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2014年3月28日 (金)

特集「戦傷病者たちの長い戦後」NHK・Eテレ 日本の出発点はここだ!

 ETV特集「戦傷病者たちの長い戦後」をNHK・Eテレ(3月15日(土)23時~23時59分)でやっていたのを録画しておいたのをようやく見た。こういう「傷痍軍人」「戦傷病者」の話しは中身が重いから、チョッと逃げて腰になるのが今の人の感覚かもしれない。000011

傷痍軍人という生き方: nozawa22
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 日本傷痍軍人会(かつて会員35万人が5千人、平均年齢92歳)が2013年秋に解散した。 昭和40年代頃まで街頭や縁日、列車内などで見られた“白衣募金者”(日中戦争・太平洋戦争で傷害を負った元兵士たち)たちも、とうに姿を消し「傷痍軍人」はまさに歴史の中に埋もれようとしている。
000060  戦時中、彼らは「白衣の勇士」と称えられ、国家からさまざまな優遇施策を受け、戦意高揚の象徴であった。しかし敗戦後は、戦傷を負った人々とその家族の生活は困窮と苦難の淵にあった。手足の欠損、失明、疼痛、体内に残った手榴弾の破片など戦争の傷跡は、生き残った傷痍軍人の生涯を苦しめた。000018  傷痍軍人たちは戦後をどう生きたのか、どの様な絶望の中に日々を送り、どんな思いでその困難な人生を切り開いてきたのか。そして国や私たち国民は彼らをどう遇したのかを映像で追いかけ記録した番組であった。 
89  まあ、元気な傷病兵を数人取り上げ、それを見ているだけで重い気持ちになる。それが、何十万人と、日本にいたのだ。
 田舎の米屋では、有能な職人店員が中国へ出征して、数年して片足を失って義足で松葉杖で挨拶に来たときは、うちの人たちは腰を抜かさんばかりであった。結局、その人はうちを辞めたが、その後の消息は知らない。

 会員35万人の傷痍軍人が今次戦争で生まれたのだ。46  戦争というのは、個人や民間が起こすものではない。国家が国民を徴用して国の兵士、つまり公務員の身分を背負って出かけているのだから、国に雇用されている形になる。それを戦意高揚させて、国民の意思で戦わせえると強い兵になるのだと、政府は、戦死したら靖国に祀り、「靖国で会おう」と、けしかけているわけだ。あまり、理屈を考える国民より、猪突猛進に走る国民が都合がいい。
91  それにも増して、生き残った傷病兵より、もっと多くの人が戦死しているし、戦病死、飢餓死をしている。日本兵は戦いの中で、相手国の兵を殺し、情報が漏れるからと民間人も殺している。(私が現場を見たわけではないが、証拠を見せることはできないが、写真は幾枚かはある。)
 

 000026 射撃手の伊東朝雄さんは、駆逐艦がアメリカ軍機に攻撃され、配置について高射砲攻撃を始めたとたん、後ろへ飛ばされて大怪我した。私は命は拾ったが、私の両脇にいた戦友は、写真の二人は即死。
 戦後、定職につくことは困難であった。暮らしは困窮して、担ぎ
やをやって糊口をしのいだ。 

 123_2闇屋が仕入れをするのは決まっていたが、伊東さんは戦友のところで仕入れ、持ち運びをした。吉 祥寺で露天商の鑑札を取り、ハマグ27_2リ、アサリを、その前に飴を売った。 御徒町へ行って、芋飴を仕入れて売ったが、私は(私 の傷痍軍人の手では)全然売れなかった。
 
この手では、クチに入れるものを売られたら、買う人はイヤだっただろう。隣りの人はどんどん売れるにの、私の露天では売れなかった。 

126 目を失って希望をなくす人が多い中、川人義明さんは、戦後GHQの指示で、支援が減らされ、死ぬ人も少なからずいた。
 川人さんも自暴自棄で、電車に飛び込む気持ちにまでになったが、ある少女が「軍人さん、あぶないですよ」と声をかけられ、国立療養所(国立病院)へと連れ戻され、
000050 翌日花を持って見舞いに来てくれて、自暴自棄になっては何も問題は解決しないと悟り、その後、必死になってあんま技術を学校へ行って習得した。
 関西のある都市で鍼灸院を開業し、数年で家と治療院を新築できるほどになった。

7571 志まさんは、新聞に書かれた傷痍軍人の妻への賞賛がかかれていた記事にほだされて、赤十字に手紙を出し、花嫁候補になった。正垣 良一さんの姿、顔が当時、今で言うジュノンボーイか、少年隊か、スターの容貌に見えて・・・身体不自由な傷痍軍人に嫁したのだった。
 確かに今なら、美青年の人も、等しく負傷し、傷痍軍人になる人も多かった。 若気の至りで、妻となり、子供を生んでから、しまったと思っても引き返すことまおならず、一生をメンドウをみることになり、今、夫を送り、息子と暮す日々を語っていた。

東京九段の靖国神社のすぐ近くに「しょうけい館 戦傷病者史料館 」がある。そこは傷痍軍人と家族の証言映像(180人、計300時間)記録がある。
000017_2 平成18年3月に開館した国(厚生労働省)の施設です。常設展示室では、戦地で受傷した時身につけていた実物資料や医療、更生などの様々な資料、写真、映像、体験記などで構成し、体験記を基にある兵士の足跡を辿る形で、入営から戦場での受傷、戦地医療、内地での療養、社会復帰、そして現在までを描く。
 戦死した戦友への罪障感、労苦を共にした夫婦愛、戦後日本社会への違和感……彼らの証言をベースに膨大な遺品、資料を取りまぜ、傷痍軍人たちの言い残したこと、一度、知らねばならないことを考える。生きのびた傷痍の人々が異口同音に「国は、忘れてしまったのではないか」というのが、漏らす言葉である…。

戦争の記憶に「撮影禁止」は矛盾。国民の共通記憶文化
しょうけい館(戦傷病者会館)、戦争傷跡の“継承”。
昭和舘 皇居近くにある建物 ここも撮影禁止
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コメント

こういう「傷痍軍人」「戦傷病者」の話しは重いから、逃げ腰になる。それだけ、日本が平和慣れしているのだろう。もっと、戦争の悲劇の事実を知って、それから集団的自衛権行使について、話合いたいものだ。

投稿: 傷痍軍人 | 2014年8月13日 (水) 21時34分

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