れ)、心肺停止の状態だった(母が確認)、救急車を呼び蘇生を試みるも甲斐なく、19:36馬場記念病院にて亡くなった。
 死因は脳梗塞の疑いと死亡届に記載。
 肺に水が入っているわけでもなく、心臓が原因でもないようだ。
 病院で遺体と対面した時は、穏やかな顔をしており、苦しみながらの最後とは考えられない。
 その点はよいのだが・・・、私たちには早すぎる最後となった。

 遺言書もなく、片付けの苦手な人なので、どんな葬式にするかも「準備している」と父は言っていたが、全然できていなかった。
 今思えば、2010年2月末の古稀の祝いが、元気で笑っている父の最後の写真となったのだろう。     以上

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コメント

野沢 様

弔電を頂きありがとうございました。
坂井重憲の息子逸作です。
ご挨拶が遅れ、大変失礼いたしました。

また、ご夫妻でお越しいただいた松田様、山口様、佐藤様には、遠方にもかかわらず父の葬儀にご参列いただきまして感謝申し上げます。
父も本当に喜んでいることと思います。

野沢様の弔電で、私たちの知らない学生時代の父の話を教えていただき、今更ながらに新鮮で、胸に残りました。
特に、おでん屋でのバクダンのくだりは、同窓会に出席した後に、父が楽しそうに「いいか、いいか」と連呼していたことを思い出しました。

父は気前が良く、人を喜ばすのが好きな人でした。
おかげで、明るく笑いの絶えない家庭で育てられた私にとっては、父の召天が本当にさびしく悲しいものです。

「でんぽっぽ」のおかげで、このブログにたどりつけました。
岐阜の映画館の話や祖母の話など、あらためて思い出すことができました。
本当にありがとうございました。

投稿: 坂井 逸作 | 2014年7月 1日 (火) 08時25分

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