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2013年11月17日 (日)

漂流で異国を見た男たち②浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)

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 ジョン万次郎ばかりが有名であるが、浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)という男も、アメリカを見て帰り、有能な働きをしているので紹介したい。
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Heco14_years_old ジョン万次郎遭難の9年後、嘉永3年(1850)10月、彦蔵(彦太郎)らを乗せた摂津の※樽廻船栄力丸が、江戸からの帰帆途中大風に遭遇し漂流、同年12月南鳥島付近で、清国からアメリカに向かうアメリカ商船・オークランド号に発見され救助される。17名の漂流者は嘉永5年、帰国の途につきマカオに至る。※樽廻船=上方(関西)から江戸に酒荷を輸送する貨物船。

Photoその後、救助してくれたオークランド号船員たちと共にサンフランシスコに行く。アメリカ政府より日本へ帰還させるよう命令が出て嘉永5年3月13日(1852年5月1日)にサンフランシスコを出発し、5月20日(7月7日)に香港に到着する。遭難者らは、東インド艦隊長官・ペリーの船に同乗し日本へ帰還する予定だった。アメリカは、日本と開港交渉するために「遭難者を日本に手渡す」口実ができるので、都合がよかった。

 ペリー艦隊を待つ間に、栄力丸の遭難者は、鎖国という国禁を犯した彼らを日本が受け入れてくれるか不安を覚えていた。東インド艦隊長官・ペリーの船はなかなか来ず、その間に香港で出会った日本人・力松(モリソン号事件での漂流民のひとり)の体験談を聞き自分達がアメリカの外交カードにされるとの懸念から、彦蔵=浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)は、アメリカに戻るよう誘われ、治作、亀蔵と共に三人は再びアメリカへ旅立った。病死した2人の他11人は、同じくモリソン号事件関係者で上海定住していた日本人・音吉に匿われ、後に清国船で長崎経由の帰国に成功している。結局、ただ一人仙太郎はペリー艦隊に同行帰国した。

Hyoryu321 アメリカへ渡った彦蔵は、アメリカの教育を受け、さらにはカトリックに入信ついにはアメリカに帰化する。
 サンフランシスコに帰った後は、亀蔵・次作の二人とも別れて、下宿屋の下働きなどをしていたが、税関長サンダースに引き取られ、その後、ニューヨークに赴く。なお、アメリカへ同行した亀蔵と次作は、それぞれ船員として働き、明治開国後に日本へと帰国している。

 嘉永6年8月13日(1853年9月15日)には、日本人として初めてアメリカ大統領(当時はフランクリン・ピアース)と会見した。
 また、面倒を見てくれた税関長サンダースにより、ボルチモアのミッション・スクールで学校教育を受けさせてもらい、カトリックの洗礼も受けた。(洗礼名・ジョセフ)。安政4年11月25日(1858年1月9日)にはピアースの次代の大統領ジェームズ・ブキャナンとも会見した。

 そして安政5年(1858年)、日米修好通商条約で日本が開国した事を知り、キリシタンのまま帰国することはできないので、帰化してアメリカ国民となった。翌年安政6年(1859年)に駐日公使・ハリスにより神奈川領事館通訳として採用され、6月18日(7月17日)に長崎・神奈川へ入港し9年ぶりの帰国を果たした。
 当時は尊皇攘夷思想が世に蔓延しており、外国人だけでなく外国人に関係した者もその過激派によって狙われる時代であったため、彦蔵は身の危険を感じて文久元年9月17日(1861年10月20日)にアメリカに戻った。

 再度アメリカに帰った後は、文久2年3月2日(1862年3月31日)にブキャナンの次代の大統領エイブラハム・リンカーンとも会見している。同年10月13日(12月4日)に再び日本に赴き、再び領事館通訳に職に就く。文久3年9月30日(1863年11月11日)に領事館通訳の職を再び辞め、外国人居留地で商売を始めた。

翌元治元年6月28日(1864年7月31日)、岸田吟香の協力を受けて英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。これが日本で最初の日本語の新聞と言われる。ただしこの新聞発行は赤字であったため、数ヵ月後に消滅した。

 慶応4年8月7日(1868年9月22日)、18年ぶりに帰郷。明治2年(1869年)6月には大阪造幣局の創設に尽力した。
 その後は大蔵省に務めて国立銀行条例の編纂に関わったり、茶の輸出、精米所経営などを行なった。明治30年(1897年)12月12日、心臓病の為東京の自宅にて61歳で死去。日本人に戻る法的根拠が無かったことから死後、外国人として青山の外国人墓地に葬られた。尚、国籍法が制定されたのは明治32年(1899年)のことであった。
http://kotobank.jp/word/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%BD%A6%E8%94%B5

浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)という男は、めまぐるしく、環境の変化に反応して人生が変転している。

①アメリカに戻るよう誘われ、治作、亀蔵と共に三人は再びアメリカへ旅立った
②税関長サンダースに引き取られ、その後、ニューヨークに赴く。
③ボルチモアのミッション・スクールで学校教育を受けさせてもらい、カトリックの洗礼も受けた。(洗礼名・ジョセフ)。
④安政4年11月25日(1858年1月9日)にはピアースの次代の大統領ジェームズ・ブキャナンとも会見した。
⑤開国した事を知り、帰化して神奈川領事館通訳として採用され、9年ぶり安政6年(1859)神奈川領事館通訳として来日。
⑥過激派に狙われる身の危険を感じて文久元年9月17日(1861年10月20日)にアメリカに戻った。
⑦文久2年3月2日(1862年3月31日)にブキャナンの次代の大統領エイブラハム・リンカーンとも会見。
⑧同年10月13日(12月4日)に再び日本に赴き、再び領事館通訳に職に就く。⑨一年も経たない文久3年9月30日(1863年11月11日)に領事館通訳の職を再び辞める。
⑩外国人居留地で商売を始めた。
⑪翌元治元年6月28日(1864年7月31日)、岸田吟香の協力を受けて英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。(為替レート、各地の物価表)スポンサーが転居したため、数か月で廃刊。通訳官のかたわら貿易商を営む。そして元治元年(1864)、わが国最初の日本語新聞である「海外新聞」を刊行した。
⑫慶応4年8月7日(1868年9月22日)、18年ぶりに帰郷。
⑬明治2年(1869年)6月には大阪造幣局の創設に尽力した。
⑭その後は大蔵省に務めて国立銀行条例の編纂に関わったり、⑮茶の輸出、⑯精米所経営などを行なった。
⑰明治30年(1897年)12月12日、心臓病の為東京の自宅にて61歳で死去。

めまぐるしい人生を突っ走って、あれやこれややって、アッという間に消えてしまう。それが浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)であった。駐日公使・ハリスは、浜田彦蔵、ジョセフ・ヒコを覚えているのだろうか。
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