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2013年9月 6日 (金)

安土城 織田信長の知恵の結晶 わずか三年で焼失

 安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。(Wikipedia)000066 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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安土城は、信長の英知を表現した最高の城だといわれているが、建設されて三年で炎上焼失してしまった。それで、城自体がその後再建されることがないので、疑問のままだ。000106
 

 安土城は、中津川市の(
一万石天領)苗木城(1871年明治4年廃城、遠山氏十二代の居城)と違って、整備されている。
 名古屋城、大阪城、姫路城のように城郭はないが、石垣はしっかり保存されている。信長の館の中では、天守閣部分の5,6階が見学用につくられて納まっている。

Adutizu 大手門から、石段が300メートル続き、道の両側が石垣で囲まれ、本丸、天守台には、幾重にも石垣の道を曲がって登る防御の城でもある。しかし、信長は、そのころは、天下布武をとなえ、全国制覇寸前であったから、天下一の姿を示す城としての目的もあった。 ゆえに、すでに岐阜城、小牧城の築城とは意味合いがちがっている。

 ルイス・フロイスは著書『日本史』に、天主に関して次のように書かれている。彼は、1580年(天正8年)の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城で信長に拝謁している。

中心には、彼らがテンシュ(天守)と呼ぶ一種の塔があり、私たちの(バテレン教会の)塔より気品があり壮大な建築である。

8501 この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。事実、内部にあっては、四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全面を覆い尽くしている。

 外部は、これらの階層ごとに色が分かれている。あるものはこの日本で用いられている黒い漆塗りの窓が配された白壁であり、これが絶妙な美しさを持っている。

 ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。それらは、青に見え、前列の瓦には丸い頭が付いている。屋根にはとても気品のある技巧を凝らした形の雄大な(鬼瓦の)怪人面が付けられている
。」
 

0046 凝りに凝って作り上げた「安土城」の様子は、ルイス・フロイスの文章にも書かれている。
 最高品を作ろうとしている意欲は、職人集めの段階から出ている。戦乱の京都にいる職人の技術が廃れないように、安土城建設で最高の技術を発揮させようとして呼び寄せ、瓦を焼くにも、粘土を取るにしても、混じり物ないように、徹底させている。職人自身も、最高の製品を作り出そうと
徹底した完璧な仕事をしている

000071 
 瓦に金箔を貼るにしても、後の豊臣時代の製品より丁寧な仕事である。床の漆も何度も何度も重ね塗りして、艶光りをしている。襖絵は狩野永徳が描いた立派な作品である。石垣も従来のものより高く、山岳寺院の石垣を積んだ職人を引き抜いて作業をさせている。
 

 天下統一の寸前にきていた信長の考えは、発想が転換していたと思われる。武力で従えるということから、見ることで、あるいは接待のなかで、心服させることに考えが変わっていた。

000093_2 時代の牽引者になるには、石垣の高さから逆らう意欲を失わせて、戦う意欲をなくさせるのが、最上の武力である。招待してご馳走をだすと、そこに見たことのない魚介類が出たら、それでその支配権の広さに感服する。大勢の招待客の交流の場を提供することで、大切の出会いをつくる。その出会いの中で、新らしい人と知り合い・・・期せずして、信長のスケールが伝わる。
 
 もちろん、城作りは、職人にどう命じたかは不明であるが、職人たちが「意気に感じて」信長にために骨折りを惜しまず、親方のためにいい仕事をしている。
 織田信長は、厳しいトップであるというが、先を読んでそのためには、日本の伝統を重んじて組み合わせ、工夫で革新を生んで行った。その革新に邪魔する従来の利益保守主義者(抵抗勢力)を排除して行った。すると、信長が悪者になった。

 本能寺の変で信長を殺した明智光秀は、自分の領地を召し上げられたのが直接の理由にもなっているが、信長(革新党)の伸張は、旧寺社、旧守護、現代なら公務員や一部上場の正社員、公務員からは、権益を剥奪する悪魔に見えただろう。
 信長の革新か、保守層の寺院の立場が正しいか。保守守旧勢力が負けたのか、信長革新が勝ったのか、
判断しにくい。次の社会は豊臣秀吉の天下で、世の中はどうなったのか?

 信長には、新しい社会構造を作り出すブレーン「総合研究所」諮問機関があったようには見えないが、きっと誰かアドバスをしたはずだ。
 信長は49歳、50歳で死んだが、あのまま家康並に70代まで休まず進んだら、アジアの制覇まで進んだ可能性はある。
朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシアの版図は、統合された国になっていた、だろう。いや、かもしれない。 

 信長が本能寺の変で死んだが、明智光秀は、信長後の世界をどう描いていたのだろうか。彼は、有能な官僚ではあるが、保守的だから、結局昔の秩序を戻しただけかもしれない。その点、光秀の世界観を知りたいものだ。
 後に続いた為政者は、信長に比べたら考え方が一段も二段も落ちる。信長の世界観を理解している部下はいなかったのではないか。細君のお濃が一番理解していたかも。
 信長のまねしている豊臣秀吉にしても、核心を理解しているか、誤解しているようだ。
 徳川家康にしても、自国内の統治、安寧を重んじているだけで、世界を統一する構想はなかった。
 その意味では、日本の政治家で、アレレキサンダーやシーザーに対抗できる人物は、織田信長だけだろう。その後で、日本史上で、国際政治を仕切れる政治家はいただろうか。

000049 国内戦で勝ち誇ったか、負けてやけくそでか、安土城はとにかく放火で破壊したとしたら、アホ。焼失の原因については諸説あるが、山崎の戦いの後まもなくして焼失している
 焼失したのは、天主、本丸などで、後に織田秀信が二の丸に入城したように、二ノ丸はまだ十分に機能していた。

①.明智秀満軍が敗走の際に放火したとの説(『秀吉事記』『太閤記』)。
②.光秀のあと、伊勢国から入った織田信雄軍が明智軍の残党を炙り出すために城下に放火したのが天主に延焼したという説。これは、ルイス・フロイスの報告や『日本西教史』収載の当時の宣教師の記述(日本耶蘇会年報)による。
③.略奪目的で乱入した野盗や土民が原因
④.落雷によって焼失したとする説。(学者の見解)
 林屋辰三郎は、略奪目的の土民が放火③したとしており、熱田公は、「山崎の戦い後の混乱の中で、略奪に入った」、高柳光寿は、「織田信雄下手人説」を採用しており、『野盗の類が放火した、とみるのが自然であろうか』としている

●安土城の建築費用は、一体いくらだろうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1256745097
一級史料には記載はされていないようですよ。
 調査が進み、現在の貨幣価値で換算すると…
・土地造成費150億円
・石材+石材移動+石垣積み300億円
・天主建築費60億円
・木材40億円
・御殿建築費250億円
・櫓+塀建築費200億円
トータル1000億円と言われています。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429107124
  カンですけど、500億あれば出来るでしょう。
 但し建築構造は鉄筋コンクリートと鉄骨とします。もちろん見た目には木造としますが。建築、土木に400億、美術に100億あればいけると思います。 また、現代の技術で出来ないものは、同等の代替え品を使用することとします。

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tumi バッグ様
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投稿: tumi バッグ | 2013年9月14日 (土) 15時57分

信長は49歳、50歳で死んだが、あのまま70代まで休まず進んだら、アジアの制覇まで進んだ可能性はある。
 朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシアの版図は、統合された国になっていたかもしれない。

投稿: アジア統合国家 | 2014年9月26日 (金) 18時35分

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