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2014年4月14日 (月)

昭和舘 皇居近くにある立派な建物 ここもカメラ撮影禁止だ

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すごく 立派な建物で、「しょうけい館」を出てから見上げればすぐなのに、迷ってしまった。宣伝しなくてもいい立場の「昭和舘」は、維持管理だけでも、相当の費用が掛かるだろう。従業員数は30名いるとして、(年間)一億円、企画展示の経費は3000万円、電気水道、ガスなど含むメンテナンスで3000万円、と見たがどうだろう。 建築費は考慮に入れないで、1億6000万円は下らない。 

 それだけの意義があるか、やや心配である。ほかにも似た企画はいっぱいある。あれだけの施設を作るなら、何か主張があるかと思うのだが、情報の垂れ流しである。工夫がほしい。 

 できれば、説明ガイドが機械でなしに、ボランティアリーダーがほしい。昭和の時代をぐっと詳細に説明をしたら、いくらでも集まるはずだ。上野にある旧岩崎邸の説明ガイドは、詳しく説明していた。来館の観光客が一番楽しむにはどうしたらいいか、それを教えるべきだ。姫路城のガイドも、上手だった。佐倉の武家屋敷のガイドも一生懸命だった。文京区の六義園のガイドもきちんと説明していた。昭和舘で募集すれば、多くの人がやってみたいと集まってくるだろう。
 官吏さんには、ボランティアのような民間人が職場に入り込むのを嫌うのだろうか。無料ボランティアで管理されたら、困るのだろうか。
 

00  昭和21年11月1日の日比谷公園で決起集会。
餓死対策国民会議

 冬が来るぞ!餓死が来るぞ!
 ・配給量の生活は墓場への道だ!
 ・世界史末(ママ)曾有ノ二千万同胞ノ餓死ヲ政府はどうしてくれるんだ!
 ・愬(うった)えようマ司令部へ!
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  迫ろう政府へ!
 ・同じ運命の民衆よ団結突進せよ!

  十一月一日正午開会
 於 日比谷公園大広場
    主催 日本国民党

  弁士
 児玉誉士夫(同党準備委員長) 吉田彦太郎
 佐藤栄志  大森一雄(都会議員)
 仁宮武夫  北島義彦

 マ司令部に嘆願書(『読売報知』昭和20年11月2日付)
日比谷で餓死対策国民大会
 日本国民党結成準備会では一日正午から日比谷公園で「餓死対策国民大会」を開催、同党準備委員長児玉誉士夫、都会議員大森一夫、鈴木菊太郎等の諸氏が緊迫せるわが食糧問題を二万余の会衆に訴え、政府に対し食糧緊急増産対策を要求する決議文、更に日本国民大衆の名において、アメリカ国民より一時緊急借り入れ輸入を行わんとするマッカーサー指令官宛の飢餓救済嘆願書を決定、大会終了後児玉氏以下七名の都会議員に引率され、千余名の大衆がマツカーサー司令部を訪問、右嘆願書を提出すると共に、午後三時首相官邸を訪問
一、三合配給制の実施
二、第一次計画として、原野、平地林等百万町歩を来年三月二十日までに開墾、馬鈴薯二十五億万貫増産
三、財閥、資産階級並に一般国民より貴金属類を供出せしめこれを見返り物資として主食三百万トンを直ちに輸入せよ
 右、三項の決議文を幣原首相に手交した
 

 戦時中「児玉機関」のトップとして、児玉は、帝国海軍の物資の買い付けを行い、多大な資金を獲得したとされる。決議文第三項の「貴金属類を供出」云々のクダリが、児玉物資の処理に口実を与えたのではないか、など妙に勘ぐりたくなるから面白い。 

3666 戦後のベストセラーでは波多野勤子の「少年期」 という息子が育つ過程を書いた記録が映画になった。その後、波多野家の息子たちは、東大卒業して研究者か教授になるのだが、その少年時代、戦争にもろにぶつかって、物がない時代に鶏を飼って餌に困ったとき、鶏に「わかもと」を砕いて食わせると栄養のある卵を取れる・・・という工夫を映画上で見せてくれた。それで「わかもと」は強烈な印象が残っている。そのときのタレントが久保明、石濱朗・・・
1951年公開の日本映画。監督:木下恵介、原作:波多野勤子、脚本:木下恵介、田中澄江、撮影:楠田浩之。出演:笠智衆、田村秋子、石浜朗、野沢哲男、木下武則、小林トシ子、三國連太郎ほか。第2回ブルーリボン賞脚本賞受賞。第6回毎日映画コンクール女優助演賞(田村秋子)。昭和初期、日本国民の栄養状態は極めて悪く、生活環境の条件も不充分であったため、小児の死亡率は高く、結核患者も多い時代でした。このような時代背景の中、国民の栄養向上を目的に、1929(昭和4)年、栄養剤『若素(わかもと)』が発売されました。その2年後、1931(昭和6)年、販売名が平仮名の『わかもと』に変更されました。

