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2014年3月22日 (土)

プーチンとは、どんな人 クリミヤをロシアに併合した

Putin_r   1952(昭和27)年10月7日、サンクトペテルブルグ(当時はレニングラード)にて、父ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン(1911年 - 1999年)と母マリア・イワーノヴナ・シェロモーワ(1911年 - 1998年)とのあいだに生まれる。
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 父は、1930年代にソ連海軍潜水艦隊に配属となり、第二次世界大戦では内務人民委員部(NKVD)の破壊工作部隊に所属し、独ソ戦(大祖国戦争)で傷痍軍人となった。戦後は機械技師としてレニングラードの鉄道車両工場で働いた。2人の兄は、いずれもプーチンが生まれる前の1930年代に死亡(1人目は幼くして、2人目はレニングラード包囲戦中にジフテリアで死亡)したため、プーチンは_201310251177一人っ子として育つ。
 
プーチンの父方の祖父スピリドン・イワノヴィチ・プーチン(1879年~1965年)はプロの料理人で、ヨシフ・スターリンの別荘(ダーチャ)で勤務しており、それ以前はレーニンに仕えていた。

Putin_as_a_child  少年時代のプーチンは、家庭環境はあまり恵まれていなく、レニングラードの共同アパートで過ごした。1960年9月1日に第193小学校に通い始める。小学生だったプーチンは、プーチンは顔は母親似で、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいた、とドイツ語の担任はいう。また、記憶力は抜群で、頭の回転も速かったが、悪ふざけを繰り返し問題児だったと証言している。プーチン自身も、後に幼少時代は相当な悪童であったと告白している。しかし6年生になると変化し、成績も上がり、ピオネール(пионе́р)とは、ソ連・共産圏の少年団入団も許可された。この頃にはサンボと柔道を始めた。小学校卒業後、プーチンは化学専門学校に入学した。
(ピオネールは団員として相応しいと認められなければ入団出来ない。特に出身(プロレタリアート出身)階級で、健康で、学力優秀、品行方正な青少年の中から選抜される。将来の幹部候補、エリート的な存在であった。性別による区分はない。シンボルは赤いネッカチーフ(ネクタイとも)。)
 

 やがてプーチンは映画や小説からスパイに憧れを抱き、ソ連国家保安委員会(KGB)への就職を考えるようになる。
 14才の9年生(日本でいう中学3年生)の時に、彼はKGB支部を訪問し、応対した職員に「どうすればKGBに就職できるのか」と質問した。
 職員は少年の質問に、
「KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しないため、今後は自分からKGBにコンタクトしてはならない。大学の専攻は法学部が有利であること、言動や思想的な問題点があってはならないこと、スポーツの実績は対象者の選考で有利に働く」など
  現実的な助言をプーチンに与えた。このような“傾向と対策”が手に入ると、昇進には
非常に有利である。
 余談だが、学校の教師で教頭や校長になろうとする人は、教育委員会で一年でも働くと、採用基準がわかり、顔が利くから、大変有利であるという。

 プーチン少年は以後、そのアドバイスを忠実に守り、柔道に打ち込み、レニングラード大学では法学部を選択し、在学中も自分からはKGBに接触しなかった。
Collegia←レニングラード大学
 そして大学4年生のときに、KGBからのリクルートを受け、プーチンは1975年に同大学を卒業後、KGBへ就職する。KGB職員はソビエト連邦共産党への入党が条件だったため、プーチンは共産党員になった。

 KGBでは、最初にレニングラード支部事務局、その後訓練を経て対諜報活動局に配属。さらに研修を受け、第1総局(対外諜報部)レニングラード支部に勤務する。
1985parents_in_1985 そして外国で諜報活動を行うためにKGB赤旗大学で学び、1985年に東ドイツのドレスデンへと派遣される。東ドイツには1990年まで滞在し、政治関係の情報を集める諜報活動に従事したと自身は語っている。
 東ドイツでの盗聴活動が映画「善き人のためのソナタ」になっている。ロシア(当時はソ連だが)えげつない監視・諜報をさせているよ。たぶん、プーチンも関わっているだろうが、ロシアのスパイ活動(
東ドイツの監視社会)は徹底しているから、かつてK党が共産党の幹部の電話盗聴していたが、あの程度のことは当たり前。現代日本人の感覚とはだいぶ違う。プーチンの頭の中が少しわかるかもしれない。
「善き人のためのソナタ」東ドイツ盗聴の恐怖  ★★ほんのサワリだけだが、雰囲気がわかる。

 プーチンは、東西ドイツ統一によりレニングラードに戻り、母校のレニングラード大学に学長補佐官として勤務。このころに、大学生の頃に教わっていたアナトリー・サプチャーク※と懇意になる。
(※アナトリー・サプチャーク:ロシアの急進改革派の政治家。サンクトペテルブルク市長。法学博士。ウラジーミル・プーチンを第一副市長に登用し、プーチンの政界進出のきっかけを作った。)

