“異国の丘”“岸壁の母”を歌ったころ
「昭和21年(1946年)12月5日、品川駅に引き揚げ孤児の第2陣33人が到着。先頭の少女は両親の遺骨を抱いていた。引き取り先が決まるまで、上野の同胞援護婦人連盟ホームに収容された。」
この一枚の写真に説明があり、終戦後少なくとも1年以上外地をさまよって、ようやく帰国している。この少女の帰国までの苦労を考えると、涙なしにこの写真を見れなかった。
6年生か中学生位の少女が、弟の手を引いて、他の子の面倒を見ながら殺人的な混雑を潜り抜けて帰国したのかと思うと、胸にくる写真である。この少女はどこの子だっただろうか。その後の人生を知りたい。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 終戦時、陸海軍将兵は、満州・朝鮮に約100万人、中国に約110万人、南方諸地域に約160万人の合計約370万人いた。粛々と日本国土に帰って来た。コレを「復員」という。民間人は、「復員」に含まれない。
民間人の扱いは後回しで、日本政府は現地の国に留まるように仕向けて、実に扱いは粗末であった。
「国家に見捨てられた引揚者の、帰国するまでの労苦は筆舌尽くし難く、世界史上にもこれほどに苦難の祖国帰還の例はない。」と書かれている。民間引揚者に対する国家の保護はなかった。公的な保護あたる官吏、公務員は一番最初に逃げて帰国してしまっていたからである。
数百万人一斉には引き上げられないのでという理由で、引き上げ順位が付けられていた。
旧満州では、①関東軍、②満鉄、③日本大使館、④関東局、⑤満州国政府、⑥国策会社の関係者という優先順位で実行された。逆にいえば、戦争責任のある順位である。ソ連軍、中国八路軍には、これらの組織の人に責任があると考えただろう。シベリア抑留者で、これらの公務員は厳しい扱いになっていたと、聞いたことがある。
満州奥地に入植した開拓団の一般日本人は、情報が途絶したため、曠野を流亡する民となった。現地の中国人から大日本帝国への恨みを一身に負わされての満州奥地からの逃避行となった。現地人の襲撃に身をさらすだけでなく、ソ連軍の暴行に日夜さいなまれての行程であった。
ちなみに三江省方正収容所には、敗戦から翌年5月までの9カ月間に8640人が収容されたが、その後、その4分の1強が自決・病死、「満妻」すなわち中国人の妻となった者も4分の1強となっている。ハルビンにたどりつけたのは15%に満たない1200人にすぎない。その他は、自ら脱出した者1200人、現地に残った者1120人、ソ連兵に拉致された者460人と記録されている(『満州開拓史』)。
各開拓団の青壮年が敗戦3カ月前の45年5月に、関東軍による「根こそぎ動員」で現地召集されたため、老人と女子供の群れとして、流亡せねばならなかったことが事態をいっそう悲惨にした。関東軍の「根こそぎ動員」による悲劇は、明らかである。コレを総括して責任をとるとか、そういう決着をしないでいいだろうか。日本人は甘い。戦争責任を「一億総ざんげ」という言葉にだまされて、責任ある者が責任を取っていない。
日本政府は、博多などの引き揚げ港に婦人救護相談所を開設、引き揚げ女性の相談業務を行った。 その業務は、性病の日本への伝播の防止と暴行被害女性の妊娠中絶を目的のひとつとしており、10歳以下の幼女を除く70歳までの女性すべてが対象となった。
故国にたどり着いた女性の、いまなお癒されぬ傷となって残っている。また引き揚げ者のなかには、途中で親と死別し、無縁故者となった子供が多くみられた。ソ連兵に陵辱されて妊娠して、そのことを悩み、ようやく日本についた船から身投げして死ぬ女性もいた。中絶手術は、麻酔薬もなく手術に耐えることが必要であった。
組織だった帰国の場合は、大型船で港についてから、……昭和二十五年一月二十一日夜、舞鶴へ帰港した高砂丸が、翌二十二日早朝、上陸を前にして待機中、胸に日の丸の記章をつけ、同じく日の丸の小旗を振ってデッキいっぱいに並んでいた引揚者の一隅から、突如、朝もやをついて“異国の丘”の歌声が流れてきた。それは、たちまちアラシのように船全体を包む大合唱となった。内地の留守家族達が肉親を偲んで歌っていたこの歌が、引揚船で歌われたのは、引き揚げ開始以来、これが初めてであった……と、当時の朝日新聞(昭和二五・一・二三付)は報じている。http://www.geocities.jp/k_saito_site/hikiagesen1.html
