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2013年10月12日 (土)

ファミリーヒストリー 藤原紀香 祖父 満州渡航の軌跡

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紀香の祖父武夫は和歌山県みなべ町(和歌山印南町)で、ひときわ大きい男。その彼が紀南農業学校に入学した。印南町にアメリカ移民帰国した叔父の家(宮井繁子)があり、武夫はそこに下宿した。
武夫は、叔父から移民時代の話をよく聞いた。
 戦後満州引き揚げ 故郷への道 ←参考
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000040 「拓け満蒙!行け満州!」という移民を募るポスターには、学校卒業したばかりの武夫には、刺激が強かったに違いない。移民一戸あたり、1000円を補助を出す。政府援助でカネを出すというのは、当時の政府は、国民(開拓入植民)をソ連の楯に使う意図がアリアリだ。大卒者の初任給15倍、今初任給20万円として300万円程度だ。
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 勇躍満州に渡り、中国吉林省黒石郷に住んだ。中国に行くと、「和歌山村」と書かれた看板を見つけた。現在は村の事務所として使われている。日本政府は、彼らを出身地ごとに団結と助け合いをしやすくした。
 昭和12年7月渡満して、生活の基盤づくりに仲間たちと協同で耕作し、家や電気などインフラの建設に励む。あの当時の大人は、大工から土木、配電など何でもできた。入植して数年後には、家の建設には、村総出で武夫の家を作っている。
 入植地は、武夫は一人で10ヘクタールを耕していた。内地では、考えられないほどの広さである。収獲が多いから収入も多くなり、豊かな生活が営めた。

 

 この農地を満州拓殖公社の手による強制買収で、強引に安く買い上げて、日本人入植者に払い下げていた。その事実を知らないで入植するのが普通で、旧地主が襲撃してきても、匪賊だということで、追い払う。もちろん、関東軍が力があるから、その運動は広がらないが、匪賊の襲撃が度重なり、日本へ引き上げる人も何組かでて、それが新聞記事になっている。000072
 しかし、反日武装勢力による妨害によって帰国者も出るなか武夫は諦めずに開拓を進める。二年後、生活のめどが立った武夫は、結婚相手を探しに和歌山へ一時帰国。こうした大陸へ行った男性に、花嫁候補を結びつける地元側も、熱心に活動していた。そこで春子と出会う。2人の結婚は地元紙にも紹介された。000083
000079 和歌山駅前に営業している「雀寿司屋」で、結婚の約束のできた武夫と春子と親族も一緒に会食して、それを結婚式代わりになったのだろう。二人は名物の雀寿司を食べ、記念写真を撮った。
 そのとき、夫藤原武夫は腕組みして、妻になる杉山春子は複雑な表情をしている。

000091 妻になる24歳、この当時では晩婚である。春子の家は、父が母が早くに死に、父は耳が不自由で貧しいから、親戚の支援を受けていたようだ。しかし、春子は家族の中心になって明るく働いていた。武夫は、三ヶ月ほど日本にいて、一緒に大陸に渡った。当時は、写真だけで結婚を決めて、単身、大陸に渡る「大陸の花嫁」がいた。ブラジルに渡った女性もそういう人はかなりいる。「99年の愛」で、写真で姉と結婚することになったのに、妹のイモトアヤコが演じた日本女性は、ブラジルへ渡って結婚する。そんなストーリーである。
000102] そんなのは、ごく当たり前であった。藤原武夫は妻を伴って満州へ渡る。しかし、始めての環境、不安顔になってもしかたなかろう。
 昭和14年、満州に渡り、自分の土地として10ヘクタールをせっせと世話する武夫と妻の春子は、近所でも評判のおしどり夫婦であった。
 当時の2人を知る松さんは「出産前でいろいろ世話になった。親切な人でした。茶碗蒸しを作って持ってきてくれた。」
 「親戚がいない満州では、私のお姉さんみたいな、ええ人やった。」と語る。

 