 『わかもと』は、栄養補給を主目的としたビール酵母単一製剤としてスタート。酵母がいろいろな病気に効くことは、昔からドイツをはじめ他の欧米諸国で知られていました。
 大正・昭和にかけて、酵母の中にはビタミンB1をはじめ多くの栄養素が豊富にあり、その頃の日本は、ビタミンB1の欠乏でおこる脚気が広く蔓延し、国民の多くが大なり小なり栄養不足に陥っていた。
 『わかもと』はビタミンB1を含む酵母製剤として安価に販売され、酵母製剤『わかもと』は、好評をはくし、よく売れていた。

 13_2
木製冷蔵庫が玄関においてある家が案外あった。氷が配達されてきて、それがすぐに入れられる。それに溶けた水が下から垂れるから、玄関のタタキで受け皿にとりやすかった。
 昭和40年代にも、下駄箱代わりに使っている人がいた。なにしろ、ちとやそっとでは壊れない頑丈なつくりだから、長く持ったと思う。

 
3664_2奉安殿の中をのぞいたことはないから、興味があるが、中には、天皇のご真影が入っていて、校長先生が真っ白な手袋して恭しく持ち出して・・・あと、どうするのだったか・・・
 とにかく、学校の中では一番大切なモノだったという印象がある。これを放置して、空襲だったりで避難したら、それこそ「非難」されて、校長は懲罰される。そういう存在だった。
 

3663昭和15年から配給制度が始まっているのだね。古いことはわからないが、
昭和15年
砂糖、マッチ
昭和16年
米穀、米穀(外食者)、小麦粉、酒類、木炭、食用油、魚類、
昭和17年
塩、衣類、みそ・しょうゆ、パン、青果物
昭和18年
洋傘、氷

  しょうがないね、モノがないのだから、いやいや、田舎の農家は急に強い立場になった。衣料切符で買い物していた親の世代を知っているから、あんな時代に日本がまた戻るとしたら、大変だ。

 昭和30年代後半も、賄いつき下宿専門の家では、米穀通帳を提出しないと困るようだった。私は大学の裏にある光栄舘という下宿屋にM沢君の紹介で入ったのだが、田舎から米穀通帳を持って来ていなかったので、何度も「米穀通帳は?」と催促された。
 昭和20年代では、修学旅行には、一泊で米(二合)持参だったと記憶している。
 3654  戦況が悪くなると、在郷軍人も徴用されて出征していった。そのころは、船が撃沈されることが多かったので、戦地に着くこと事態がたいへんであった。昭和19年以降は、赤紙がきたら、もう戦死を覚悟であった。政府大本営は、勝ち戦と言っていたが、もう大人なら、日本の敗戦を覚悟していたが、口に出していえる雰囲気ではなかった。

 3677  戦後の女性は強かった。気の毒なのは、亭主が死んでしまい、生活の糧を得るために、必死に働いて子供を育てた。男一人に女はトラック一杯だという時代だった。横井庄一(昭和47年)1972年に、小野田寛郎(昭和49年)1974年に日本に戻って来たとき、結婚希望の女性が・・・失礼ながら、山ほどいたのである。左の表(戦争未亡人)は56万人だが、未婚のまま戦死した男性は、もっともっと多いから、成熟した日本女性は生殺しのまま・・・生涯をおくるという地獄を戦争で政府は与えたのだといえる。
 靖国神社で戦没将兵のことをいうが、戦争で結婚の機会を失った女性にも大きな犠牲を強いている。

Ca03 昭和館を出て、外に出る、アア現実の日本だ・・・と安心して外を見た。 3685_2 昭和舘を出て、いまは平成だが幸せであるのか・・・と現実を見直す気になる。 案外、必死に潜り抜けてきた昭和が却っていい時代だったようにも見えるのは、なぜだろう。
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