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2013年8月28日 (水)

「従軍作家たちの戦争」石川達三 戦争協力

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 1937年(昭和12年)中国・杭州湾に約七万人(?!)の日本軍が、杭州湾に上陸した。中国軍は水路を利用して激しく抵抗。これが、第二次上海事変(1937年8月13日 - 10月26日)だ。
 なんで?日本と中国は戦ったのか、という疑問が起きる。コレを放置しておけないので、説明するが、興味ない方は、読み飛ばしてください
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 昭和12年(1937年)七月
満州事変、日本と中国の関係は、尖閣諸島の領海侵犯どころではなくなる。

昭和12(1937)年7月7日 - :盧溝橋事件(北京郊外盧溝橋で日本軍と中国国民党軍が衝突)支那事変勃発
0000237月11日 - 近衛文麿内閣「不拡大方針」を閣議決定。
関東軍・朝鮮軍・内地師団の北支派兵および現地解決
7月17日 - 蒋介石、盧山において「最後の関頭」演説(日本の出方次第では徹底抗戦する意志表明)。
7月19日 - 盧溝橋事件の停戦協定の細目が成立。
7月20日 - 蘆溝橋城の中国軍が日本軍に対して一斉射撃日本軍が蘆溝橋城壁に反撃をする。
7月26日 - 広安門事件(広安門居留民保護の日本軍が広安門で中国軍よ000001
り銃撃される)。
7月29日 - 通州事件(中国軍保安隊が、日本軍特務機関・日本人居留民を虐殺、強姦、放火事件)。
日本国内で反中感情が高まる。
同日 - 日本軍(支那駐屯軍)、通州事件あった北平・天津地区を制圧
8月9日 - 大山中尉殺害事件、
 上海において、大山勇夫海軍中尉が斉藤要蔵一等水兵の運転する車で視察中に中国保安隊に包囲され、機関銃で撃たれ殺された。殺された上に、頭を青竜刀で割られた。運転手斉藤一等水兵は多数の弾を受けて死んでいた。Ohyama_incident
000035支那側は大山中尉がピストルで支那兵を殺したので反撃したと主張した。大山中尉に殺されたとする支那人の遺体を病院で解剖。体内から「小銃弾」が出てきた。大山中尉がピストルのみで小銃を持っていなかったので嘘がばれた。支那人が「支那人を殺して死体を大山中尉殺害現場に置いた」ことが証明された。

8月13日 - 包囲していた中国軍と国際租界の日本海軍陸戦隊の交戦が開始される(第二次上海事変)。
0000428月14日 - 中国空軍機による上海租界空爆により各国民間人に大きな被害。14日より16日にかけて、日本海軍航空隊の96式陸攻38機が、南昌・南京・広徳・杭州を台南の新竹基地と長崎大村基地からの渡洋爆撃開始。未帰還機14機、大破13機。
8月15日 - 第1次近衛内閣、戦争目的として「暴支膺懲」を表明
同日 - 中華民国は全国総動員発令し、陸海空軍総司令に蒋介石が就任、戦時体制を確立。
0000419月2日 - 日本、北支事変を支那事変と改称。
9月9日 - 陽高事件(山西省の陽高で、関東軍が中国人を虐殺)。
9月13日 - 国民政府、日本軍の行為を国際連盟に提訴
9月14日 - 日本軍(北支那方面軍)、北平・天津より南進を開始。保定攻略。
9月15日〜22日 - 第二次上海事変勃発後、上海南市老西門広場では、毎日数十人が漢奸として処刑され、その総数は4,000名に達し、中には政府の官吏も300名以上含まれていた。
(以上で時代説明終り)

 
 1937年(昭和12年)、蘆溝橋の偶発的な小事件が繰り返され、やられたら、やり返し、そして、全面的な戦争に拡大した。
 ・・・日本の新聞社・出版社はきそって作家たちを中国に特派した。
 

Photo
 石川達三は、南京陥落(1937年12月12日)直後に中央公論社特派員として中国大陸に赴き、1938年1月に上海に上陸、鉄道で南京入りした。南京に一ヶ月滞在し、南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊兵士から聞き取り、その見聞をもとに、その結果著されたのがこの小説。1938年三月の『中央公論』誌上に発表したのである。


