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2013年12月22日 (日)

東京タワー55年 昭和33年完成 あの青春時代は遠く・・・

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東京タワーは、東京スカイツリーができてからは、任務を終えたかのように脚光を浴びることは少なくなって、防戦一方の印象だ。東京タワー55年の記念日に、NHKラジオで特番のようにして創業時から続くお土産店とか、写真屋さんが登場して、語っていた。
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 また、東京タワーにまつわるエッセイを集めて入選作品。“わたしたちの東京タワー物語”を紹介していた。

330pxtokyo_tower_1961_2 「中学卒業して数年以内の田舎出身の少年が休日東京タワーの展望台から、遠く故郷に向かってカンテラの小さな明かりを照らしていたシーンを見て、筆者の従兄が「それじゃ、見えない」というと、少年にらまれた」話しがあった。
 金のタマゴといわれた人たちが、望郷の念に駆られ、ひょっとしたら、山形、福島、秋田の故郷へ光が届くかもしれない、この光を見てくれる親たちがいるという気持ち・・・なんていうか、年取ってみると、その少年の心情がわかる。
 日本は、そういう数多い少年や少女たちの下積みの努力が日本社会を築き上げてきたのだけど、それは誰も振り返らない。

 朝、ジョギングしている年配者みると、きっとあの「三丁目の夕日」のころに出てきた人たちがいる。よくあの時代からがんばってきましたね。と、つい言いたくなる。

Imagescaopgxnn 田舎の貧乏な家では娘や息子は、仕事のある都会というか、関東へ送り出している。
 相模原、三浦半島、群馬、富山・・・の農家の働き手から、東北へは年頃になった娘を探す「民間やり手ばあさん」というか、オジサンがツテを頼って来るという。その昔赤線に売るとかいう悲惨さはないが、その分親元に現金が払われないのだが、農家のヨメに斡旋される人も多い。姑にいびられ、泣き泣きガマンしって、今はその姑もいなくなり・・・こんどは、辛抱に花が咲いて自分が農家の主婦の座に座っている。この歳になって同窓会に出ると、そんな話しが聞ける。あの●●ちゃんが、ねぎ、かぼちゃ、米、野菜と共に便りが・・・交流が多くなる。

 「ガマンしているうちに苔が石に生えるように、人にもガマンできる人には・・・」と、儒教の教えを親は信じて、ソレを子供に語っていた。価値観が20年も、30年も同じように続く場合には、「親の小言に一つのムダもない」とよく言ったものだ。

 昭和27年から30年ころ、本町の鮮魚店「魚常」商店に小僧さんが新卒小僧さんとして働き始めた。ちょっと小柄だが、田舎出のがっちりした体格のお兄さんだった。中卒の勤め口は、町の商店がおもな勤め口だった。
 あのころ、「魚常」の長男ヒロちゃんは1年生で、下には妹が3人くらいいた。新卒の小僧さんは、近所の我々とそんなに歳は違わないから親しみを感じていたのか、それとも、遊びにいく相手もなかったのだろう。初給料をもらった日に、映画をおごるといって、近所の小学生、中学生を四五人連れて映画館(旭座)へ連れて行ってもらった。今なら、どうだろう、初任給で近所の子供におごってあげるような・・・親しみを近隣の子供にもつだろうか。
 何を見たか覚えていないが、「魚常」の小僧さんが「映画をおごってくれた」と言う事実が強い印象で残っている。

 杉野町の丸仙にも、製麺工場の二階に住み込みで優しいお兄さんが働いていた。末っ子長男の洋ちゃんに近い歳格好の人で、大井町に嫁いだ姉の映画館で勤めていた人だと聞いたような気がする。あの人、今どうしているのだろう。裏表なくよく働く人だったように見えた。

 昭和30年代、動坂の映画館の前あたりにあった蕎麦屋にも、住み込みで働く青年がいた。出前配達に出る姿を見ると、手が赤くしもやけか、冷たい水に手を突っ込んで働く印象があった。あの人たち、田舎から出て懸命に働く印象があった。

 東京タワーができて、皇太子が美智子さんと結婚したテレビが放映されたが、あの電波も東京タワーから出ていたのだろう。東京タワー55年 記念日に、そんな昔の話を思い出す。

 ホワイトタイガーという「洋裁店」の叔母の家に、鳩山一郎後援会長だった叔父の田舎から福島から甥っ子上京してきた。鳩山一郎後援会長だった叔父
 太い指で、洋裁などできるかと思える少年だったが、中学卒業してオジの縁故で洋裁店に住み込んでいた。そのころ叔父は他界していたが、時々叔母の家に来ていた。田舎で家にいても、仕事がないから順次上京してきた。 あのころは、フラフープの大流行だった。

 歳月は、栄枯盛衰であり、「年々歳々花にたり、歳々年々人同じからず」といわれるように、アメリカ軍の廃棄された戦車の鉄を材料にして作られたという「東京タワー」も55年、古くなったともえるし、まだ55年とも言える。

 人間の生命は、100年あれば長寿のほうだが、多くの社会を支える人は、夢中に働いて、現状を振り返る余裕がないのが現実だ。その過去を振り返る時間を持ちたいものだ。

Always文京区動坂の夕日

「ALWAYS 三丁目の夕日」 予告編 ★

映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」見どころ 感動編
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