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2013年12月 7日 (土)

愛染かつら 田中絹代、上原謙 美女美男子時代昭和13年評価A

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  昭和13年の映画「愛染かつら」、これを「不如帰(徳富蘆花)」と混同していたようだった。映画「愛染かつら」、の歌が妙に悲劇ぽいから、お涙頂戴ものだと思って避けていたが、意外や意外、カラっとしている。明朗なホームドラマだった。
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昭和13年の映画だから、美男美女がスターの時代だ。

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田中絹代=高石かつ枝/上原 謙 =津村浩三/桑野通子=中田未知子 など 戦前のスター女優、男優のシュンな役者が並んで出ている。「映画スターらしい」配役を配して、大衆の映画への引き込みを考えている。
 高石かつ枝(田中絹代)が子持ちの寡婦で、古典的な日本人らしい振る舞いをする性格で、ただ歌がうまくて、後に歌手デビューする。000028 津村浩三(上原 謙)の家は津村病院で医者の家から嫁をもらえとセッつかれて、見合いの相手はアメリカ留学中の未知子(桑野通子)が貨客船でタラップを元気よく下りてくる。ちょっと古い設定だが、明るくてマナーは西洋ぽい。これが昭和13年では、観客はしとやかな高石かつ枝に好意を持ったのかもしれない。
 決してバツイチではないが、子供を妊娠中に夫が病死したという設定であるが、子持ちは結婚にはマイナス要因になるのかも。ソレを歌手デビューという飛躍要因をぶち込んで、津村浩三(上原 謙)がコロっといくという最後になって、ハッピーエンドになる。
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看護婦歌手ということで、白衣の歌手で元の職場の看護婦が総出で観客席に並び、観客の同感を得ようとして安易なストーリーで・・・これが、映画の王道かも。これが原型になっているのだろう。

 姥捨て山の映画「楢山節考」で見た田中絹代しか印象になかったから、昭和13年(1938年)の田中絹代は若い。一体いくつだっただろうか。楢山節考 木下惠介監督 主演田中絹代:

 調べてみたら、田中 絹代(1909年11月29日 - 1977年3月21日)29歳だったんだ。息子加山雄三の今の風貌からは想像できないのだが、父上原 謙も、昭和13年、肌がピーンと張って、美男子の典型だ。上原 謙(1909年11月7日 - 1991年11月23日)。

 愛染かつら-旅の夜風~倍賞千恵子 霧島昇・上原謙・田中絹代 wide http://youtu.be/sOSN856AZlY

花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡(ひえい)を 一人行く

 優しかの君 ただ独り
発(た)たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命(いのち)
なぜに淋しい 子守唄
 

加茂の河原に 秋長(た)けて
肌に夜風が 沁(し)みわたる
おとこ柳が なに泣くものか
風に揺れるは 影ばかり
 

愛の山河 雲幾重(いくえ)
心ごころは 隔てても
待てば来る来る 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る

主役高石かつ枝歌がうまい・・・と思ったら、よく見るとクチパクミス コロムビアが歌っているようだ。ミス・コロムビア(戦前)、松原 操(戦後)/1939年霧島昇と結婚して、(本名)坂本操になっている。(1911年3月28日 - 1984年6月19日) 

{ストーリー内容}
 津村病院創立二十五周年祝賀の日。

000017_2 看護婦高石かつ枝は皆にすすめられて余興に歌をうたった。伴奏は津村病院長の長男浩三が買って出た。これが縁で浩三とかつ枝は度々会うようになった。
 浩三はかつ技に結婚を申し込んだが、かつ枝には亡夫との間に敏子という子供があるためと身分の相違とを思い、ためらっていた。だが、誠実な浩三の熱意にうたれたか

つ枝は、愛染堂の桂の木の下で愛の誓を交わし・・・。
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 浩三を名門・中田病院の令嬢と結婚させようとしていた家族の大反対にあった。窮地の二人は、京都にいる先輩服部を訪ね、身を隠そうとした。あいにく、当日、娘敏子が急病に倒れ、かつ枝は約束の新橋駅へ行けなくなった。一人京都へ向った浩三は、服部の世話で大学の研究室で働くように・・・。
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 数日してかつ枝が服部の家を訪れた。応対に出た服部は、かつ枝を誤解しているため浩三の居場所を教えなかった。後日、かつ枝が訪れたことを知らされた浩三は急拠帰京。
 浩三はかつ枝のアパートを訪ねたが、彼女に子持ちであることを知って会わずに帰った。
 数カ月が経過した。 浩三は病院に戻ったが、かつ枝は妹竹子の圧力で病院から姿を消していた。

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 そんなある日、新聞に「白衣の天使よりレコード歌手へ」という見出しで、かつ枝が自作の歌の発表会を歌舞伎座で行うことを知る。津村病院の看護婦は、かつ枝から入場券を送られてきて、彼女を応援しようと約束しあった。
 浩三は、看護婦の外出許可をしなかったが、かつ枝の同僚・峰沢治子、若井らから彼女の立場と事情を説明されて、すべてを了解した浩三は、看護婦達全員に入場券を手配し、外出許可を与えた。
 発表会は盛会だった。
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 楽屋にかけつけた浩三にかつ枝はだまってうなずくだけであった。--翌日、愛染堂の前にぬかずく浩三、かつ枝、敏子の姿が見られた。それは幸福に溢れたような、明るい姿であった。000052
 最初、子連れの高石かつ枝をみつけてなじる主任看護婦の峰沢治子のキャラクターが印象に残った。
000030 背が高くて、イジワルかと思っていると、いったん納得すると、かつ枝を応援するカラっとした行動で、アレこの人はその後どうしたのだろうか。大舞台で主役は張っていないし、主役と脇役が明瞭だった戦前、脇役が主役になったと言う話はない。きびしいものだ。
 いろいろ調べてみると、あまり資料にいき当たらないが、
出雲八重子(1909年9月8日) 田中 絹代、上原 謙と同じ歳だった。今生きていれば、104歳だ。
本名泉ヤエ 出身地青森県八戸町の生まれだが、原籍は鹿児島市新照院町九八 ということだ。だだ、①167.7cm⇒出雲八重子/<女優篇>身長くらべでは一番だった。
愛染かつら~総集編~
http://youtu.be/r5ScLtT6NzY 1時間29分

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