 1937年(昭和12年)中国・杭州湾に上陸、火野葦平は分隊長として進軍し南京を攻略した。
 それが一段落し、翌年1938年2月、火野葦平が出征前に発表した「糞尿譚」が芥川賞を受賞。授賞式には小林秀雄が派遣された。
000050 陸軍報道部が彼の芥川賞受賞に注目した。
 当時、欧米列強が租界を設けた上海に陸軍がメディア戦略の拠点を置いていた。その中支那派遣軍の報道部の中心人物が馬淵逸雄中佐だった。

 馬淵逸雄は、ヒトラー率いるナチスドイツ式の華々しい宣伝に注目していた。ドイツ国防軍は小説家やカメラマンを動員したPK部隊を組織し、最前線での宣伝活動にあたらせた。

000044_2 馬淵逸雄は芥川賞受賞の火野葦平を報道部員に抜擢した。第6回(1937年下半期) - 火野葦平「糞尿譚」
(ちなみに、第1回(1935年上半期)は、石川達三「蒼氓」である)

 その頃、中央公論に掲載された日中戦争を取材した「生きている兵隊」(石川達三)が問題になっていた。
 
 作者・石川達三は中央公論社から派遣され、南京攻略戦に参加した兵士から聞き取りをして「生きている兵隊」を書いた。「生きている兵隊」には中国の民間人に危害を加える日本兵の姿が綴られていた。
 中央公論に「生きている兵隊」を掲載されたが、発売前日に発禁となり、石川達三は安寧秩序を乱したとして禁固4ヵ月・執行猶予3年の判決を受けた。000070
 「生きている兵隊」は発禁されたはずだったが、中国に持ち出されたのだろう。1か月後に、上海の新聞で「生きている兵隊」(中国語訳)が出された。その速さには驚く。その後単行本として出版された。まえがきには「人類史上最も野蛮で残酷な行為が描かれている」と記された。その当時の日本人は、「一等国」と自慢し、中国人(当時は支那人と呼び、今も特定の人は支那人と特別の000077ニュアンスをこめていう)を三等国と扱った。
 

 当時、蒋介石は、日本軍の非人道的行為を世界に訴え、アメリカへの宣伝費用は惜しまず使うように指示。雑誌ライフなど米メディアで「(日本軍による)南京での残虐行為」が報道された。蒋介石のメディア戦略が国際世論を動かそうとしていた。馬淵逸雄も、中国側の宣伝に対抗する必要性を痛感していた。

000013 「生きている兵隊」は、小説として発表されたものの、「聖戦にしたがう軍を故意に誹謗したもの」「反軍事的内容をもった時局柄不穏当な作品」として内務省は発禁処分とした。
 しかしながら、内容を読むと、単なるリアリズムを追求した兵士の過酷な現実を作者が読者に訴えようとしている姿勢が垣間見る事が出来る。フィクションを入れたり、他の戦地の事実を書いているので、南京虐殺、大量殺戮の根拠となるものでもない。

 「中央公論」(昭和13年3月号)が発売と同時に発禁になっているその理由は、当時の「出版警察法」によると次の通りである。  
 「生きている兵隊」と題する記事は皇軍の一部隊が北支戦線より中支に転戦白卯江(はくぼうこう)に敵前上陸し、南京攻略参加に至る間の戦闘状況を長編小説に記述したるものなるが、殆ど全頁に渉り誇張的筆致をもって、  
(イ)我が将校が自棄的嗜虐的に敵の戦闘員、非戦闘員に対し、ほしいままに殺戮を加うる場面を記載し、著しく残忍なる感を深からしめ
(ロ)又南方戦線に於ける我が軍は略奪主義を方針としているがごとく不利なる事項を暴露的に取り扱い
(ハ)我が兵が支那非戦闘員に対しみだりに危害を加えて略奪する状況
(ニ)性欲のために支那人婦女に暴力を揮う場面
(ホ)兵の多くは戦意喪失し内地帰還を渇望し居れる状況
(ヘ)兵の自暴自棄的動作並に心情を描写記述し、もって厳粛なる皇軍の規律に疑惑の念を抱かしめた
 この理由を見ても解るように、この発禁はあくまで一般的な軍に対する。誹謗の規制で、特に南京で起きた何かを隠蔽せんとするものではない。モデルとなった第16師団33連隊の進軍の日程、あるいは、描写が歴史事実と一致する個所も少なくない。

000052 日本国内では皇軍として威信のあった日本軍の実態を実写的に描いた問題作とされる。
『中央公論』1938年3月号に発表される際、無防備な市民や女性を殺害する描写、兵隊自身の戦争に対する悲観等を含む四分の一が伏字削除された。にも拘らず、「反軍的内容をもった時局柄不穏当な作品」などとして、掲載誌は即日発売禁止の処分となる。