http://www.geocities.jp/k_saito_site/hikiagememorial2.html
異国の丘 http://youtu.be/9hkoI_r3MLM ★★
吉田正 異国の丘 1975 http://youtu.be/r7lPmXr-zTE★
★この歌は父の歌です。シベリアで吉田先生の部隊にいました。諜報部だったため死刑宣告を受け、仲間3人と春に脱走してしまいました。
その後先生や部隊にどれほどのご迷惑を掛けたかと、父は吉田先生の番組は涙で見ることはできませんでした。父の苦しさは計り知れないものでした。シベリア抑留兵の悲惨さは言葉に尽くせないものだった、と。父の話を録音して置くようにと、多くの方に言われましたが、父はそれを拒みました。この映像の中の吉田先生の言葉を聴いて父の心を偲びます。
この“異国の丘”の歌を昭和28年ころ、まだよく歌われていた。
大正町のA君の家へ勉強に行くと言って、勉強せずおしゃべりばかりで時間を過ぎたが、A君はこの「異国の丘」を歌って聞かせてくれた。思い入れ深く歌うから、誰か身内に抑留者がいるのだろうと想像していたが。
岸壁の母 歌謡浪曲 二葉百合子 http://youtu.be/ticHzihr8VM★★戦後の我々は、先の戦禍が一体何であったのかをよく捉え直し、このような母の至情・悲嘆が何ゆえに語り継がれねばならないかをよく知る必要があると考えます。
岸壁の母~歌謡ぶし入り~ 坂本冬美 http://youtu.be/lwqKhkDrVJQ★★
この歌に二葉百合子さんが命を賭けた、精魂な思いが長く歌われ国
でも坂本冬美の真摯な歌えの情熱から、彼女なら安心して引き継げ
昭和25年以降の引揚港は、ただ舞鶴しかなかった。このことは、全国知らぬ者はなかろう。というか、最近では知らぬ者の方が多いかも、忘れさせたい者も多いし、何とか外国に罪をかぶせ、自分は不問にしたいとするものもまた多いのである。この日本国が起こしたこの史実を知らねばならないと思う。
舞鶴生まれで、舞鶴育ちの方の言葉で
「引揚船は延べ346隻にものぼり、我が家からは直線3キロばかりの対岸で見られた光景であったにもかかわらず、何もこれにまつわる記憶がない。ずいぶんとええかげんな教育環境に育った、こうしたことは日常茶飯事の地の少年だったと思われる。
こうした悲惨な経験して引揚げて帰国した人々はたいていが被害側の方々で、加害者のワルどもはたいていが誰よりも先にこうなる前に帰国していたと思われます。」とは、的を射た見方かもしれない。それが現実の姿かも。
「舞鶴の故国の自然に迎えられて感無量」、「同胞市民に温かく迎えられて感無量」とか、引揚者の気持ちとしては本当だろうが、政府や地元行政の対応などがうれしかったなどもない。民間引揚者などは当館ですら「温かく迎えている」とは言いがたい、リックや子供の小さな靴がわずかに展示されているだけであった。書き立てでもしない限りはほぼ無視であろう。
「舞鶴は引揚で燃え尽きたんです、引揚が終わってからは腑抜けのような町になってしまいました、あれで終わったんです」と舞鶴出身の某氏。市民とすればそれでも一生懸命に精根尽くして、そして燃え尽きてしまった・・・のだろう。参照引揚の歴史、
天皇の軍隊=国体護持軍、非戦闘員である民間人を守る義務もないし、それは考えない。
以下、戦争被害の関係
関東軍 機密費戦費まかなう阿片
8月15日靖国神社2008年 Ⅰ
戦争を知る人たちの記録
戦争体験を聞く 喉元を過ぎれば
戦争の記憶が薄れるご時世 1
戦争の記憶が薄れるご時世 2
戦争の記憶が薄れるご時世 3
シベリアの抑留日記
ソ連兵強姦の現実 手記 文藝春秋
戦後満州引き揚げ 故郷への道
我が子を手にかけ 満州引揚げ
牡丹江へ突入した避難列車の悲劇
社会保険庁の愚、旧日本軍の愚
満州からの引き揚げ 1
満州引き上げは 負の世界遺産
加藤登紀子 遠い祖国
キャリアの失言と愚将牟田口廉也
終戦 荒廃した国土 忘れるな
講和条約 日本は占領されていた
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コメント
「舞鶴は引揚で燃え尽きたんです、引揚が終わってからは腑抜けのような町になってしまいました、あれで終わったんです」と舞鶴出身の某氏。市民とすればそれでも一生懸命に精根尽くして、そして燃え尽きてしまった・・・のだろう。
投稿: 舞鶴引揚 | 2014年1月27日 (月) 19時45分