Sobchak_2002_3_25r  政界へ進出のきっかけとなったのは、
1990年、プーチンはKGBに辞表を提出し、レニングラード市ソビエト議長・サプチャークの国際関係担当顧問となったことだ。
1991年6月にサプチャークがレニングラード(同年サンクトペテルブルクに名称変更)市長に当選すると、対外関係委員会議長に就任する。その後、1992年にサプチャークによりサンクトペテルブルク市副市長、1994年3月にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命された。市職員としてプーチンは外国企業誘致を行い外国資本の導入に努めた。またサプチャークの陰の実力者として活躍したため、「灰色の枢機卿=陰の実力者」と呼ばれた。

1996年にサプチャークが市長選挙でヤコブレフに敗れて退陣すると、それに伴いプーチンは第一副市長を辞職。ヤコブレフの慰留を拒否した。その後、ロシア大統領府総務局長のパーヴェル・ボロジンによる抜擢でロシア大統領府総務局次長としてモスクワに異動。プーチンは、法務とロシアの海外資産の管理を担当した。1997年3月には、ロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。

 1997年6月、プーチンは、サンクトペテルブルク国立鉱山大学に「市場経済移行期における地域資源の戦略的計画」という論文を提出し、経済科学準博士の学位を得る。
 この論文の内容は、「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」だった(この論文に関しては、2007年にアメリカの学者が盗作説を主張が、その後立ち消え)。
 

 1998年5月に、ロシア大統領府第一副長官に就任した。
_with_boris_yeltsin2 ここでは地方行政を担当し、地方の知事との連絡役を務めた。後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている。
 同年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。この当時、エリツィン大統領のマネーロンダリング疑惑を捜査していたスクラトフ検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、プリマコフ首相のエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得た。
検事総長の弱みをにぎるのは、 KGBのやり方を使えば、お茶の子サイサイ、容易にできるだろう。

_presidential_oath_7_may_2000 1999年8月9日に、プーチンはエリツィンに見込まれ、「第一副首相」に任命された。同日、エリツィン一家を守ることができなかったセルゲイ・ステパーシン首相は、解任された。)
 この時、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明。さらに、1週間後8月16日には、正式に首相に任命された。

 プーチンは、KGB職員の経歴から、日本では「冷酷な紳士」「有能な元工作員」で、スパイ映画などの定番のイメージで見られるが、ロシア国内ではメディアを通じて非常に紳士的な姿勢をアピールして、ロシア国民からの人気もきわめて高い。70パーセント以上の支持率がある。 

 サンクトペテルブルク市の職員時代に、プーチンがともに働いていたサプチャーク(上司)やドミトリー・コザク(プーチンの片腕)によれば、プーチンは礼儀正しく、遠慮深く、落ち着いた人物であったという。また、権力欲がなく、地位よりも仕事を重視し、仕事一筋に生きるタイプであると見られていた。

 カメラの前では、無表情を振舞っているが、実は取り留めないほどの冗談好きである。諜報員時代の上司から「お前は冷静すぎる」と言われたことがあるのだが、この逸話もプーチン自身にかかると「本当は『お前のようなおしゃべりはシュピオン(スパイ)には向かない』と言われた」になってしまう。
  つまり、多分
上司エリツィンには、冗談をいう陽気な、気のいい無邪気に振舞って気に入られていたのだろう。
 これが、昇進するコツ、常套手段、極意だよ。トップに立ったとたん、冷淡であろうと、鉄面皮と言われようが、それは気にしなくてもいい。やりたいようにやれる。徳川家康でも、織田信長、秀吉の生きている間は、ガマン、忍従であるが、天下が自分のものになると、人が変わるのは、ソレなのさ。

 KGB時代、東ドイツに派遣されたため、ドイツ語に堪能であることはよく知られているが、大統領任期中には、英語の勉強を本格的に始めており、現在では各国首脳とも英語で会話している光景が見られる。2007年の国際オリンピック委員会の総会でも、ソチオリンピック誘致のために英語でスピーチを披露した。 

 2001101  エリツィンに抜擢されたので、思想的にはエリツィン派だったと思われているが、むしろ政治家としてはゴルバチョフ(急進改革派)に敬意を表している。しかし、ゴルバチョフに師事したことはなく、サプチャークからの間接的な影響だと思われる。
 サンクトペテルブルク時代に仕えたサプチャーク市長(当時/
レニングラード市ソビエト議長)は、プーチンが学生時代に指導をうけた恩師でもあり、生涯の尊敬と忠誠を捧げている。

 プーチンの遅刻癖が話題になっている。
 2003年にエリザベス2世英国女王との出会いに14分遅刻し、2012年にドイツのメルケル首相を40分待たせ、シリア問題の話し合いでケリー米国務長官を3時間待たせた。
  一方2013年11月に韓国を訪問したプーチンは朴槿恵(パク・クネ)大統領との首脳会談に、途中、武術愛好者と語らい、30分遅刻したという例、2012年のウクライナ訪問の際にバイクライダー団体との交流を優先してヤヌコビッチ大統領との会談に4時間遅れた例など、故意に遅刻をする場合もある。
 プーチンの遅刻癖は、彼の野心の演出だという。「国際政治で皇帝になりたい」という表れ・・・?
 

