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2014年6月27日 (金)

お菓子の町中津川市 第二中学3年5組同窓会

Photo これは川上屋のお菓子であるが、これが中津を代表するセンス、繊細さを表現している。全国各地に名物やお土産が数々あるが、中津川のお菓子はレベルが高い。ちとやそっとでは、激戦地中津川では、トップに立てない。
 中津川で、春と秋(夏)に“和菓子のコンクール”をやることを提案する。行政は、そういう振興策を考え付かないかな。
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4493 頂きものだったが、中津で食べたものでは、トップだ。 中にはあんの代わりに、餅のような歯ごたえがある水菓子が詰まっている。まるで魚一尾がスルリとノドを過ぎていく。

 (東濃の)中津川のお菓子界は、激しく競い合っている。第一にクリキントンが有名である。ホコホコした風味が乾燥すると、賞味期限が切れる。新鮮なしっとり感が落ちては味が落ちる。クリキントンは手間はかかるが、ノウハウはお菓子つくりが好きならマスターはそう難しくないらしい。

 全国に銘菓はあるが、これでもか、これでもかと考え、力を入れすぎて、ゴテゴテしすぎるモノがある。
 お菓子、銘菓の粋は、すっきり一味で勝負してほしい。ゼリーか、コンニャクか、カンテンで包みこむだけでいい。それとも、カンテンの中にクリキントンゼリーにして黄色い水菓子なら、いくらでも食える。どうかな。

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4488 それは“一休”の「木の芽流し」である。
 PRはスッキリした印象の説明文章であったのに、実際の菓子は、熟柿を芯に、クリキントン、アンを木の葉で包んでユニークである。創作意欲は大いに賞賛するが、三重に甘いものが入っては入れ過ぎ。もっと軽く、シンプルにしたほう上品だ。特に夏場は、向かない。スルっとのどを通るほうがいい。

 町の中は、なんだかんだと、創作お菓子のお店が多い。
 今、まさに中津川の町は、和菓子のブームが来ている。今まさに
お菓子戦争だ。和菓子職人が独立して、群雄割拠の時代だ。
 インターネットが使えると、宣伝上手に商売をやって、ヘタな和菓子を中津の代表とされては困る。本当にうまい和菓子は、現地で食べ比べないとわからないかもしれない。

 旅行者が一軒一軒、味わって回ることはできないから、八月の「おいでんさい」の祭りに、お菓子・和菓子のコンクール、日本一大会をやったらいい。全国からお菓子メーカーが集まってコンクール開催したらいい。中津の和菓子はレベルが高いから、地元の店がきっと優勝だと思うよ。

000019 美濃の「中津川市」といっても、コレっといって特徴がなくて、知られていない。長野県か、岐阜県か、愛知県か。木曽路の入口である中津川市(岐阜県)が生まれ故郷で、つい最近、同窓会で行ってきたので・・・・紹介したい。

 東京ー名古屋間のリニア建設で、中津川駅(岐阜)でチョット話題になっている。市の中心から西にある美濃坂本で、トンネルを走るからリニアの姿が見える場所は殆どないのだが、中津川では地価が影響受けている。000021 中津川は、江戸時代までは、中仙道が街の中心を通り、宿場町として栄えていた。宿場町は、“(正真正銘の)道の駅”であり、中仙道は参勤交代の通り道である。公武合体の象徴である皇女・和宮が輿入れで通過した妻籠には、どういうわけか湯船が残っている。中津川の隣りの隣りだけど。
 中津川の宿は、木曽路という難路に入る直前の宿で、走り抜けるような早飛脚は例外だが、必ず
中仙道を通る旅人は宿泊する。主な宿場は中津川の宿になる。列車の旅と違って、旅人は宿に泊まるのが旅であった。そこで宿泊してゼニを落としてくれ、地元が潤うのである。参勤交代はありがたい制度であった。
 ところが、今、老舗中の老舗旅館が消えて、「レンタカー」の店がそこを買い取っていた。

 旅人は、中津宿を出発すると、「木曽路はすべて山の中」と木曽福島までズーッと森林の道に向かって出発する。そういう旅人が宿泊していくことで成り立つ町が中津川宿であった。
 つまり中津川は商業の町であった。
 宿場周辺は、宿場への供給する農業や商業で栄えていた。明治以降、大きな工場は少なかった。今も、商業で、自営で何かを生産、販売して生計を立てるのが基本。 中津川市の「早川」「大野」「吉村」「内木」は、北恵那の美濃福岡、付知、加子母などから中津川へ出てきた
人だった

 戦後の歴史で、中津の町で疾風のように流行った商売、最初は、アイスキャンデー屋だった。アイスキャンデー屋がどこの通りにもできた。アンモニアの臭いをさせてモーターが回っていた。
 次に大流行の商売は、パチンコ屋であった。とにかく、日銭が稼げる商売を見つけて必死に稼いでいたのが、町の人の生き方だった。お金を回すのが中津の町であった。
 次が、喫茶店だったが、タナカ(西新町)、三尾(東太田町)が最初で次に・・・リンデンとか。喫茶人口が少ないから長く続かない。これが人口20万以上あればもつだろうが。

 つまり、サラリーマンが少ない町だったように思う。
 安定したサラリーマンは、駅員、鉄道員、銀行員、営林署、役場か、
水力ダムに勤務する人だった。
 
娘を持つ家では、そういう人を結婚相手にしたがった。鉄道員の子弟は賢い子が多いという印象であった。

 海がない岐阜県では魚は取れない。山がちな場所では農業も向かない。商売するにも、大型商業施設が乗り込んできて、小さな商店は成り立たない。サラリーマンになりたくても、じいちゃん、ばあちゃんでは、雇ってくれない。
 それでは、何をやったらいいのか?となったとき、昔は繭から生糸をとるという仕事があったのに、今はどう生きたらいいか、中津の老人はどう生きたらいいの?
 一芸、つまり、和菓子の味なら発信できる。それが今、中津川の行き方の代表になっている。
 

 さて、話は同窓会。駅前の料亭勝宗で行われた。芸の細かい弁当が出た。4422_2 食べるときには一口で終わってしまうのだが、和食の技術をつかった、手のかかる料理だった。
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(承諾を得ていないので、ボカシを入れてあります)
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コメント

nakatugawa youtienno syasinn wakarimasenn
中津川幼稚園の写真わかりません?

i o様
メールでご連絡ください。

投稿: i o | 2014年7月14日 (月) 23時26分

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