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その後、執筆者石川、編集者、発行者の3者は新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)の容疑で起訴され、石川は禁固四か月、執行猶予三年の判決を受けた。この著作が完全版は第二次世界大戦敗戦後の1945年12月である。
 石川は、「入場式におくれて正月私が南京へ着いたとき、街上は死体累々大変なものだった」と自らが見聞した虐殺現場の様子を詳細に語っており、国際検察局の尋問では、「南京で起こったある事件を、私の本ではそれを他の戦線で起こった事として書きました」と述べている。しかし、逝去3ヶ月前にインタビューを申し込んだ阿羅健一に対しては、闘病中だったためインタビューは断った上で、
「私が南京に入ったのは入城式から二週間後。大虐殺の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終らないと思います。あの話は私は今も信じてはおりません」との返事を出しているという

石川達三 「生きている兵隊」000061 少女は家の中に逃げこんだが、銃声を聞いて飛び出した兵はすぐにこの家を包囲し、扉を叩きやぶった。そして唐草模様の浮き彫りをした支那風な寝台のかげに踞(うずくま)って顔を伏せている少女に向ってつづけざまに小銃弾を浴びせ、その場に斃(たお)した。この家の中には今一人の老人がいたが彼もまた無条件で射殺されることになった。
 日本軍の将校が、路上で十一、二の少女に拳銃で撃たれて即死したことからこの事件がおこった。そういう了見なら「支那人という支那人は皆殺しにしてくれる」というので、「幾人の支那人が極めて些細な嫌疑やはっきりしない原因で以て殺されたかわからなかった」と、作者は書いている。

 中国兵は追いつめられると庶民の中にまぎれこんだ。日の丸の腕章をつけている良民の中にも正規兵の逃亡者が入っているかも知れなかった。「抵抗するものは庶民と雖も射殺して宜し」という指令が軍の首脳部から伝達されたのはこの事件の直後であった。  

 南京の残虐行為は当時の国民にはすこしも知らされなかった。新聞・ラジオ・雑誌などは戦争美化の記事で埋まり、南京陥落は提灯行列などの大々的な祝賀行事で迎えられた。石川はこのような風潮を憤り、戦争の悲惨な真実をつたえ、この戦争に動員された兵士たちのの苦悩に迫ろうとした。

 平尾一等兵が気狂いのようになって、十七、八の娘の胸を銃剣で三度も突き刺し、他の兵たちも頭といわず腹といわず突きまくるという事件を石川は書いている。娘は日本軍に撃たれて動かなくなった母を胸の中に抱きかかえ、いつまでもいつまでも号泣しつづけていた。その泣き声は夜ふけまでつづき、平尾はついに耐えられず、突然の凶行に及んだのであった。

 新聞社の校正係だった平尾はロマンティックな青年で、感受性の強い繊細な神経は荒々しい戦場の生活でひとたまりもなく破壊されたのだった。平気で人を殺す乱暴者の下士官もいたが、兵士たちの大多数は平和を愛し、人間を愛する普通の市民だった。とうてい人殺しなどできそうもない人々である。それなのに、兵士となって戦場におもむくとなぜあのような残虐な行為をするのか。

 石川は目をおおうような日本軍の残虐行為をリアルに描いたが、これを告発し、否定するために書いたのではなかった。殺人が日常的な、苛酷で異常な現実が、彼らを変質させ、残虐行為に駆りたてる。どんな戦争でも、戦争というものはこのような悲惨な事件を生まずにはいないのだと、むしろこれらの日本兵を弁護しようとさえしていた。
 しかし、この作品を発表した『中央公 論』は発禁になり、作者は「皇軍兵士の非戦闘員殺戮、掠奪、軍紀弛緩の状況」を記述し、「安寧秩序を紊乱する」として起訴され、有罪となった。戦争は作者の主観的な意図にかかわらず、一切の真実を許さなかったのである

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  石川達三が、発禁処分を受けたことを火野葦平は知らないはずはない。報道部へ引き抜かれて、自分の体験を「土と兵隊」を表したとき、反戦思想は極力避けている。
 軍の方針に作家たちは、軍の案内で戦地を見て回るとき、喜んでついて行っている。報道部の側も宴会を催し、歓待している。石川達三も、軍のペン部隊に参加している。
日中戦争始まり 満州事変の背景

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