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2014年1月18日 (土)

小野田寛郎91歳、終戦からジャングルで29年、帰還して40年、名誉の肺炎死

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  元陸軍少尉小野田寛郎さんが16日に死去した。
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000014 小野田寛郎(大正11年(1922年)3月19日 - 2014年1月16日91歳)さんは、1974年(昭和49年)フィリピン・ルバング島ジャングルで終戦から29年、それから帰還してから40年、ブラジルと日本での生活。これは横井 庄一(大正4年(1915年)3月31日 - 1997年9月22日82歳)さんの潜伏27年、1972年(昭和47年)グアム島から生還したのに遅れること二年だった。
000002  小野田さんは1944年(昭和19年)にフィリピン西部の小さな島ルバング島に諜報活動を行うために派遣された。戦争終盤に連合軍米軍が次々と押し寄せる中、ルバング島にいた日本兵の大半は撤退か降伏したが、小野田さんは数人の仲間とともにジャングルに潜伏、終戦メッセージを信じなかった。
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  大正11年、和歌山県海草郡亀川村(現・海南市)にて父・種次郎(県議会議員)、母・タマエ(教師)の間に小野田家の四男として生まれる。
 旧制中学校卒業後は民間の貿易会社(田島洋行)に就職し、中華民国の漢口支店勤務となり中国語を習得。
 なお、長兄・敏郎は東京帝国大学医学部・陸軍軍医学校卒(終戦陸軍軍医中佐)、次兄・格郎は陸軍経理将校(陸軍主計大尉)で、弟・滋郎は陸軍士官学校卒(陸軍少尉)、兄弟は全員陸軍将校であった。

00006n1 上海の商事会社で働いていた昭和17年(1942年)12月、満20歳のため徴兵検査(徴募)を受け本籍のある和歌山歩兵第61連隊(当時本隊は戦地に動員中のため、その留守部隊)に現役兵として入営。同年12月、フィリピン防衛戦を担当する第14方面軍情報部付となり、残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられフィリピンに派遣。当地では14HA隷下の第8師団参謀部付(配属)となっており、その8D長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、兵隊を使って頑張ってくれ。玉砕は絶対に許さん。わかったな」の訓示を受けている。

 米軍が次々と押し寄せる中、ルバング島にいた日本兵の大半は撤退か降伏をしたが、小野田さんは数人の仲間とともにジャングルに潜伏し、終戦を告げるメッセージを信じなかった。その後29年間、ジャングルで生き延びていたが、仲間たちが次々とこの世を去り、1974年(救出された年の数か月前)には、最後の部下小塚軍曹が地元の人に撃たれ死亡、小野田さんは一人ぼっちになった。

 従って、小野田さんの存在は知られていた。1974年に冒険家の鈴木紀夫さんと遭遇して写真まで公開され、そして小野田さんの(谷口)元指揮官がルバング島で小野田さんと面会し、小野田さんの任務が解除されたことを告げた。小野田さんは、終戦から30年近くたってようやく自分の剣を引き渡した。

000016 小野田さんは1974年に帰国し、大歓迎された。日本国内には、小野田さんの年齢にふさわしい独身女性は多くが残っているから、花嫁はすぐ決まった。1972年横井庄一の場合も、びっくりするくらいの女性の応募があった。
 小野田さんは、どんなタイプの女性が好きかという段になって、「女優さんで、どなたのファンですか」と記者に聞かれて、「水戸光子」だと発言したら、本人女優「水戸光子」から帰国祝いの花束が届いた。
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 出征前の小野田さんが見た映画「暖流」(1939吉村公三郎監督)で、病院長の令嬢役の高峰三枝子と健気な看護婦役の水戸光子で人気を二分した・・・。

 結婚した翌年、小野田さんはブラジルに移住、牧場を開設した。10年後、84年には、日本の子どもたちに、ジャングルで習得したサバイバルやキャンピング技術を伝えるために、小野田自然塾を立ち上げた。参考  

 大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年にちょう報員養成陸軍学校を卒業後、情報将校としてフィリピンへ。終戦後の任務解除命令が届かず、密林にこもって戦闘を続け、昭和49年3月に帰国した。
 小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが平成25年12月16日午後4時29分、肺炎のため死去。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。

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