クマが出たというので、武夫は銃を持ってすぐ追いかけて、クマを射止めた。夕方になって、クマの肉をこんなにと、ゼスチャーを交えて現在90代のお000106_2
ばあちゃんが当時を懐かしみながら、答えた。

 昭和17年前までは戦争もまだ穏やかであった。それまでは、関東軍が満州に大きな力を発揮して日本人を守っていた。負け戦になって、軍人家族が先に情報を手にして、帰国して、一番へき地の開拓民は、置き去りにされてしまい、引き上げ時には匪賊の襲撃をうけ、着の身着のまま、新京についたときは、まるで乞食のようだったという。

 南方諸島の戦況が厳しくなると、満州に鉄壁の守りがあるといわれた関東軍から主力部隊を引き抜いて、満州には日本軍は現地の人を
000109兵士に仕立てていた。にわか兵隊である。
 開拓団からも徴兵するようになり、昭和20年になるとソ連の参戦が明確になり、昭和20年7月、開拓団員にも赤紙が届き、村の青年男子はいわゆる「根こそぎ」徴兵された。武夫は戦地に向かう。その後ソ連が120万の大軍を率いて満州へ怒涛の侵攻である。
 

 

 和歌山郷は、一団となって、鉄道駅に向かって歩いた。この時とばかりに、匪賊や反日武装集団が攻撃をかけてきた。
 日本開拓入植者は、入植地が政府買い上げで、自分の土地と信じていたが、もともとの所有者は中国人であったが、そこを安く買い上げられて追い出された人々がいるので、土地収用の恨みが入植者に向けられた。
  母春子は2人の子供を連れて逃げようとするが、反日武装勢力の襲撃にあう。春子はその後運良く逃げ切り駅に辿り着いたが、列車の運行がなかった。

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 この当時、150万のソ連軍の侵攻もあり、中国国内には、蒋介石の国民党軍と張学良率いる八路軍が、国内戦争が行われ、中国内覇権争いのさなかであった。 

 しかし、終戦となり、武夫は終戦で除隊のあと、すぐに家族を探しにかかった。秋梨溝駅に逃げた和歌山郷のグループを見つけ、春子と子供たちと再会を果たした。ソ連軍の指示で、その後持ち家などは没収され、中国人農家の手伝いをしながら肩身の狭い生活を送っていた。 000133_2
 一年間、栄養も十分とれない生活ののち、帰国が許された。開拓民とともに、藤原一家は敦化駅に向かった。9月、890km先の港葫盧(コロ)島に向かう列車へと乗る。しか出発した数時間後、何者かに線路が爆破されたため、列車は急停止した。
 線路が破壊されたのは、国民党軍(現台湾政府)と八路軍(現中国共産党)の戦いの余波で・・・ということで、紀香祖父一家(両親と一馬5歳、妹育子2歳)は歩いて次の駅まで行かなければならなかった。
 この間も、反日ゲリラ、中国匪賊の襲撃があり、何人か殺された。
「ビューンって鉄砲がバンといったと思ったら、隣の人が倒れていた。チョット銃口が変わっていたら自分だった」そのとき、体験した人が語る。
 衛生状態が悪いから、チフス、赤痢など伝染病が蔓延していた。衰弱した子供は、連れていけないからその場においていく親もいた。赤ちゃんはほとんどが死んだ。親が生きるのに必死であった。そこに置かれた子が、後になって「中国残留孤児」として日本に親捜しに・・・というのが、その事情である。
 この世代と重なる経験をした引揚有名人は、加藤ときこ、・・・・、・・・・。
嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり ←参考にしてください。

 

 育子は、母に抱かれていたが、ぐったりとしてきた。明らかにチフスにかかったのだろう。回りの大人は、「病気がうつるから置いていけ」という。この言葉は客観的にみれば、妥当な言葉であるが、とても春子には受け入れがたい言葉であった。「ぜったいイヤです」と、育子を抱きしめて離さなかった。駅まで行けば、くすりもあるだろうし、食料もあるだろうと望みを抱いて、必死に歩いた。9月5日、育子は息を引き取った。享年2歳。