Favourite_photo ←妻リュドミラ。プーチンが「最も気に入っている」写真(2013年6月6日、プーチンは、リュドミラと離婚したことを国営放送で明らかにした。)離婚理由やその後、再婚相手がいるとかは、一切報道されない。
 家族は妻と2人の娘がいる。妻のリュドミラ・プーチナは元客室乗務員で、その後レニングラード大学で文献学を専攻する学生となり、1983年7月28日にプーチンと結婚。
 1985年に長女マリーヤ、1986年にはドレスデンで次女カテリーナが生まれている。ロシア大衆紙『モスコフスキー・コムソモーレツ』(2005年8月4日)によると、2人は姉妹そろって父と母の母校であるサンクトペテルブルク大学(旧レニングラード大学)に合格し、長女マリーヤは生物土壌学、次女カテリーナは日本史を専攻すると報じた。また、マリーヤは2005年3月ギリシャで結婚式を挙げた。結婚相手は明らかにされていない。

_putin_12015  ロシアのトップとしては、プーチンは私生活が多く公開している。
 釣りを趣味とし、競馬のファンでもある。煙草は吸わず、酒もほとんど飲まない。また、犬好きで、自身もラブラドール・レトリーバーを飼っている。その愛犬は「コニー」という名前であり、徹夜でお産の世話をしたこともある。
 愛犬家だということもあってか、2003年5月の日露首脳会談では、当時小泉純一郎首相から犬語翻訳機「バウリンガル」を贈られている。2008年10月には副首相のセルゲイ・イワノフからコニー用にロシアの衛星測位システムGLONASS(グロナス)受信機がついた首輪を贈られ、コニーにその首輪が装着された。

Dd256b62  2012年7月には秋田県より雌の秋田犬1頭が贈られ、自ら「ゆめ(夢)」と名付けている。

プーチン語録
①「謝罪は1回すれば十分だ」(2005年5月、第二次世界大戦中、
バルト三国併合をソ連とドイツが密約を交わしたことに対して)
②「日本は、不倫や近親相姦を題材とした小説を紙幣に印刷して流通させるほど社会が堕落したのか」(2000年7月、九州・沖縄サミットで森喜朗首相が二千円紙幣を配布した時に)
③「あれは沈んだ」(2000年9月、ロシアの原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件について)
④「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」(2001年5月)
⑤「もしあなたがイスラム過激派になりたくて割礼が必要ならモスクワに招待する」 (2002年11月、「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して)
⑥「(地球温暖化のおかげで)毛皮のコートを買う金も節約できる」(2003年9月、気候変動会議の開幕式で)
⑦「バルト三国はロシアの小銭」(2005年5月、ソ連によるバルト三国支配への批判に対して)
⑧「我々が戦っている相手は残酷な連中、人間に化けた獣だ」 (2005年11月、チェチェン武装勢力に関して)
「引き渡しを憲法で禁じているのなら改正しろと英国は言う。これは植民地主義的な考え方だ。英国の連中は脳を入れ替える必要がある」(2007年7月、リトビネンコ毒殺事件の容疑者引き渡し要求に反論して)
⑨「EUは恥を知れ!国際社会のルールに反する勝手は許されない」(2008年2月、コソボ独立に強く反対して)
⑩「中世のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」(2008年3月、ロシア国内の汚職の横行に関して)
⑪「医者を送り込んで始末しなければならない」(2008年7月、ロシアの石炭大手企業であるメチェル社によるダンピングと脱税疑惑に関して)
⑫「睾丸を縛ってつるし上げてやる」(2008年8月、南オセチア紛争の際、グルジアの大統領ミヘイル・サアカシュヴィリへ向けて)
⑬「フセインより重罪だ」(2008年12月、南オセチア紛争におけるサアカシュヴィリについて、グルジアによるロシア軍への先制攻撃や一般のオセット人の虐殺を理由に)
⑭「どんな難しい問題でも友人同士の間では解決できると確信する」。
⑮「君たちは自らの野心や未熟さ、強欲で数千人の住民を人質に取った。私が来る前にゴキブリのように走り回りながら、なぜだれも問題を解決できないのだ」(2009年6月4日、労働争議が起きていた工場を訪れた際、工場所有者である新興財閥のオレグ・デリパスカらに対して)
⑯(アメリカは)世界経済の寄生虫とは言わないが、ドル基軸の地位に寄生している」(2011年10月11日夜の中国国営メディアの取材に応じた際)

ロシア、エストニア領土問題確定、北方領土の参考に
国連調査団報告書 シリア化学兵器使用疑惑
きょうは何の日?樺太真岡電話局女子交換手集団自決
プーチンと安倍総理で北方領土、面積等分で解決 

被爆国日本が、核兵器を模索 
ノモンハンでソ連に惨敗の教訓 
プーチンに服従か離反か グルジア
 
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