 

 内地でも、昭和19年、20年、21年は、多くの幼児は死んでいった。
 私の家の裏側にあったT山先生宅の女の子は、チフスか赤痢で、寝付いていた。きっと今の医療水準なら治るだろうが、毎日、お兄ちゃんが氷枕に入れる氷を買いに行かされていた。
 夏だったから、1日1貫目の氷が必要であった。その氷を製氷会社へ行く姿が見えた。その日、T家のお兄さんが氷を担いでウチの近くまでくると、家の中ら「もう氷はいらん!」と大声が聞こえた。つまり、妹が死んだということだった。その氷を返しに行く姿が見えた。

 

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 妹育子を道の脇に埋めて、新京の町に到着した。町中はへき地の開拓村から引き上げてきた人々であふれ返っていた。飢えや病気で苦しんでいる多くの人がいた。その中で、ついに妻春子が倒れた。育子を抱きしめていたから、うつったのだろう。9月14日に春子は32歳の若さで息を引き取った。育子が死んでからわずか9日後であった。

 

000023 二人で渡満してから7年、励まし合って生きてきた妻を武夫は失った。その時の住所は、興亜街八〇一番地、その当時の建物は壊されて、今はコンビニになっている。春子は新京郊外の地に埋葬された。今は国立「長春公園」になっている。その場所には、引き上げの途上に亡くなった子供やお年寄りが埋葬されている。その碑がある。
 一馬の記憶は、引き揚げ時、船の中は満員寿司詰め状態で苦しかった程度しか覚えていない。
 

 妻と娘を失った武夫は、いつも「前を見て、後ろを振り返るな!」とよく言っていいたと、息子一馬は聞いた。つまり、自分に言い聞かせていたのだろう。 

和歌山郷へ和歌山県から行ったもの519名(56応召)
死亡107 未帰還34 帰国378
 

000147引き上げてきた武夫は、まだ三〇代であったから、三年後、紹介されて再婚した。、一馬の妹が生まれ、生まれた女の子に「育子」と名付けた。
 一馬は、父の言うことを聞いて、大学を出て建築士として働いた。27歳で結婚して、
000151000153昭和46年(1971年)紀香が生まれると、祖父である武夫は孫娘を溺愛した。その一年後昭和47年(1972年)に武夫は、56歳で急死した。もう少し長生きしてほしかった。それから10年ほどして中国残留孤児の調査が始まる。

 

VTRを見て、藤原紀香は「自分が生きているのは奇跡なんだって思います。まず、生きて帰ってぃてくれたことに感謝だし、おじいちゃんが夢を追って諦めなかったこと、今後も私の糧になると思います。」「自分の家族がこんな経験をして死に物狂いで生きていたんだって驚いたのと、おじいちゃんはずっと諦めなかったんだ・・・。」と話した。と話した。  

000020 一馬さんは母、春子さんが写る写真を持ち出し、よく歌っていた詩を紹介した。中国の黒石郷和歌山村を訪れると、集落を取り囲むように春になるとすずらんが咲く丘があった。村人に一馬さんたちが住んでいた家の写真を見せると、家があった場所を紹介してくれた。藤原紀香は「ここに行きたいですね。」と話すと、父一馬も、必ず行くと応える。
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コメント

Mr camiseta
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From nozawa22

投稿: camiseta bar莽a 2012 | 2013年10月16日 (水) 16時15分

藤原紀香のルーツをブログに書くさい、大変参考になりました。ありがとうございます。

投稿: 九戸政良 | 2013年10月23日 (水) 11時22分

岸本良信先生が別名の九戸政良で活動していた日本士族の会準備室が突如閉鎖となりました。

何か知らないでしょうか。

投稿: ミス子 | 2015年1月12日 (月) 12時16分

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